食の軍師 崎陽軒 シウマイ弁当と私の脳内作戦会議

私は「軍師」という言葉に弱い。
別に戦国時代が好きというほどでもないし、三国志も詳しいわけではないのだが、「軍師」とつくと、なんだか急に話が立派になるのである。ふつうならただの迷いとか優柔不断とか言われそうなものでも、「軍師が策を練る」と言われると少しだけ頭が良さそうに聞こえる。実に都合のいい言葉なのだ。

さっき記事で「軍師」というキーワードを書いたせいで、私はふいに『食の軍師』を思い出してしまった。
あの漫画は実にいい。中年男がひとり飯をするたびに、頭の中で勝手に軍議を始めるのである。おでんも、蕎麦も、カレーも、ただ食べればそれで済む話なのに、いちいち攻略戦みたいになる。しかも本人はたいへん真剣なのに、見ているこちらからすると、だいたい大げさなのである。この「本人だけが大戦争」の感じが、なんともおかしい。

私はああいうものを見るたびに、他人事と思えない気持ちになる。
なぜなら私も、食べる前に無駄に考える人間だからである。

たとえば弁当ひとつ買うにしても、「今日は満足感を取るべきか、それとも軽さを優先するべきか」「今ここで揚げ物に行くと夜に後悔するのではないか」「いや、後悔を恐れていたら弁当など選べないのではないか」と、たいして必要でもない会議が頭の中で始まる。会議の参加者はもちろん私ひとりである。しかも結論が出るのは遅い。軍師というより、決断力のないおっさんである。

そして『食の軍師』のことを思い出すと、かなり高い確率で崎陽軒のシウマイ弁当が食べたくなる。
これがまた不思議なもので、あの弁当には人を作戦家にさせる何かがあるのだと思う。まず、どこから攻めるかで少し迷う。シウマイを先に行くか、後に残すか。筍煮をいつ挟むか。あんずは途中の気分転換に使うか、最後の締めに取っておくか。こうして書くと本当にどうでもいい話なのだが、食べる本人にとっては案外どうでもよくないのである。

私は昔から、シウマイ弁当のあの「全部が少しずつ気になる」感じに弱い。
主役はもちろんシウマイなのだが、脇役たちも妙に気が利いている。派手ではないのに、全員がちゃんと仕事をしている。学級委員みたいな弁当である。目立って騒ぐ者はいないが、全体のまとまりはやたら良い。あの俵型のご飯まで、きちんと並んでいてえらい。私の机の上の書類も、あれくらい整然としてほしいものだが、こちらはまったく統率が取れていない。

それにしても、『食の軍師』の本郷という人は、いつも脳内では堂々としているのに、現実では妙にうまくいかない。
ライバルの力石に勝手に張り合って、だいたい自分で転ぶ。あの感じもまた、私は少し身につまされる。人は歳を取ると落ち着くのかと思っていたが、実際には頭の中だけ立派になって、外側は案外そのままなのかもしれない。私だって、買い物前は完璧な計画を立てるのに、店に入ると余計なものを買っている。軍師不在である。

しかし、そういう無駄な妄想というのは、案外ばかにできない。
ただ弁当を食べるだけでも、「ここでシウマイを一つ温存」「今こそ筍で流れを変える」と勝手に考えていると、妙に楽しいのである。食事そのものより、その前後のくだらない脳内実況に味がある。人間の楽しみというのは、だいたいこういうものなのだと思う。役に立たないが、ちょっと嬉しい。

というわけで、私はまた崎陽軒のシウマイ弁当が食べたくなっている。
食べたところで天下は取れないし、別に何にも勝たないのだが、脳内でだけは立派な作戦が始まるだろう。
結局、食の軍師というのは、食事を楽しむための言い訳なのかもしれない。私にもたいへん必要な才能だと思う。

ぜひ買ってください(笑)

食の軍師(全8巻)

d払いタッチ 20%還元 3/19に早期終了 Visa割に続きお前もか……

私はわりと、ポイント還元というものに人生を預けがちな人間である。
スーパーの安売りにはそこまで走らないくせに、「20%還元」と書いてあると急に目の色が変わる。人間の欲というのは、実に細かいところで正直なのだと思う。

そんな私が、ひそかに大事な枠として取っておいたのが、d払いタッチの20%還元である。
3月2日から始まって、15,000円使えば3,000ポイント。しかもdポイント10%増量と組み合わせれば、なんだかものすごく賢い人みたいな立ち回りまでできる。こういう「うまくやれば得をする」という話に、私はたいへん弱い。自分が急に家計の軍師になったような気がするからである。実際は、コンビニでお菓子を買う時にニヤニヤしているだけなのだが。

ところがである。
その大事なd払いタッチが、3月19日で早期終了とのこと。
お前もか……という気持ちしか出てこない。
ブルータス……。

この「お前もか」は、昔、楽しみにしていた給食のデザートが、教室に着くころには欠品していた時の気持ちに少し似ている。私はあの頃から、どうも限定とか先着とかに弱いのである。早い者勝ちの世界では、たいてい出遅れる。そして後から「あのとき動いておけば」と、冷めた焼きそばパンみたいな後悔を噛むことになる。学ばない人間だと思う。

しかも今回は、Visa割に続いての早期終了ラッシュである。
こちらとしては、あれとこれを組み合わせて、1,000円以上はVisa、1,000円未満はd払いタッチ、さらに増量ポイントを出口にして……と、めずらしく脳みそを働かせていたのに、キャンペーンのほうが先に走って行ってしまう。計画を立てた人間だけが取り残される。なんともやるせない。

そもそもd払いタッチという名前も、少し油断ならない。
「d払い」とついているので、ふつうのd払いの仲間かと思えば、iDだったりVisaタッチだったり、しかもVisa割の対象外だったりする。親戚の集まりで見たことある顔なのに、名前と関係性が最後までよくわからない人みたいである。こちらは「お得」という一点だけを見て近づいているから、余計に混乱するのだ。

それでも私は、この手のキャンペーンを見るたびに思う。
現代の買い物は、もはや買うことそのものより、どう払うかのほうが長い。パンを一個買うのに、還元率と上限と対象外条件を確認している自分は、いったい何をしているのだろうと思う。でも、そこを考えている時間が少し楽しいのだから困る。趣味なのか節約なのか、もう自分でもわからない。

d払いタッチの20%還元は終わってしまう。
大事に温存していた枠は、だいたいこうして使う前に消える。人生もポイントも、「今度にしよう」と思ったものから先になくなるのかもしれない。などと少しだけ深いことを考えたが、たぶんそこまでの話ではない。

結局のところ、キャンペーンというものは、桜みたいなものなのである。
咲いているうちに見に行かないと終わる。
そして私はまた、次の還元を見つけては「今度こそ早めに使おう」と思うのだ。毎回そう思っているので、たぶん次も間に合わない。

大井町駅徒歩1分アワーズイン阪急宿泊記|HafH出張で朝ラー「いりこ屋」に心を持っていかれた話

出張というものは、たいてい私の中では「できれば家でじっとしていたい気持ち」との戦いである。仕事だから行くしかないのだが、心のどこかで「オンラインで済みませんかね」と、誰に言うでもなく思っている。ところが今回はちがった。新しいスーツを新調したのである。こうなると話は別だ。人間というのは、服が一着増えただけで、自分の人生まで少しだけ上向いたような気になるから不思議だ。単純でよろしい。

そんなわけで私は、いつもならわりと見送るタイプの東京出張に、妙に前向きな気分で向かうことになった。新しいスーツを着て新幹線なり飛行機なりに乗ると、それだけで「できる人」っぽい気がしてくる。実際には、鞄の中で充電コードがからまり、駅でちょっと方向を間違え、心の中は全然できていないのだが、見た目がそれっぽいと少しだけ気が楽なのである。スーツというのはすごい。中身のぼんやりした感じまで、うっすら包んでくれる。

宿は大井町駅徒歩1分の「アワーズイン阪急」にした。宣伝っぽいが、別に宣伝ではない。こちらとしても、勝手に気分が盛り上がっているだけである。今回はHafHのポイントがたまっていたので、それを使った。HafHというのは、事前にポイントを買っておく仕組みなのだが、これがどうにも宿の料金感にむらがある印象なのだ。ものすごくお得に見える宿と、「それは普通に予約したほうがよくないか」と思う宿が、同じ画面の中で肩を並べている。あの感じは、スーパーの見切り品コーナーの横に高級フルーツが並んでいるようなもので、見るたびに少し気持ちがざわつく。

では何を信じればいいのかというと、私は素直にランキングを信じている。おすすめとか特集とか、そういうものはどうも話がうますぎる気がして身構えてしまうが、ランキングはまだしも群衆の気配がある。みんなが「まあ、ここでいいんじゃないか」と思った跡が見える。派手ではないが実直だ。レコメンドよりもランキングである。人生の大事なことを言っているようで、実際は宿選びの話しかしていないのだが、私の中ではかなり本気でそう思っている。

もっとも、今回の私はホテルそのもの以上に、別のものに心を奪われていた。HafH内のレビューで見つけた「朝ラーが楽しめる『いりこ屋』」である。朝からラーメン。字面だけ見ると少し無茶な気もするが、「いりこラーメン」と書かれているのを見た瞬間、私は急にその店のことしか考えられなくなった。博多にいると、とんこつラーメンを食べる機会が多い。もちろんおいしい。おいしいのだが、人はたまに、いつも好きなものとは別の方向に首をひねりたくなる。白いごはんが好きな人でも、急にお茶漬けが食べたくなる日がある。ああいう感じだと思う。

それで私は、宿を予約したくせに、気持ちの半分くらいはもう「いりこ屋」に行っていた。食べログやら何やらも見た。人は楽しみな予定ができると、まだ行ってもいない店のレビューを何件も読んで、勝手に味を想像し、勝手に満足度を上げていく生き物である。しかも私は、その店で何を食べるかまで、かなり前のめりに考えていた。朝にラーメンを食べる自分。少し眠そうな顔で、でも内心はかなりうれしい自分。そういう映像だけは、もう完璧に頭の中で上映されていた。

考えてみれば、昔から私はこういうところがある。遠足の本番より、前日にお菓子を詰めている時間のほうが楽しい子どもだった。旅行も、荷物を入れているときが妙にうれしい。本番になると、ちょっと疲れる。人間としてどうなのかと思うが、もうこれはそういう体質なのだろう。目的地そのものより、そこへ向かって「何かありそう」と思っている時間に弱いのである。期待を食べて生きている節がある。実際の食事はそのあとである。

新しいスーツを着て東京に行き、駅徒歩1分のホテルに泊まり、朝は朝ラーを食べる。こう並べると、ずいぶんきちんとした大人の出張みたいである。しかしその実態は、「新しい服うれしい」「ホテル便利そう」「ラーメン食べたい」という、かなり正直で小さい欲望の寄せ集めなのだ。仕事よりラーメンのことを考えている瞬間があるのも、あまり胸を張れる話ではない。だが、そういうどうでもいい楽しみが一つあるだけで、出張の面倒くささが少し薄まるのだから、案外ばかにできない。

結局、人は立派な理由だけで動いているわけではないのだと思う。新しいスーツでも、ランキング上位のホテルでも、朝のいりこラーメンでもいい。そういう小さなニンジンを自分の前にぶら下げながら、なんとか日々を前に進めているのである。私もたぶん、その程度のことで十分なのだ。むしろその程度だから、ちょうどいいのかもしれない。出張の本当の目的は仕事なのだが、心の中ではもう、いりこがかなり勝っているのである。

JR西日本WESTERポイント全線フリーきっぷで中学生の卒業旅行|ローカル線と朝ドラ聖地・松江出雲を巡る息子の鉄道旅

先日、息子が一泊二日の鉄道旅から帰ってきた。
JR西日本のWESTERポイントで交換できる「全線フリーきっぷ」という、なんとも夢のあるきっぷを使った卒業旅行である。

中学校の卒業祝いに「どこか行きたいところある?」と聞いたら、即座に
「ローカル線に乗りたい」
ときたので、私は思わず笑ってしまった。普通ならテーマパークとか、せめて都会のショッピングモールとかを想像するのだが、うちの息子は電車なのである。

そんなわけで、博多から新大阪までの新幹線を含め、JR西日本のほとんどの電車に乗れるというフリーきっぷを用意した。
これがなかなか豪快なきっぷで、乗ろうと思えばかなり遠くまで行ける。

ただし私は内心、
「まあ、せいぜい岡山くらいまでじゃないのか」
と勝手に思っていた。

ところがである。

帰ってきた息子の話を聞くと、松江だの出雲だの、私の想像よりはるかに遠くまで行っているではないか。
しかもローカル線をいくつも乗り継ぎながら。

親戚の家にも一泊させてもらい、ちゃっかり旅の拠点まで確保している。
中学生のくせに、やけに旅慣れているのである。

松江では、いまNHKの朝ドラの舞台になっている小泉八雲の住まいも見てきたらしい。
写真も見せてもらったが、私は正直なところ、八雲の家よりも息子の撮ってきた電車の写真のほうが多いことのほうが気になった。

どこへ行っても、結局は電車なのである。

そういえば、私が中学生のころはどうだったかと思い出してみた。
たぶん休日は家でゴロゴロして、テレビを見たりゲームをしたりしていたはずだ。

遠くへ行こうなどという発想は、ほとんどなかった。
電車に乗るとしても、せいぜい近所のショッピングセンターである。

それに比べて息子は、時刻表を調べてルートを組み、ローカル線を乗り継いで知らない土地まで行ってしまう。
私は感心しつつ、少しだけ不思議な気分になった。

同じ親から生まれているはずなのに、この行動力の差はどこから来るのだろうか。

もしかすると、私は「面倒だな」と思うタイプで、息子は「面白そう」と思うタイプなのかもしれない。

そう考えると、人生はわりとシンプルにできている気がする。
面白そうと思った人はどこまでも行き、面倒だと思った人は家にとどまる。

私は長いあいだ、わりと家にとどまっている側の人間である。

もっとも、それが悪いとも思っていない。
家でゴロゴロするのも、それはそれでなかなか快適なのだ。

ただ、息子の旅の話を聞いていると、ローカル線というものに少し興味がわいてきた。
ゆっくり走る電車に乗って、知らない町の駅に降りるというのも、案外いいかもしれない。

とはいえ実際にやるかと言われると、たぶんやらない気もする。

私はきっと、
「いいなあ」
と思いながら、家のソファに座っているタイプなのである。

まあ、それはそれで悪くない人生だと思うのだ。

次はいつ「フリーきっぷは取れるのか?」。とのことだ。いいきっぷをありがとうJR西日本。

スマホでタッチでVisa割キャンペーン早期終了で、千円の壁に翻弄された私の話

衝撃のニュースというものは、たいていもっと大きな顔をしてやって来るものだと思っていた。たとえば政治とか災害とか、有名人の結婚とかである。ところがこのたび私のところへやって来た衝撃のニュースは、じつにこぢんまりしていた。「スマホで!タッチでVisa割キャンペーン!」が早期終了するというのである。なんだそんなことかと思う人もいるだろうが、私にとってはけっこうな事件だったのだ。

このキャンペーン、1回1000円以上の決済で抽選のキャッシュバックが受けられるという、なんとも人の心をくすぐる仕組みであった。抽選と聞くと、普段の私は急に世の中を信じなくなるくせに、還元率が高いと聞いたとたん、すぐ信じる。こういうところが私のだめなところなのである。たいして運もよくないのに、なぜか「今回はいける気がする」と思ってしまう。宝くじ売り場の前を通ると毎回ちょっとだけ夢を見る人間と、ほぼ同じ生き物だと思う。

それ以来、私は買い物のたびに「1000円」という数字に支配されるようになった。スーパーへ行って、合計が970円くらいだと落ち着かない。ここまで来たなら、あと30円、いやせっかくだからもう少し余裕を見て100円か200円足したい、という妙な欲が出る。欲というと聞こえはいいが、要するにキャッシュバックに釣られているのである。魚ならもう少し警戒心があるだろうと思う。

この「あと少し足したい病」は、昔、商店街の福引券を集めていたころとよく似ている。母が「あと一枚あればガラガラ回せる」と言い出すと、家じゅうが妙な空気になったものだ。たいして必要でもない豆腐だの洗剤だのを買って、ようやく一回まわせる権利を得る。そして当たるのは、だいたいポケットティッシュである。あのとき私は子どもながら、なんだか人生の仕組みを見た気がした。苦労して手に入るものは、だいたいポケットティッシュ級なのだ。

それなのに大人になった私は、形を変えた福引にまた参加していた。しかも今回はスマホである。文明が進んでも、やっていることはほとんど同じなのだ。レジ前で合計金額を見て、「うーん、あと200円分くらい何かないか」と売り場をうろつく自分は、かなりみっともない。別に誰も見ていないのに、私はなぜかちょっと急いでいるふうを装う。ほんとうは鮭フレークを買う理由など特にない。ただ1000円を超えたいだけである。そんな買い物をして帰宅し、冷蔵庫の奥に増えていく似たような品々を見ると、私は自分の小ささに感心する。人間はここまで小刻みに欲望を調整できるのだなと思う。

一方で、会計が1200円とか1300円になると、今度は「これはこれでうまく乗ったな」と妙な満足感がある。自分のお金で自分の物を買っているだけなのに、少し得したような顔をしてしまう。こういう顔はたぶん、誰に見せてもあまり尊敬されないと思う。

そんな日々が、2026年3月26日23時59分で終わるという。予算上限に達する見込みとのことで、大好評だったらしい。たしかに好評だろうと思う。私みたいな者まで、毎回きっちり金額を気にしていたのだから。しかし残念だなと思う半面、どこかほっとしている自分もいる。もう800円台の会計を見て、店内を二周しなくていいのである。もう「今これを買うと本当に得なのか、それともただ話をややこしくしているだけなのか」と悩まなくていいのだ。

キャンペーンが終わるだけで、こんなにも心が軽くなるとは思わなかった。得をしたい気持ちは、案外、得じゃないのかもしれない。私はそういうどうでもいい結論にたどりつき、たぶん明日も普通にスーパーへ行くのだと思う。そして合計金額が998円だったら、結局ちょっとだけ悔しいのだろう。人間とは、そういうものなのである。

楽天グループ 株主優待 無料SIMの紙を捨てた私の、うっかり節約失敗日記

このあいだ、家に届いた封筒をなんとなく開けて、なんとなく中を見て、なんとなく「あとで読もう」と思い、そしてなんとなく捨てた。私の「なんとなく」は、だいたいロクなことにならないのである。

あとになって、Xで「昨日今日くらいで届いている楽天グループの株主優待の通知は捨てないで!」という投稿を見た。捨てないで、と言われた時にはもう遅い。私はその投稿を見るまでもなく、すでに見事に捨てていたのである。早い。判断が早い。いらないほうにだけ。

楽天グループの株主優待というのは、100株持っていると楽天モバイルの回線が実質1年使えるとかなんとか、そういうたいへんありがたい話らしい。無料SIMだとか、通信費の節約だとか、聞くだけで家計の味方という感じがする。そういう得なものに限って、私はだいたい紙で来た時点で負けている。アプリの通知ならまだしも、紙になると急に「町内会のお知らせ」みたいな顔をしてくるから油断するのだ。

しかも今回は、ただの案内ではなくて、申し込みに必要なIDやパスワードが書いてある紙だったらしい。継続の人も手続きが必要だという。そんな大事なことを、あんな普通の顔をした紙に書かないでほしいと思う。もっとこう、金色にするとか、封筒に「あなたが捨てると損します」とでも書いておいてほしい。いや、たぶん書いてあっても私は捨てるかもしれない。自分を買いかぶってはいけない。

あわててゴミ箱をあさった。ゴミ箱をあさる自分の姿というのは、なかなか人に見せられるものではない。株主優待を受ける人というのは、もう少し落ち着いた顔で暮らしているのかと思っていたが、実際はゴミ袋の中で「あれか、これか」と紙を引っぱり出している。優待以前に生活を優待してほしい。

なんとかその紙は発見された。よかったよかったと思って手続きを進めようとしたところ、今度はマイナンバーカードの電子認証の有効期限が切れていた。ここで私は少し笑ってしまった。いや、笑うところではないのだが、もう笑うしかないのである。紙を捨て、掘り出し、本人確認でつまずく。この流れの悪さは、朝から張り切って出かけたのに財布を忘れて駅まで行く感じに似ている。いや、もっと地味でみじめかもしれない。

私は昔から、何かを一個忘れると芋づる式にいろいろ忘れていることが多い。学校のころも、体操服を持っていく日に限って赤白帽を忘れ、赤白帽を持っていく日に限って上履きを忘れていた。準備をしたつもりで、いちばん大事なところが抜けている。そういうポンコツ気質は、年を重ねてもわりと元気に生き続けているようだ。成長とは何なのだろうと思う。

それにしても、電子認証の有効期限というものは、絶妙に忘れる。カード自体の期限とは別に、ああいう見えにくい期限があるのがいかにも役所っぽい。冷蔵庫の奥でしずかに期限切れしている納豆のようである。見ればわかるのに、見ないから気づかない。そして気づいた時には、ちょっと面倒なことになっている。

こういうことがあるたびに、私は「ちゃんとした大人になろう」と一瞬だけ思う。でも一瞬だけなので、たぶんあまり効いていない。大人になってずいぶん経つのに、いまだに「今週中にでも役所いこう」と、夏休みの宿題みたいなことを言っている。役所も別に逃げないのだが、私のやる気はすぐ逃げる。

とりあえず今週中には行こうと思う。こういうのは、思っているうちが花である。無料SIMひとつもらうのに、ここまで自分のダメさを確認することになるとは思わなかったが、まあ、通信費の節約というのは、たぶんこういう小さい面倒に耐える人だけが手にできるのだろう。

私はその入口で、いったんゴミ箱に落ちたのである。

参考記事: 楽天グループ株主優待で楽天モバイル回線が1年無料 2026年の無料回線の条件と取得方法 

ベランダ菜園の植え替えと掃除で終わる日曜日、越冬ハーブの妙な生命力

少し暖かくなってくると、冬のあいだ見て見ぬふりをしていたものを、急に確認したくなる。部屋のすみのほこりとか、着ないまま放ってある服とか、ベランダの植木鉢とか。人はなぜ、寒い時期にはあれほど現実から目をそらせるのだろうか。寒いというだけで、だいたいのことは「また今度」で済ませられるのである。冬は言い訳の王様だと思う。

うちのベランダにも、そんな「また今度」を押しつけられていた鉢がいくつかあった。イタリアンパセリとタラゴンとタイムである。名前だけ並べると、うちのベランダだけ妙にしゃれた料理研究家の家みたいだが、実際は洗濯ばさみが一個落ちていたり、風で飛んできた葉っぱがすみにたまっていたりする、生活感たっぷりの場所である。

冬のあいだ、私はそのハーブたちをほぼ放置していた。ほぼ、というか、かなり放置していた。水やりも「今日じゃなくても大丈夫そうだな」と何度も先送りし、見た目もだいぶ地味になっていたので、正直もうだめかもしれないと思っていた。植物を育てていると言うには、あまりにも胸を張れない態度だったと思う。育てているというより、同じ家に住んでいるだけである。

それが、少し暖かくなった日にふと思い出して見てみたら、なんと越冬していたようなのである。あの寒さを、あの細い葉っぱたちが、黙ってやり過ごしていたのかと思うと、ちょっと感心した。私は冬になると、布団から出るだけでひと仕事なのに、タイムなんかは何も言わずにそこにいた。えらい。いや、比べる相手が私では、たいがいのものはえらく見えるのだが。

越冬していたとわかると、急にこちらも態度が変わる。昨日まで半分あきらめていたくせに、「これはちゃんとしないといけない」と思い出すのである。現金なものである。私はさっそくホームセンターへ土を買いに行った。こういう時のホームセンターという場所は、妙に人をやる気にさせる。土、肥料、鉢、スコップ、名も知らない便利そうな道具。見ていると、自分がものすごく園芸のできる人間になったような気分になるのだ。

しかし実際の私は、土を前にして「どれがいちばんふつうの土なのだろう」としばらく立ち止まる程度の人間である。ハーブ用と書いてあれば安心し、花と野菜の土と書いてあれば、ハーブは花なのか野菜なのか少し迷う。毎回こんな感じなのに、なぜかホームセンターではベテランの顔をして歩いてしまう。たぶん、土売り場にいる人はみんな少しだけ見栄を張っていると思う。

土を買って帰り、植え替え作業をした。鉢から出した根を見ると、植物がちゃんと生きている感じがしておもしろい。地上ではあんなに静かなのに、下では案外たくましくやっているのだなと思う。人間もこういうふうに、見えないところでちゃんとしている部分だけを評価されたら、だいぶ気楽なのにと思った。表面でぼんやりしていても、「でも根は張ってますから」と言えたら便利である。

ついでにベランダも掃除した。植え替えだけで終わればよかったのに、土いじりを始めると、まわりの汚れが急に気になってくる。ひとつ片づけると別のだらしなさが見えてくるのは、掃除でも人生でも同じである。あまり広げて考えると面倒なので、人生のことは脇に置いて、私は黙ってベランダのすみのゴミを集めた。

そういえば子どものころも、部屋の片づけをしている最中によく昔のノートや漫画を読み始めてしまい、ぜんぜん進まなかった。掃除というのは、何か別のことを思い出させる力があるらしい。今回も途中で、昔、母が植木鉢を並べて何か育てていたことを思い出した。私はその横で何も世話をしないくせに、実がなれば食べる時だけ参加していた気がする。そう考えると、今の私もあまり成長していない。育てる苦労には鈍く、実りの気配には敏感である。人としてどうなのかと思うが、たぶんそういう人は多いのだと思う。

気がつけば、日曜日はほぼそれで終わっていた。出かけたといえばホームセンターだけで、べつに華やかなことは何もない。けれど、植え替えた鉢と少しきれいになったベランダを見ると、なんとなくやりがいを感じたのである。日曜日らしい充実といえば、もっとしゃれたものを想像しがちだが、土を入れ替えて落ち葉を集めただけでも、案外ちゃんと一日を使った気分になる。

たぶん私は、何か大きなことを成しとげたいというより、見える範囲が少しだけましになると安心するのだと思う。越冬したハーブたちも、別に私を感動させようとして生き残っていたわけではないだろう。ただ淡々と寒さをやり過ごして、春が来たからまた少し元気を出しただけなのだ。

そう考えると、日曜日がそれで終わったのも悪くない。私もハーブも、たいしたことはしていない。でも、冬を越えたあとに土を替えて、少しきれいにして、なんとなく満足する。それくらいがちょうどいいのである。人間もベランダも、急には立派にならないのだ。

キャビエルサンド 実食レビュー|クラウドファンディングの因縁スイーツをついに食べた話

以前、クラウドファンディングで支援した「キャビエルサンド」が、家族によって跡形もなく消えたことがあった。

私は支援者なのに食べていない。
世の中にはいろんな理不尽があるが、あれはなかなかの理不尽だったと思う。

そのとき私は、箱の中にわずかに残っていたキャビア塩入りのチョコレートだけを食べて、少ししょっぱい気持ちになったのである。味も気持ちも、どちらもしょっぱかった。

だが人間というのは不思議なもので、一度食べ損ねたものほど気になってしまう。

そこで私は、ついにキャビエルサンドを注文した。

すると、すぐ届いた。
最近の通販は本当に早い。私が注文ボタンを押してから「やっぱり太るかもしれないな」と少し後悔するより先に届く勢いである。

しかも今回は、
「1個買うともう1個プレゼント」
というたいへん太っ腹なキャンペーンをやっていた。

つまり、当然のように2個届いた。

この時点で私は思った。
今度こそ、絶対に食べられる。
なにしろ二つあるのだ。人間の倫理観にも多少は期待できる数である。

そしてついに、私は初めてキャビエルサンドを食べることができた。

長い戦いだった。
いや、戦ってはいないのだが、気持ちとしてはそんな感じである。

まずクッキー生地。

これは、なかなかしっかりしている。
サクサクというより、少しどっしりした感じだ。例えるなら、見た目は軽やかなのに意外と体重がある人みたいな感じである。余計なお世話だが。

次にクリーム。

これはとてもおいしい。
マスカルポーネのクリームがやさしくて、なんだか上品な甘さである。海をイメージした二層らしいが、正直なところ私はそこまで海を感じるほど繊細な舌は持っていない。
だが、おいしいことだけはよく分かる。

そしてチョコレート。

これがザクザクしていて良い。
食べるたびに小さく音がする感じで、ちょっと楽しい。人は食べ物に音があると、なぜか満足感が増える気がする。

説明ではクッキーでサンドしてプレスする食べ方になっているのだが、実際に食べてみると少し考えが変わった。

チョコレートの量などを考えると、
クッキー一枚にチョコとクリームを載せて食べる
これが一番バランスが良い気がする。

つまり、サンドしない。

商品名をわりと否定している食べ方である。

だが、おいしく食べることのほうが大事なのだと思う。

もっとも、私は別にグルメでもなんでもない。
味の違いを語れる人でもない。

この程度の感想にどれほどの価値があるのかは、私にもよく分からない。

むしろ、感想よりも印象に残ったことがある。

箱の中に、とても丁寧な手紙が入っていたのだ。

こういうものを見ると、作っている人の気持ちが伝わってくる気がする。スイーツというのは甘いものだが、作っている人の気持ちまで甘いと、なんだか応援したくなる。

そんなわけで私は、引き続きギフトとして応援してみようと思う。

まあ、また家族に全部食べられる可能性もあるのだが。

そのときはきっと、またキャビア塩のチョコだけが私のところに回ってくるのだろう。

人生とは、だいたいそんな配分でできている気がするのである。

買いたい人はぜひ買って応援してあげておくれ(キャビエルサンド公式EC)

映画ドラえもん 新海底鬼岩城 子どもと映画館に行ったのに山派と海派とクーポンのことばかり気になった話

子どもといっしょに『ドラえもん のび太の新海底鬼岩城』を見に行った。こういう映画は、親子で夢と冒険を味わうものなのだと思う。たぶん世の中的にはそういうことになっている。だが実際の私は、夢と冒険を味わう前に、まずクーポンと座席とポップコーンのことを考えていた。大人になると、感動の前に段取りが来るのである。なんだか気の毒な話だ。

予約はもちろんPontaパスである。ユナイテッド・シネマのキャナルシティで、大人料金が1400円になる。しかもポップコーンとドリンクのセットが400円で買える。これはかなりえらい。映画館の飲み物というのは、少し気を抜くと「この一杯で定食が食べられるのではないか」という値段になるので、400円という数字はもはや救いである。私はこういうお得情報に出会うと、急に世の中の裏道を知ってしまったような顔になる。たかがクーポンであるのに、人は妙に誇らしくなるのだ。

こういう時、私はいつも思う。ぜひここでアフィリエイト広告でも貼って、「みなさんもお得に映画をどうぞ」と景気よく宣伝したいものだと。文の途中に、いかにも親切そうに「こちらから」などと入れてみたい。だが、残念ながら案件がないのである。ほんとうに残念だ。こっちは宣伝する気だけは十分にあるのに、肝心の依頼が来ない。世の中というのは、こちらのやる気と収入がきれいに噛み合わないようにできているらしい。

それでもクーポンを手に、私はかなり上機嫌だった。今日は賢く立ち回っている、ぬかりのない大人だ、という気分で売店に向かったのである。だが、そういう時ほど人は転ぶ。ポップコーンセットのクーポンを出したところ、どうも注文がツードリンクセットになっていたようで、クーポンが使えなかった。私は一瞬、耳を疑った。そんなことがあるのかと思ったが、あるのである。しかもすでに商品が用意されていた。ポップコーンはもう、こちらの迷いなど知らぬ顔で堂々と置かれている。飲み物も完成している。ここで「じゃあやめます」と言える人は、よほど心が強い。私は弱い。

断腸の思い、という言葉は、こういう時に使うのかもしれないと思った。もちろん本来はもっと重大な場面に使うのだろうが、私の中ではかなりの断腸だった。だが大人は、こういう時に平気な顔をしなければならない。「あ、大丈夫です」と、なんでもない風を装うのである。全然大丈夫ではない。心の中では、小さな私が床を転がって「400円……」と言っている。だが表面上は落ち着いている。落ち着いて会計を済ませ、落ち着いて商品を受け取り、落ち着いて少しだけ損をした現実を飲み込む。大人とは、感情をのみ込む生き物なのだと思う。だいたい、こういうどうでもいいことで。

そんな小さな敗北を胸に抱えつつ席につき、いよいよ映画が始まった。子どもは当然わくわくしている。私はポップコーンをひとつつまみながら、「まあ、映画がよければすべてよしだ」と自分に言い聞かせていた。たぶんこういう時、人は何か大きなもので小さな損失を薄めようとするのである。人生はだいたいそうだ。

ところが映画が始まってまもなく、今度は別のことが気になり出した。最初の場面で、のび太としずかちゃんは山に行きたいと言い、ジャイアンとスネ夫は海に行きたいと言っていたのである。私はそこで「あれ」と思った。旧版では逆ではなかったか。たしか逆だった気がする。映画はもう始まっているのに、私の頭の中では別の会議が始まってしまった。山派と海派の再編問題である。実にどうでもいい。

昔から私は、こういう本筋と少しずれたことばかり気にするところがある。学校でも、先生の話の内容より、教室の後ろの掲示物がちょっと曲がっているほうが気になった。みんなが大事なことを聞いている時に、私は「この紙、左上だけ少し下がっているな」と思っていたのである。だから今も、映画の冒険より先に、キャラクターの希望の配置換えが引っかかるのだろう。脳の使い方があまり立派ではない。

なぜ逆にしたのかはわからない。今のキャラクターの印象に合わせたのかもしれないし、話の流れをすっきり見せるためかもしれない。しずかちゃんは山の清潔な空気が似合うし、スネ夫は海のレジャー感がよく似合う。ジャイアンも海のほうが勢いで押していけそうだし、のび太はどちらでも少し頼りないから、しずかちゃん側に置いたほうがなんとなく収まりがよい。たぶんそういうことなのだろう。いや、全然違うかもしれないが。

子どもは当然、そんなことはひとつも気にしていなかった。クーポンが使えなかったことも、山と海の配置が逆なことも、まるで問題にしていない。画面の中のドラえもんたちに夢中で、ただ映画をまっすぐ楽しんでいる。その姿を見ると、正しいのはたぶん子どものほうなのだと思う。私は映画を見に来たのに、節約の失敗と細かい違和感を大事に抱えている。忙しい客である。

でも、そういうどうでもいいことが妙に記憶に残るから不思議だ。映画の感動といっしょに、「あのクーポン使えなかったな」とか、「山と海、逆だったな」とか、そんな細いことが一本ひっかかったまま帰るのである。大人になると、人生はこういう小さな引っかかりでできていくのかもしれない。感動だけでは、案外きれいに流れてしまう。

結局、映画を見た日の私の記憶は、海底の冒険とポップコーンの損失と山海の配置が三つ巴になっている。どれが主役なのかよくわからない。だが、たぶんそれでいいのだと思う。親子で映画を見に行った日というのは、立派な思い出であると同時に、クーポンひとつで少しだけ心が揺れる日でもあるのだ。

そう考えると、大人というのは案外せわしない。お得に喜び、使えずにしょんぼりし、映画ではどうでもいいところにひっかかる。だがその全部を含めて、たしかにその日の私だったのである。だからまあ、ポップコーンが少し高くついたことも、山と海が逆だったことも、まとめて映画館の味だったということにしておこうと思う。ほんとうに、どうでもいい納得なのである。

福岡の映画館については「2026年版 天神や博多駅など福岡市内の映画館情報とお得な割引サービス」がよくまとまっていると思う。

ETCマイレージ 失効 注意 年度末 ポイント交換を忘れたくない人の、あぶないあぶない話

年度末というものは、どうしてこう人をせかすのだろうと思う。
べつに誰かに追い立てられているわけでもないのに、三月になると急に「やっておいたほうがいいこと」が、押し入れのすみからぞろぞろ出てくる。確定申告だの、保険だの、使っていないアプリの整理だの、私の頭の中は年末よりもむしろ年度末のほうが散らかるのである。

そんな中、ふと思い出したのがETCマイレージだった。
思い出した、というより、正確には「そういえばあれ、どうなってるんだっけ」と、半分いやな予感をともなってサイトをのぞいたのである。すると、そこに出てきたのが「2026年03月末日まで有効なポイント 575ポイント」という表示だった。
五百七十五ポイント。
なんとも絶妙な数字である。多すぎて見過ごせないが、少なすぎて王様みたいな顔もできない。財布の中で見つけた千円札ではなく、冬のコートのポケットから出てきた五百円玉みたいな感じだ。うれしいが、危なかったなという気持ちのほうが強い。あぶないあぶない。

私はこういう「失効しますよ」というものに弱い。
ポイントとか、クーポンとか、引き換え期限とか、そういうものを前にすると、人は急に小市民になる。いや、私は常に小市民なのだが、よりいっそう小さくなるのである。
昔、パン屋でもらったスタンプカードを大事に持っていたことがある。あと一個で食パンがもらえる、というところまで来て、満を持して店に行ったら、カードの有効期限がきれいに切れていた。あの時の私の顔は、たぶん雨の日にぬれた段ボールみたいだったと思う。へなへなである。

ETCマイレージも、仕組みを知るとわりとまじめにできている。NEXCOなんかでは10円で1ポイントつくけれど、だからといって何でも10%還元というわけではない。1,000ポイントで500円分なら実質5%、3,000ポイントで2,500円分なら約8.3%、5,000ポイントで5,000円分になってようやく10%である。
なんだか算数の時間のようだが、こういうのは知るとちょっと楽しい。人は「お得」という言葉に出会うと、急に計算だけは熱心になる生き物なのだと思う。
月に一回、往復8,000円くらい高速に乗る人なら、年間でそこそこ貯まって、数千円分の無料通行になるらしい。こう書くと、かなり立派である。節約上手の人の家計簿に載っていそうな話だ。私の場合は、そこまで計画的に生きていないので、「なんか貯まってた。消えるところだった」が現実に近い。

しかもETCマイレージは、登録していなければ一切貯まらないし、あとから「あのときの分もお願い」と言ってもだめだという。ここがまた厳しい。人生にはわりと情状酌量というものがある気がするのだが、ポイントの世界は冷たい。
さらにポイントは道路事業者ごとに別々について、付与された年度の翌年度末、つまり三月末で失効する。最長で約二年、最短で約一年。
この「最長」と「最短」が混ざっている感じが、また人を油断させる。まだ大丈夫な気もするし、もう遅い気もする。こういうあいまいなものに対して、人はだいたい負ける。私も何度も負けてきた。

それにしても、575ポイントというのは、実に私らしい中途半端さだと思う。
5,000ポイントまで貯めれば最大10%還元、などと聞くと、ちゃんと高速に乗って、ちゃんと貯めて、ちゃんと交換する人の背中が遠くに見える。私はその手前で、ちょこちょこ乗って、ちょこちょこ貯まって、危うくちょこっと失うところだった。
こういうところに、人の生活は出るのだろう。大きな失敗はしないが、小さくあぶない。派手さはないが、気を抜くとすぐ何かが消える。私の暮らしはだいたいそういう感じである。

だから年度末にやっておくこととして、ETCマイレージの確認はかなりえらい部類に入ると思う。
なにしろ、もう走り終えた道のぶんが、黙って消えていくのを見るのはさびしい。道路はそこにあるのに、ポイントだけいなくなる。薄情である。
せっかくなので、三月のうちに一度ログインして、失効前のポイントがないか見ておくのがよいのだと思う。大げさな節約術ではないけれど、こういうのは「拾える五百円を拾う」みたいな話なのである。

結局のところ、私たちの生活は、壮大な資産運用よりも、こういう小さな取りこぼしとの戦いなのかもしれない。
575ポイントを前にして、私は妙にしみじみした。
そして同時に、来年の三月にもたぶん似たような顔で「あぶないあぶない」と言っている気がする。人は学ぶ生き物だと言うけれど、ポイントのことに限っては、私はあまり成長していないのである。

ETCマイレージについては「 ETCマイレージとは?還元率・登録方法・年度末のポイント失効対策を解説【最大10%還元】 」の情報を参考にしている。