人には、好きだったはずなのに、すっかり忘れてしまうものがある。私にとってそれはキャンプだった。そんな大事なことを忘れるものかと思うが、忘れるのである。しかも数年単位で、きれいさっぱり忘れていた。まるで、押し入れの奥にしまったホットプレートのように、存在は知っているのに、ないものとして暮らしていたのだ。
子どもが小さいころは、ずいぶんキャンプに行ったものだった。子どもと、その友達家族と、わいわいにぎやかに出かけて、気づけばテントの数よりイスの数のほうが多いような、そんなキャンプである。子どもは走り回り、大人は肉を焼き、誰かが虫に騒ぎ、誰かが炭に苦戦する。あれはあれで、たいへんだったが楽しかった。
しかし子どもというものは、こちらの都合など気にせず成長する。中学生ともなると、土日にはそれぞれ何かしら予定が入るようになる。部活だの、友達との約束だの、よくわからない用事だの、とにかく親と一緒に「さあキャンプでも」とはいかなくなる。そうして私は、キャンプが好きだったこと自体を、うっかり忘れていたのである。なんとも薄情な話だ。
そんなさなか、仕事の関係者から「キャンプに行きたい」と誘われた。なんとなく軽い調子の話だったのだが、気がつけば本当に行くことになり、おじさん3人でキャンプに行くという、少し説明しづらい集まりが成立した。しかも、道具を持っているのは私だけで、ほかの二人はたいへん身軽だった。身軽というか、ほぼ手ぶらである。キャンプというのは、本来もう少し各自に責任がある遊びのはずだが、そのへんはふわっと始まった。
そこで私は、家の中のあちこちを探し回り、キャンプ道具を引っ張り出した。ランタン、テーブル、バーナー、ダッチオーブン。久しぶりに見る道具たちは、どれも「まだ使う気あったのか」という顔をしていた。私も同じ気持ちだった。キャンプ好きだったことを忘れていたくらいだから、道具の置き場所も半分くらい忘れていたのである。
行ったのはキャンプなぎの木 大野城ベース。太宰府インターから車で約5分という立地で、福岡市内からでも小一時間ほどで行ける。この手軽さはかなりよい。キャンプというと、自然を求めて山奥まで行き、たどり着くころにはすでに疲れている、ということもあるが、ここはそこまで気負わなくていい。自然はほしいが、遠すぎるのは困るという、少々わがままな大人にはちょうどよい場所なのである。
今回はリクエストもあり、鳥の丸焼きをダッチオーブンで作った。文字にすると急に本格派である。おじさん3人の集まりなのに、料理だけ妙にイベント性が高い。丸ごとの鳥というのは、それだけで少し特別感がある。普段の食卓ではなかなか登場しない姿なので、見た目の迫力もあるし、なんとなく場も盛り上がる。ダッチオーブンのふたを開けるときの、あの「ちゃんとできていてくれ」という緊張感は、何歳になってもよいものだ。無事にそれらしく焼けていたときには、たいしたことを成し遂げたわけでもないのに、妙に誇らしい気持ちになった。
考えてみれば、おじさん3人でキャンプというのは、少し奇妙である。若者でもなく、家族連れでもなく、それぞれまあまあの年齢の男が3人、自然の中で火を囲んでいるのだから、客観的に見ればなかなか味わい深い光景だったと思う。だが実際にやってみると、これがなかなか楽しい。変に気を使いすぎることもなく、かといって無言すぎることもなく、ただ火を見て、食べて、しゃべっているだけで時間が過ぎる。大人になると、こういう「特に意味はないが楽しい時間」は案外貴重なのだと思う。
それにしても私は、好きだったものを忘れていたのだから、ずいぶんもったいない数年を過ごしたものである。もっと早く思い出していればよかったとも思うが、人間はだいたい何かきっかけがないと思い出せない。押し入れの奥の道具も、使ってみればちゃんと役に立つし、自分もまだそれなりに動ける。そういうことが確認できただけでも、今回のキャンプは収穫だった。
今度は小学生の三男と一緒に行くのもいいなと思っている。子どもが大きくなると、親と出かける時間はだんだん減っていく。だから行けるうちに行っておいたほうがよいのだろう。まあ、そう思いながらまた先延ばしにするのが私なのだが、せっかくキャンプ好きだったことを思い出したのだから、今度は忘れないうちに火をおこしたいものである。

