【総務省・携帯電話不正利用防止法改正】データSIM本人確認義務化と回線数上限の話を聞いて、ポイ活MNPの昔を思い出した話

このところ、携帯の話といえば料金より本人確認である。なんだか世の中、だんだん「はい、あなた本当にあなたですか」と聞いてくる場面が増えた気がする。私は別にやましいことはないのだが、聞かれると少しだけうろたえる。人はなぜ、正しいことをしていても確認されると小さくなるのか。不思議なものである。

昨日、2026年3月24日に、携帯電話不正利用防止法の改正案が閣議決定されて国会に提出されたという話を見た。内容はわりとまじめで、これまで音声SIMでは必要だった本人確認を、データ通信専用SIMにも広げること、それから「個人が使うには多すぎる回線数」を契約しようとしたら、事業者が断れるようにする、というものらしい。いまのところ具体的な上限数はまだ出ておらず、今後の省令などで決まる見込みだという。背景には、SNS型投資詐欺やロマンス詐欺でデータSIMが悪用されてきたことがある。なるほど、たしかに穴はふさぎたくなる。穴というのは、たいてい善良な人より先に、妙に手際のいい人が見つけるものなのである。

昔の私は、この「回線」という言葉に、今よりずっと胸をときめかせていた。MNPのキャンペーンを見ると、まるで秋のさんまを見た猫のように目つきが変わったものだ。乗り換えればポイント、契約すれば還元、翌月にはまた別の店で特典。世の中には、地道に働いてお金を得る人と、週末に家電量販店を巡って謎の達成感を得る人がいるが、私はかなり後者に寄っていたと思う。

もちろん、当時から大手各社には個人名義5回線前後の制限運用があった。ドコモは2009年に原則5回線までとし、auも現在、同一名義のスマホ・携帯電話を累計5回線までとしている。だから無限に増やせたわけではない。ただ、データSIMのほうは法的には抜けていたので、そこに時代のすき間風が吹いていたのだろう。すき間風は寒いが、好きな人には追い風でもあったのだ。

とはいえ、最近は私もだいぶ丸くなった。若いころのように、案件の終了日と開通日とポイント付与日をノートに書きつけて暮らすことはなくなった。あの頃の私は、携帯を使っていたというより、携帯に使われていた気がする。回線の管理表だけがやけに整っていて、部屋は散らかっていた。人間としての優先順位が少しおかしい。

それで今は「もうMNPもほどほどだなあ」と、しみじみ思うのである。法改正の流れを見ても、これからはデータSIMを大量に回してうまいことやる、みたいな昔ながらの遊び方は、かなりやりにくくなりそうだ。普通に1〜2回線の人には大きな影響は少ないだろうが、複数回線を抱えていた人ほど、ああ時代が閉じていくな、と思うのではないか。

……などと、引退した名選手のような顔で回顧してみたのだが、冷静に数えてみると、私はいまでも5回線ある。

ほどほどとは何か。

世間の感覚では、スマホは1人1台か、せいぜい仕事用と私用で2台くらいだろう。それなのに私は、もう落ち着いたみたいな顔をしながら5回線持っている。これは「節度ある生活」ではなく、「昔よりは暴れていないクマ」に近い。たしかに山は下りてきていないが、クマはクマなのである。

だからこのニュースを見て、少しだけ背筋が伸びた。私のような者が笑い話で済んでいるうちに、世の中はちゃんと線を引こうとしている。まっとうである。まっとうすぎて、ちょっと耳が痛い。でも、5回線持ちが「最近はほどほどです」と言うのも、なかなか味わい深い。人は自分に甘いし、私はとくにそうなのだと思う。

結局、ポイ活も回線も、ほどほどが一番いいのだろう。そう思いながら、今日も私は5つのSIMのことを、だいたい把握している。だいたい、というところが、いちばん危ないのかもしれない。

ちなみに、ちょっと古いデータかもしれないが、MNPしたことがないという人がネットユーザーでも5割、ドコモユーザーに限れば8割以上だという(参考:MNPをしているユーザーはネットユーザーでも50%程度

 

美味しんぼ アニメ で見て思う、昭和サラリーマンのゆるさと料理万能説

最近、私は『美味しんぼ』のアニメにはまっている。はまっている、という言い方も少し大げさで、正しくは、夕方になるとなんとなく見てしまい、気づけば次の話も押している、という感じである。しかも今はワイモバイルのお得キャンペーンで、Netflixが三か月無料なのだから、見ないほうが不自然なくらいだ。こういう「今だけ無料」に私は弱い。弱いというか、ほとんど無抵抗である。

『美味しんぼ』を見ていると、子どものころ、テレビで普通にこれを見ていた記憶がよみがえってくる。あのころは、ただ大人たちが怒ったり偉そうにしたりしながら、最後にはおいしいものを食べて丸く収まる話、くらいに思っていた。子どもというものは雑でよい。私もかなり雑だったのである。

ところが今見ると、毎回だいたい同じ型なのに、つい最後まで見てしまう。誰かが何かで困っている。職場がギスギスしている。親子仲が悪い。商売がうまくいかない。頑固者が意地を張っている。そういういろいろな問題が出てくるのだが、最終的には料理が出てきて、だいたい全部なんとかなるのである。すごい。そんなことがあるのかと思うが、あるのだから仕方がない。現実の世界では、煮物が出てきたからといって部長の性格が直ることはあまりない。しかし『美味しんぼ』の世界では直る。刺身ひとつで人生観まで変わる。料理の力が強すぎるのである。

この「料理だけで解決する」という流れを見ていると、昔読んだ昔話を思い出す。おじいさんが山へ芝刈りに行き、おばあさんが川へ洗濯に行く、あの感じである。様式美というのは強い。こっちはもう「はいはい、どうせ最後はなんか食べて心を入れ替えるんでしょう」と思いながら見ているのに、ちゃんと食べて、ちゃんと少し感動してしまう。私はずいぶん素直なのか、単純なのか、自分でもよくわからない。

それにしても、見ていて毎回気になるのは、昭和のサラリーマンの空気である。こんなに緩い感じで仕事していて大丈夫なのか、と心配になるほど緩い。もちろん忙しそうな顔はしているのだが、今のような、パソコンの画面を見つめながら無言で何かに追われている感じではない。ずいぶん長く席を立って話し込んでいるし、食べもののためにあちこち行くし、感情もすぐ顔に出す。上司も部下も、妙に人間くさい。会社なのに、どこか町内会みたいなのだ。

昭和ってスゲー時代だったんだな、と私は改めて思った。もちろん本当にあの通りだったかは知らない。たぶん現実は現実で大変だったのだろう。でも、少なくともアニメの中では、みんな仕事をしているのに、今より少しだけ人生にすき間があるように見える。そのすき間に、説教とかケンカとか、しみじみした食事とかが入り込んでくる。今だったら、会議の前にこんな長話をしていたら、「で、結論は?」と言われそうである。便利な言葉だが、あれを言われると人はだいたいしぼむ。私などはすぐしぼむ。干ししいたけくらいしぼむ。

そして、いちばんいいなと思うのは、子どももこれを面白がって見ていることである。今の子に昭和の会社員がどう映っているのかは知らないが、とりあえず料理の場面になるとちゃんと食いつく。やはり人間は、うまそうなものに弱いのだ。そこは時代が変わっても同じらしい。親としては、もっと教育に役立つ何かを一緒に見るべきなのかもしれないが、家族で「この世界、また料理で全部解決したね」と笑っていられるなら、それはそれで十分な気もする。

結局のところ、私は『美味しんぼ』を見て、昭和はすごいなあと感心し、料理は万能だなあと半分本気で思い、無料期間が終わる前に少しでも多く見ておこうとしている。なんともせこい話である。だが、人間なんてそのくらいでちょうどいいのだと思う。人生の問題が全部料理で片づくわけではないが、少なくともアニメを見ながら夕飯のことを考える時間は、なかなか悪くないのである。

車検 タイヤ交換 ディーラー 楽天タイヤで心が往復する話

車検が近づいてくると、私は少しだけ人相が悪くなる。べつに誰かに怒っているわけではないのに、なんとなく口がへの字になるのである。二年に一回しか来ないくせに、毎回きっちり憂鬱を連れてくるあたり、車検というものは妙に律儀だと思う。

最初のころは、車検といえば「車を見てもらって安全になるんだから、ありがたいことだ」と、わりと素直に考えていた。ところが何回か経験すると、ありがたさの横に「いくらかかるんだろう」という、いやに現実的な顔をした不安が並んで座るようになる。しかもその不安は、かなり場所をとる。

そしてだいたいこの時期になると、もうひとり、毎回顔を出す人物がいる。タイヤ交換である。人物ではないが、気持ちとしてはもう親戚みたいなものだ。「そろそろタイヤ交換も」と前回も言われた気がするし、その前も似たようなことを言われた気がする。タイヤというのは、いつ見ても黒くて丸いだけなのに、急に高級品みたいな顔をしてくるから油断ならない。

私は車のことがよくわからない。タイヤの溝がどうとか、ゴムがどうとか言われると、「なるほど」と言いながら、心の中ではほとんどわかっていない。たぶん学校の授業でも、わからないのにわかった顔をしていたタイプである。そういうところだけ成長していないのだ。

それで、ディーラーに頼むと高いんだよなあ、と思う。いや、高いといっても、ちゃんとしてくれる安心料みたいなものはあるのだろう。店もきれいだし、飲み物も出るし、待っているあいだに「大人のきちんとした買い物をしている人」みたいな気分になれる。けれどその気分に二万円以上の価値があるかと聞かれると、私は急に口数が少なくなるのである。お茶とクッキーで二万円は、さすがに高級すぎる。

そこで楽天タイヤを見る。こういう時の私は妙に熱心で、ふだん洋服ひとつ買うにもぐずぐずするくせに、タイヤの値段になると真顔で比較を始める。総額で九万円くらい。安くはない。でも、ディーラーより二万円以上高くなるなら、もう面倒でも楽天でやるかな、という気になる。「経験値だと思って」という言い方を自分でしていて、なんだそれはと思う。私はいつから、タイヤ交換を冒険みたいに考えるようになったのか。

>>楽天Carタイヤ交換
アフィリエイトリンクなので安心して踏んでもらっていい。なんならタイヤ買ってください。

経験値というのも、たいていは面倒くさいことの言い換えである。若いころは、知らない店に入るのも、新しいことをするのも、多少は胸が躍った。いまはもう、胸が躍る前に「ちゃんと予約できるかな」「当日迷わないかな」「変なサイズを選んでいたらどうしよう」が先に来る。だいぶ地味な人生である。でも地味な不安は、派手な不安よりしつこいのだ。

昔、家の近くの自転車屋で空気を入れてもらっただけなのに、ついでにあれこれ直されて、最後によくわからない笑顔でお金を払ったことがある。あの時の私は、完全に店の人の流れに乗せられていた。川を流れる葉っぱみたいなものだったと思う。車検のたびに、その時の葉っぱの私がうっすら蘇る。たぶん私は、乗り物のメンテナンスという場面で、自分の意思がかなり弱くなるのである。

とはいえ、安ければ正義というわけでもない。結局、安心したいし、損もしたくないし、できれば面倒も避けたい。全部ほしい。こういうのは本当に、私の小ささがよく出る。堂々と「安全のためなら払います」と言えたらかっこいいのだろうが、私は電卓をたたきながら、あっちを見たりこっちを見たりしている。安全も大事、でも二万円も大事。なんともせせこましいが、生活とはそういうものなのだと思う。

たぶん最終的には、値段と手間と気分を天秤にかけて、いちばん「まあいいか」と思えるところに決めるのだろう。車検もタイヤも、考え始めると大ごとみたいだが、終わってしまえばたいてい忘れる。そして二年後、また同じ顔で憂鬱になるのである。人は成長するとも言うが、こういう件に関しては、私はずっと同じ場所をくるくる回っている。

でもまあ、タイヤひとつでこんなに悩めるうちは、まだ平和なのかもしれない。そう思うことにした。たいした悟りではないが、どうせ丸いタイヤの話なのだから、結論もそのくらい丸くていいのである。

WESTERポイント38万ポイントを1年で使い切るという、地味に重たい課題

先日、私はスマホの画面を見ながら、静かに固まっていた。
何を見ていたのかというと、WESTERポイントの残高である。

385,928ポイント。

数字だけ見ると、なかなかの貯金に見える。
しかしこれは現金ではない。ポイントである。しかも期限付きのポイント。
期限は2027年3月31日。
つまり、あと約1年で使い切らなければならないのである。

こういうのを見ると、人は急に哲学的になる。
私はスマホを見ながら、ぼんやり思った。

「人はなぜ、使いきれないほどポイントを貯めてしまうのだろう」

ポイ活というものは、基本的に楽しい。
なぜなら、お金が増えている気がするからだ。
実際にはお金ではなくポイントなのだが、そこはまあ雰囲気である。

数年前、あるインフルエンサーがこう言っていた。

WESTERポイントは超絶お得です

新幹線で使えば
1ポイント=2円以上。

ホテルでもお得。

つまり、普通に使うのはもったいないのである。

私はその言葉を聞いた瞬間、膝を打った。
そして心の中で静かに決意した。

「貯めよう」

こうして私のWESTERポイント人生が始まったのである。

しかし人間というのは、目的を見失いやすい生き物である。

貯めているうちに、だんだん目的が
「お得に使う」から「とにかく貯める」に変わってくるのだ。

気づいたら38万ポイントになっていた。

これはなかなか壮観である。
ゲームで言うと、ラスボス直前の経験値みたいな数字だ。

しかし現実に戻ると、私はそんなに電車に乗らない。

月に数回くらいだろうか。

新幹線に至っては、
「年に数回乗るかもしれない」
くらいの頻度である。

つまり、こういうことになる。

とてもじゃないが使いきれない。

ポイントというのは不思議なもので、
使うときになると急にケチになる。

1ポイント=1円で使える場所はいくらでもある。
しかし私はそれがどうにも許せない。

なぜなら頭の中では

「1P=2円」

という幻が住んでいるからだ。

この幻はなかなか強力である。

たとえばコンビニで
「ポイントで払いますか?」
と聞かれると、私は心の中でこう思う。

いやいやいや。
それはダメだ。
それは敗北である。

ポイントを現金と同じ価値で使うなんて、
なんだか損した気がするのだ。

そこで私はこの悩みを妻に相談した。

「ポイントが38万ある」

すると妻は一言で答えた。

「米を買えば?」

実にシンプルである。

確かにその通りだ。
ポイントは普通に使える。
米だって買える。

だが問題はそこではない。

1P=1円では使いたくない。

この感情である。

我ながら面倒くさい人間だと思う。

しかしこういう葛藤は、
ポイ活をやっている人にはわりと共通しているのではないだろうか。

得をしたい。
しかし損はしたくない。

その結果どうなるかというと、

使えない。

ポイントとは、本来使うためにある。
それなのに、価値を最大化しようとすると逆に使えなくなる。

これはもう哲学と言っていい気がする。

ポイントとは何か。
得とは何か。
人生とは何か。

そこまで考えたところで、私はふと思った。

まあ、最悪の場合は
米を買えばいいのである。

38万ポイントあれば、
かなりの米が買える。

もしかすると私は、
この1年で日本一米をポイントで買う男になるかもしれない。

それはそれで、ちょっと面白い。

人生というのは、だいたいそんなものである。

食の軍師 崎陽軒 シウマイ弁当と私の脳内作戦会議

私は「軍師」という言葉に弱い。
別に戦国時代が好きというほどでもないし、三国志も詳しいわけではないのだが、「軍師」とつくと、なんだか急に話が立派になるのである。ふつうならただの迷いとか優柔不断とか言われそうなものでも、「軍師が策を練る」と言われると少しだけ頭が良さそうに聞こえる。実に都合のいい言葉なのだ。

さっき記事で「軍師」というキーワードを書いたせいで、私はふいに『食の軍師』を思い出してしまった。
あの漫画は実にいい。中年男がひとり飯をするたびに、頭の中で勝手に軍議を始めるのである。おでんも、蕎麦も、カレーも、ただ食べればそれで済む話なのに、いちいち攻略戦みたいになる。しかも本人はたいへん真剣なのに、見ているこちらからすると、だいたい大げさなのである。この「本人だけが大戦争」の感じが、なんともおかしい。

私はああいうものを見るたびに、他人事と思えない気持ちになる。
なぜなら私も、食べる前に無駄に考える人間だからである。

たとえば弁当ひとつ買うにしても、「今日は満足感を取るべきか、それとも軽さを優先するべきか」「今ここで揚げ物に行くと夜に後悔するのではないか」「いや、後悔を恐れていたら弁当など選べないのではないか」と、たいして必要でもない会議が頭の中で始まる。会議の参加者はもちろん私ひとりである。しかも結論が出るのは遅い。軍師というより、決断力のないおっさんである。

そして『食の軍師』のことを思い出すと、かなり高い確率で崎陽軒のシウマイ弁当が食べたくなる。
これがまた不思議なもので、あの弁当には人を作戦家にさせる何かがあるのだと思う。まず、どこから攻めるかで少し迷う。シウマイを先に行くか、後に残すか。筍煮をいつ挟むか。あんずは途中の気分転換に使うか、最後の締めに取っておくか。こうして書くと本当にどうでもいい話なのだが、食べる本人にとっては案外どうでもよくないのである。

私は昔から、シウマイ弁当のあの「全部が少しずつ気になる」感じに弱い。
主役はもちろんシウマイなのだが、脇役たちも妙に気が利いている。派手ではないのに、全員がちゃんと仕事をしている。学級委員みたいな弁当である。目立って騒ぐ者はいないが、全体のまとまりはやたら良い。あの俵型のご飯まで、きちんと並んでいてえらい。私の机の上の書類も、あれくらい整然としてほしいものだが、こちらはまったく統率が取れていない。

それにしても、『食の軍師』の本郷という人は、いつも脳内では堂々としているのに、現実では妙にうまくいかない。
ライバルの力石に勝手に張り合って、だいたい自分で転ぶ。あの感じもまた、私は少し身につまされる。人は歳を取ると落ち着くのかと思っていたが、実際には頭の中だけ立派になって、外側は案外そのままなのかもしれない。私だって、買い物前は完璧な計画を立てるのに、店に入ると余計なものを買っている。軍師不在である。

しかし、そういう無駄な妄想というのは、案外ばかにできない。
ただ弁当を食べるだけでも、「ここでシウマイを一つ温存」「今こそ筍で流れを変える」と勝手に考えていると、妙に楽しいのである。食事そのものより、その前後のくだらない脳内実況に味がある。人間の楽しみというのは、だいたいこういうものなのだと思う。役に立たないが、ちょっと嬉しい。

というわけで、私はまた崎陽軒のシウマイ弁当が食べたくなっている。
食べたところで天下は取れないし、別に何にも勝たないのだが、脳内でだけは立派な作戦が始まるだろう。
結局、食の軍師というのは、食事を楽しむための言い訳なのかもしれない。私にもたいへん必要な才能だと思う。

ぜひ買ってください(笑)

食の軍師(全8巻)

d払いタッチ 20%還元 3/19に早期終了 Visa割に続きお前もか……

私はわりと、ポイント還元というものに人生を預けがちな人間である。
スーパーの安売りにはそこまで走らないくせに、「20%還元」と書いてあると急に目の色が変わる。人間の欲というのは、実に細かいところで正直なのだと思う。

そんな私が、ひそかに大事な枠として取っておいたのが、d払いタッチの20%還元である。
3月2日から始まって、15,000円使えば3,000ポイント。しかもdポイント10%増量と組み合わせれば、なんだかものすごく賢い人みたいな立ち回りまでできる。こういう「うまくやれば得をする」という話に、私はたいへん弱い。自分が急に家計の軍師になったような気がするからである。実際は、コンビニでお菓子を買う時にニヤニヤしているだけなのだが。

ところがである。
その大事なd払いタッチが、3月19日で早期終了とのこと。
お前もか……という気持ちしか出てこない。
ブルータス……。

この「お前もか」は、昔、楽しみにしていた給食のデザートが、教室に着くころには欠品していた時の気持ちに少し似ている。私はあの頃から、どうも限定とか先着とかに弱いのである。早い者勝ちの世界では、たいてい出遅れる。そして後から「あのとき動いておけば」と、冷めた焼きそばパンみたいな後悔を噛むことになる。学ばない人間だと思う。

しかも今回は、Visa割に続いての早期終了ラッシュである。
こちらとしては、あれとこれを組み合わせて、1,000円以上はVisa、1,000円未満はd払いタッチ、さらに増量ポイントを出口にして……と、めずらしく脳みそを働かせていたのに、キャンペーンのほうが先に走って行ってしまう。計画を立てた人間だけが取り残される。なんともやるせない。

そもそもd払いタッチという名前も、少し油断ならない。
「d払い」とついているので、ふつうのd払いの仲間かと思えば、iDだったりVisaタッチだったり、しかもVisa割の対象外だったりする。親戚の集まりで見たことある顔なのに、名前と関係性が最後までよくわからない人みたいである。こちらは「お得」という一点だけを見て近づいているから、余計に混乱するのだ。

それでも私は、この手のキャンペーンを見るたびに思う。
現代の買い物は、もはや買うことそのものより、どう払うかのほうが長い。パンを一個買うのに、還元率と上限と対象外条件を確認している自分は、いったい何をしているのだろうと思う。でも、そこを考えている時間が少し楽しいのだから困る。趣味なのか節約なのか、もう自分でもわからない。

d払いタッチの20%還元は終わってしまう。
大事に温存していた枠は、だいたいこうして使う前に消える。人生もポイントも、「今度にしよう」と思ったものから先になくなるのかもしれない。などと少しだけ深いことを考えたが、たぶんそこまでの話ではない。

結局のところ、キャンペーンというものは、桜みたいなものなのである。
咲いているうちに見に行かないと終わる。
そして私はまた、次の還元を見つけては「今度こそ早めに使おう」と思うのだ。毎回そう思っているので、たぶん次も間に合わない。

大井町駅徒歩1分アワーズイン阪急宿泊記|HafH出張で朝ラー「いりこ屋」に心を持っていかれた話

出張というものは、たいてい私の中では「できれば家でじっとしていたい気持ち」との戦いである。仕事だから行くしかないのだが、心のどこかで「オンラインで済みませんかね」と、誰に言うでもなく思っている。ところが今回はちがった。新しいスーツを新調したのである。こうなると話は別だ。人間というのは、服が一着増えただけで、自分の人生まで少しだけ上向いたような気になるから不思議だ。単純でよろしい。

そんなわけで私は、いつもならわりと見送るタイプの東京出張に、妙に前向きな気分で向かうことになった。新しいスーツを着て新幹線なり飛行機なりに乗ると、それだけで「できる人」っぽい気がしてくる。実際には、鞄の中で充電コードがからまり、駅でちょっと方向を間違え、心の中は全然できていないのだが、見た目がそれっぽいと少しだけ気が楽なのである。スーツというのはすごい。中身のぼんやりした感じまで、うっすら包んでくれる。

宿は大井町駅徒歩1分の「アワーズイン阪急」にした。宣伝っぽいが、別に宣伝ではない。こちらとしても、勝手に気分が盛り上がっているだけである。今回はHafHのポイントがたまっていたので、それを使った。HafHというのは、事前にポイントを買っておく仕組みなのだが、これがどうにも宿の料金感にむらがある印象なのだ。ものすごくお得に見える宿と、「それは普通に予約したほうがよくないか」と思う宿が、同じ画面の中で肩を並べている。あの感じは、スーパーの見切り品コーナーの横に高級フルーツが並んでいるようなもので、見るたびに少し気持ちがざわつく。

では何を信じればいいのかというと、私は素直にランキングを信じている。おすすめとか特集とか、そういうものはどうも話がうますぎる気がして身構えてしまうが、ランキングはまだしも群衆の気配がある。みんなが「まあ、ここでいいんじゃないか」と思った跡が見える。派手ではないが実直だ。レコメンドよりもランキングである。人生の大事なことを言っているようで、実際は宿選びの話しかしていないのだが、私の中ではかなり本気でそう思っている。

もっとも、今回の私はホテルそのもの以上に、別のものに心を奪われていた。HafH内のレビューで見つけた「朝ラーが楽しめる『いりこ屋』」である。朝からラーメン。字面だけ見ると少し無茶な気もするが、「いりこラーメン」と書かれているのを見た瞬間、私は急にその店のことしか考えられなくなった。博多にいると、とんこつラーメンを食べる機会が多い。もちろんおいしい。おいしいのだが、人はたまに、いつも好きなものとは別の方向に首をひねりたくなる。白いごはんが好きな人でも、急にお茶漬けが食べたくなる日がある。ああいう感じだと思う。

それで私は、宿を予約したくせに、気持ちの半分くらいはもう「いりこ屋」に行っていた。食べログやら何やらも見た。人は楽しみな予定ができると、まだ行ってもいない店のレビューを何件も読んで、勝手に味を想像し、勝手に満足度を上げていく生き物である。しかも私は、その店で何を食べるかまで、かなり前のめりに考えていた。朝にラーメンを食べる自分。少し眠そうな顔で、でも内心はかなりうれしい自分。そういう映像だけは、もう完璧に頭の中で上映されていた。

考えてみれば、昔から私はこういうところがある。遠足の本番より、前日にお菓子を詰めている時間のほうが楽しい子どもだった。旅行も、荷物を入れているときが妙にうれしい。本番になると、ちょっと疲れる。人間としてどうなのかと思うが、もうこれはそういう体質なのだろう。目的地そのものより、そこへ向かって「何かありそう」と思っている時間に弱いのである。期待を食べて生きている節がある。実際の食事はそのあとである。

新しいスーツを着て東京に行き、駅徒歩1分のホテルに泊まり、朝は朝ラーを食べる。こう並べると、ずいぶんきちんとした大人の出張みたいである。しかしその実態は、「新しい服うれしい」「ホテル便利そう」「ラーメン食べたい」という、かなり正直で小さい欲望の寄せ集めなのだ。仕事よりラーメンのことを考えている瞬間があるのも、あまり胸を張れる話ではない。だが、そういうどうでもいい楽しみが一つあるだけで、出張の面倒くささが少し薄まるのだから、案外ばかにできない。

結局、人は立派な理由だけで動いているわけではないのだと思う。新しいスーツでも、ランキング上位のホテルでも、朝のいりこラーメンでもいい。そういう小さなニンジンを自分の前にぶら下げながら、なんとか日々を前に進めているのである。私もたぶん、その程度のことで十分なのだ。むしろその程度だから、ちょうどいいのかもしれない。出張の本当の目的は仕事なのだが、心の中ではもう、いりこがかなり勝っているのである。

JR西日本WESTERポイント全線フリーきっぷで中学生の卒業旅行|ローカル線と朝ドラ聖地・松江出雲を巡る息子の鉄道旅

先日、息子が一泊二日の鉄道旅から帰ってきた。
JR西日本のWESTERポイントで交換できる「全線フリーきっぷ」という、なんとも夢のあるきっぷを使った卒業旅行である。

中学校の卒業祝いに「どこか行きたいところある?」と聞いたら、即座に
「ローカル線に乗りたい」
ときたので、私は思わず笑ってしまった。普通ならテーマパークとか、せめて都会のショッピングモールとかを想像するのだが、うちの息子は電車なのである。

そんなわけで、博多から新大阪までの新幹線を含め、JR西日本のほとんどの電車に乗れるというフリーきっぷを用意した。
これがなかなか豪快なきっぷで、乗ろうと思えばかなり遠くまで行ける。

ただし私は内心、
「まあ、せいぜい岡山くらいまでじゃないのか」
と勝手に思っていた。

ところがである。

帰ってきた息子の話を聞くと、松江だの出雲だの、私の想像よりはるかに遠くまで行っているではないか。
しかもローカル線をいくつも乗り継ぎながら。

親戚の家にも一泊させてもらい、ちゃっかり旅の拠点まで確保している。
中学生のくせに、やけに旅慣れているのである。

松江では、いまNHKの朝ドラの舞台になっている小泉八雲の住まいも見てきたらしい。
写真も見せてもらったが、私は正直なところ、八雲の家よりも息子の撮ってきた電車の写真のほうが多いことのほうが気になった。

どこへ行っても、結局は電車なのである。

そういえば、私が中学生のころはどうだったかと思い出してみた。
たぶん休日は家でゴロゴロして、テレビを見たりゲームをしたりしていたはずだ。

遠くへ行こうなどという発想は、ほとんどなかった。
電車に乗るとしても、せいぜい近所のショッピングセンターである。

それに比べて息子は、時刻表を調べてルートを組み、ローカル線を乗り継いで知らない土地まで行ってしまう。
私は感心しつつ、少しだけ不思議な気分になった。

同じ親から生まれているはずなのに、この行動力の差はどこから来るのだろうか。

もしかすると、私は「面倒だな」と思うタイプで、息子は「面白そう」と思うタイプなのかもしれない。

そう考えると、人生はわりとシンプルにできている気がする。
面白そうと思った人はどこまでも行き、面倒だと思った人は家にとどまる。

私は長いあいだ、わりと家にとどまっている側の人間である。

もっとも、それが悪いとも思っていない。
家でゴロゴロするのも、それはそれでなかなか快適なのだ。

ただ、息子の旅の話を聞いていると、ローカル線というものに少し興味がわいてきた。
ゆっくり走る電車に乗って、知らない町の駅に降りるというのも、案外いいかもしれない。

とはいえ実際にやるかと言われると、たぶんやらない気もする。

私はきっと、
「いいなあ」
と思いながら、家のソファに座っているタイプなのである。

まあ、それはそれで悪くない人生だと思うのだ。

次はいつ「フリーきっぷは取れるのか?」。とのことだ。いいきっぷをありがとうJR西日本。

スマホでタッチでVisa割キャンペーン早期終了で、千円の壁に翻弄された私の話

衝撃のニュースというものは、たいていもっと大きな顔をしてやって来るものだと思っていた。たとえば政治とか災害とか、有名人の結婚とかである。ところがこのたび私のところへやって来た衝撃のニュースは、じつにこぢんまりしていた。「スマホで!タッチでVisa割キャンペーン!」が早期終了するというのである。なんだそんなことかと思う人もいるだろうが、私にとってはけっこうな事件だったのだ。

このキャンペーン、1回1000円以上の決済で抽選のキャッシュバックが受けられるという、なんとも人の心をくすぐる仕組みであった。抽選と聞くと、普段の私は急に世の中を信じなくなるくせに、還元率が高いと聞いたとたん、すぐ信じる。こういうところが私のだめなところなのである。たいして運もよくないのに、なぜか「今回はいける気がする」と思ってしまう。宝くじ売り場の前を通ると毎回ちょっとだけ夢を見る人間と、ほぼ同じ生き物だと思う。

それ以来、私は買い物のたびに「1000円」という数字に支配されるようになった。スーパーへ行って、合計が970円くらいだと落ち着かない。ここまで来たなら、あと30円、いやせっかくだからもう少し余裕を見て100円か200円足したい、という妙な欲が出る。欲というと聞こえはいいが、要するにキャッシュバックに釣られているのである。魚ならもう少し警戒心があるだろうと思う。

この「あと少し足したい病」は、昔、商店街の福引券を集めていたころとよく似ている。母が「あと一枚あればガラガラ回せる」と言い出すと、家じゅうが妙な空気になったものだ。たいして必要でもない豆腐だの洗剤だのを買って、ようやく一回まわせる権利を得る。そして当たるのは、だいたいポケットティッシュである。あのとき私は子どもながら、なんだか人生の仕組みを見た気がした。苦労して手に入るものは、だいたいポケットティッシュ級なのだ。

それなのに大人になった私は、形を変えた福引にまた参加していた。しかも今回はスマホである。文明が進んでも、やっていることはほとんど同じなのだ。レジ前で合計金額を見て、「うーん、あと200円分くらい何かないか」と売り場をうろつく自分は、かなりみっともない。別に誰も見ていないのに、私はなぜかちょっと急いでいるふうを装う。ほんとうは鮭フレークを買う理由など特にない。ただ1000円を超えたいだけである。そんな買い物をして帰宅し、冷蔵庫の奥に増えていく似たような品々を見ると、私は自分の小ささに感心する。人間はここまで小刻みに欲望を調整できるのだなと思う。

一方で、会計が1200円とか1300円になると、今度は「これはこれでうまく乗ったな」と妙な満足感がある。自分のお金で自分の物を買っているだけなのに、少し得したような顔をしてしまう。こういう顔はたぶん、誰に見せてもあまり尊敬されないと思う。

そんな日々が、2026年3月26日23時59分で終わるという。予算上限に達する見込みとのことで、大好評だったらしい。たしかに好評だろうと思う。私みたいな者まで、毎回きっちり金額を気にしていたのだから。しかし残念だなと思う半面、どこかほっとしている自分もいる。もう800円台の会計を見て、店内を二周しなくていいのである。もう「今これを買うと本当に得なのか、それともただ話をややこしくしているだけなのか」と悩まなくていいのだ。

キャンペーンが終わるだけで、こんなにも心が軽くなるとは思わなかった。得をしたい気持ちは、案外、得じゃないのかもしれない。私はそういうどうでもいい結論にたどりつき、たぶん明日も普通にスーパーへ行くのだと思う。そして合計金額が998円だったら、結局ちょっとだけ悔しいのだろう。人間とは、そういうものなのである。

楽天グループ 株主優待 無料SIMの紙を捨てた私の、うっかり節約失敗日記

このあいだ、家に届いた封筒をなんとなく開けて、なんとなく中を見て、なんとなく「あとで読もう」と思い、そしてなんとなく捨てた。私の「なんとなく」は、だいたいロクなことにならないのである。

あとになって、Xで「昨日今日くらいで届いている楽天グループの株主優待の通知は捨てないで!」という投稿を見た。捨てないで、と言われた時にはもう遅い。私はその投稿を見るまでもなく、すでに見事に捨てていたのである。早い。判断が早い。いらないほうにだけ。

楽天グループの株主優待というのは、100株持っていると楽天モバイルの回線が実質1年使えるとかなんとか、そういうたいへんありがたい話らしい。無料SIMだとか、通信費の節約だとか、聞くだけで家計の味方という感じがする。そういう得なものに限って、私はだいたい紙で来た時点で負けている。アプリの通知ならまだしも、紙になると急に「町内会のお知らせ」みたいな顔をしてくるから油断するのだ。

しかも今回は、ただの案内ではなくて、申し込みに必要なIDやパスワードが書いてある紙だったらしい。継続の人も手続きが必要だという。そんな大事なことを、あんな普通の顔をした紙に書かないでほしいと思う。もっとこう、金色にするとか、封筒に「あなたが捨てると損します」とでも書いておいてほしい。いや、たぶん書いてあっても私は捨てるかもしれない。自分を買いかぶってはいけない。

あわててゴミ箱をあさった。ゴミ箱をあさる自分の姿というのは、なかなか人に見せられるものではない。株主優待を受ける人というのは、もう少し落ち着いた顔で暮らしているのかと思っていたが、実際はゴミ袋の中で「あれか、これか」と紙を引っぱり出している。優待以前に生活を優待してほしい。

なんとかその紙は発見された。よかったよかったと思って手続きを進めようとしたところ、今度はマイナンバーカードの電子認証の有効期限が切れていた。ここで私は少し笑ってしまった。いや、笑うところではないのだが、もう笑うしかないのである。紙を捨て、掘り出し、本人確認でつまずく。この流れの悪さは、朝から張り切って出かけたのに財布を忘れて駅まで行く感じに似ている。いや、もっと地味でみじめかもしれない。

私は昔から、何かを一個忘れると芋づる式にいろいろ忘れていることが多い。学校のころも、体操服を持っていく日に限って赤白帽を忘れ、赤白帽を持っていく日に限って上履きを忘れていた。準備をしたつもりで、いちばん大事なところが抜けている。そういうポンコツ気質は、年を重ねてもわりと元気に生き続けているようだ。成長とは何なのだろうと思う。

それにしても、電子認証の有効期限というものは、絶妙に忘れる。カード自体の期限とは別に、ああいう見えにくい期限があるのがいかにも役所っぽい。冷蔵庫の奥でしずかに期限切れしている納豆のようである。見ればわかるのに、見ないから気づかない。そして気づいた時には、ちょっと面倒なことになっている。

こういうことがあるたびに、私は「ちゃんとした大人になろう」と一瞬だけ思う。でも一瞬だけなので、たぶんあまり効いていない。大人になってずいぶん経つのに、いまだに「今週中にでも役所いこう」と、夏休みの宿題みたいなことを言っている。役所も別に逃げないのだが、私のやる気はすぐ逃げる。

とりあえず今週中には行こうと思う。こういうのは、思っているうちが花である。無料SIMひとつもらうのに、ここまで自分のダメさを確認することになるとは思わなかったが、まあ、通信費の節約というのは、たぶんこういう小さい面倒に耐える人だけが手にできるのだろう。

私はその入口で、いったんゴミ箱に落ちたのである。

参考記事: 楽天グループ株主優待で楽天モバイル回線が1年無料 2026年の無料回線の条件と取得方法