キャビエルサンド 実食レビュー|クラウドファンディングの因縁スイーツをついに食べた話

以前、クラウドファンディングで支援した「キャビエルサンド」が、家族によって跡形もなく消えたことがあった。

私は支援者なのに食べていない。
世の中にはいろんな理不尽があるが、あれはなかなかの理不尽だったと思う。

そのとき私は、箱の中にわずかに残っていたキャビア塩入りのチョコレートだけを食べて、少ししょっぱい気持ちになったのである。味も気持ちも、どちらもしょっぱかった。

だが人間というのは不思議なもので、一度食べ損ねたものほど気になってしまう。

そこで私は、ついにキャビエルサンドを注文した。

すると、すぐ届いた。
最近の通販は本当に早い。私が注文ボタンを押してから「やっぱり太るかもしれないな」と少し後悔するより先に届く勢いである。

しかも今回は、
「1個買うともう1個プレゼント」
というたいへん太っ腹なキャンペーンをやっていた。

つまり、当然のように2個届いた。

この時点で私は思った。
今度こそ、絶対に食べられる。
なにしろ二つあるのだ。人間の倫理観にも多少は期待できる数である。

そしてついに、私は初めてキャビエルサンドを食べることができた。

長い戦いだった。
いや、戦ってはいないのだが、気持ちとしてはそんな感じである。

まずクッキー生地。

これは、なかなかしっかりしている。
サクサクというより、少しどっしりした感じだ。例えるなら、見た目は軽やかなのに意外と体重がある人みたいな感じである。余計なお世話だが。

次にクリーム。

これはとてもおいしい。
マスカルポーネのクリームがやさしくて、なんだか上品な甘さである。海をイメージした二層らしいが、正直なところ私はそこまで海を感じるほど繊細な舌は持っていない。
だが、おいしいことだけはよく分かる。

そしてチョコレート。

これがザクザクしていて良い。
食べるたびに小さく音がする感じで、ちょっと楽しい。人は食べ物に音があると、なぜか満足感が増える気がする。

説明ではクッキーでサンドしてプレスする食べ方になっているのだが、実際に食べてみると少し考えが変わった。

チョコレートの量などを考えると、
クッキー一枚にチョコとクリームを載せて食べる
これが一番バランスが良い気がする。

つまり、サンドしない。

商品名をわりと否定している食べ方である。

だが、おいしく食べることのほうが大事なのだと思う。

もっとも、私は別にグルメでもなんでもない。
味の違いを語れる人でもない。

この程度の感想にどれほどの価値があるのかは、私にもよく分からない。

むしろ、感想よりも印象に残ったことがある。

箱の中に、とても丁寧な手紙が入っていたのだ。

こういうものを見ると、作っている人の気持ちが伝わってくる気がする。スイーツというのは甘いものだが、作っている人の気持ちまで甘いと、なんだか応援したくなる。

そんなわけで私は、引き続きギフトとして応援してみようと思う。

まあ、また家族に全部食べられる可能性もあるのだが。

そのときはきっと、またキャビア塩のチョコだけが私のところに回ってくるのだろう。

人生とは、だいたいそんな配分でできている気がするのである。

買いたい人はぜひ買って応援してあげておくれ(キャビエルサンド公式EC)

映画ドラえもん 新海底鬼岩城 子どもと映画館に行ったのに山派と海派とクーポンのことばかり気になった話

子どもといっしょに『ドラえもん のび太の新海底鬼岩城』を見に行った。こういう映画は、親子で夢と冒険を味わうものなのだと思う。たぶん世の中的にはそういうことになっている。だが実際の私は、夢と冒険を味わう前に、まずクーポンと座席とポップコーンのことを考えていた。大人になると、感動の前に段取りが来るのである。なんだか気の毒な話だ。

予約はもちろんPontaパスである。ユナイテッド・シネマのキャナルシティで、大人料金が1400円になる。しかもポップコーンとドリンクのセットが400円で買える。これはかなりえらい。映画館の飲み物というのは、少し気を抜くと「この一杯で定食が食べられるのではないか」という値段になるので、400円という数字はもはや救いである。私はこういうお得情報に出会うと、急に世の中の裏道を知ってしまったような顔になる。たかがクーポンであるのに、人は妙に誇らしくなるのだ。

こういう時、私はいつも思う。ぜひここでアフィリエイト広告でも貼って、「みなさんもお得に映画をどうぞ」と景気よく宣伝したいものだと。文の途中に、いかにも親切そうに「こちらから」などと入れてみたい。だが、残念ながら案件がないのである。ほんとうに残念だ。こっちは宣伝する気だけは十分にあるのに、肝心の依頼が来ない。世の中というのは、こちらのやる気と収入がきれいに噛み合わないようにできているらしい。

それでもクーポンを手に、私はかなり上機嫌だった。今日は賢く立ち回っている、ぬかりのない大人だ、という気分で売店に向かったのである。だが、そういう時ほど人は転ぶ。ポップコーンセットのクーポンを出したところ、どうも注文がツードリンクセットになっていたようで、クーポンが使えなかった。私は一瞬、耳を疑った。そんなことがあるのかと思ったが、あるのである。しかもすでに商品が用意されていた。ポップコーンはもう、こちらの迷いなど知らぬ顔で堂々と置かれている。飲み物も完成している。ここで「じゃあやめます」と言える人は、よほど心が強い。私は弱い。

断腸の思い、という言葉は、こういう時に使うのかもしれないと思った。もちろん本来はもっと重大な場面に使うのだろうが、私の中ではかなりの断腸だった。だが大人は、こういう時に平気な顔をしなければならない。「あ、大丈夫です」と、なんでもない風を装うのである。全然大丈夫ではない。心の中では、小さな私が床を転がって「400円……」と言っている。だが表面上は落ち着いている。落ち着いて会計を済ませ、落ち着いて商品を受け取り、落ち着いて少しだけ損をした現実を飲み込む。大人とは、感情をのみ込む生き物なのだと思う。だいたい、こういうどうでもいいことで。

そんな小さな敗北を胸に抱えつつ席につき、いよいよ映画が始まった。子どもは当然わくわくしている。私はポップコーンをひとつつまみながら、「まあ、映画がよければすべてよしだ」と自分に言い聞かせていた。たぶんこういう時、人は何か大きなもので小さな損失を薄めようとするのである。人生はだいたいそうだ。

ところが映画が始まってまもなく、今度は別のことが気になり出した。最初の場面で、のび太としずかちゃんは山に行きたいと言い、ジャイアンとスネ夫は海に行きたいと言っていたのである。私はそこで「あれ」と思った。旧版では逆ではなかったか。たしか逆だった気がする。映画はもう始まっているのに、私の頭の中では別の会議が始まってしまった。山派と海派の再編問題である。実にどうでもいい。

昔から私は、こういう本筋と少しずれたことばかり気にするところがある。学校でも、先生の話の内容より、教室の後ろの掲示物がちょっと曲がっているほうが気になった。みんなが大事なことを聞いている時に、私は「この紙、左上だけ少し下がっているな」と思っていたのである。だから今も、映画の冒険より先に、キャラクターの希望の配置換えが引っかかるのだろう。脳の使い方があまり立派ではない。

なぜ逆にしたのかはわからない。今のキャラクターの印象に合わせたのかもしれないし、話の流れをすっきり見せるためかもしれない。しずかちゃんは山の清潔な空気が似合うし、スネ夫は海のレジャー感がよく似合う。ジャイアンも海のほうが勢いで押していけそうだし、のび太はどちらでも少し頼りないから、しずかちゃん側に置いたほうがなんとなく収まりがよい。たぶんそういうことなのだろう。いや、全然違うかもしれないが。

子どもは当然、そんなことはひとつも気にしていなかった。クーポンが使えなかったことも、山と海の配置が逆なことも、まるで問題にしていない。画面の中のドラえもんたちに夢中で、ただ映画をまっすぐ楽しんでいる。その姿を見ると、正しいのはたぶん子どものほうなのだと思う。私は映画を見に来たのに、節約の失敗と細かい違和感を大事に抱えている。忙しい客である。

でも、そういうどうでもいいことが妙に記憶に残るから不思議だ。映画の感動といっしょに、「あのクーポン使えなかったな」とか、「山と海、逆だったな」とか、そんな細いことが一本ひっかかったまま帰るのである。大人になると、人生はこういう小さな引っかかりでできていくのかもしれない。感動だけでは、案外きれいに流れてしまう。

結局、映画を見た日の私の記憶は、海底の冒険とポップコーンの損失と山海の配置が三つ巴になっている。どれが主役なのかよくわからない。だが、たぶんそれでいいのだと思う。親子で映画を見に行った日というのは、立派な思い出であると同時に、クーポンひとつで少しだけ心が揺れる日でもあるのだ。

そう考えると、大人というのは案外せわしない。お得に喜び、使えずにしょんぼりし、映画ではどうでもいいところにひっかかる。だがその全部を含めて、たしかにその日の私だったのである。だからまあ、ポップコーンが少し高くついたことも、山と海が逆だったことも、まとめて映画館の味だったということにしておこうと思う。ほんとうに、どうでもいい納得なのである。

福岡の映画館については「2026年版 天神や博多駅など福岡市内の映画館情報とお得な割引サービス」がよくまとまっていると思う。

ETCマイレージ 失効 注意 年度末 ポイント交換を忘れたくない人の、あぶないあぶない話

年度末というものは、どうしてこう人をせかすのだろうと思う。
べつに誰かに追い立てられているわけでもないのに、三月になると急に「やっておいたほうがいいこと」が、押し入れのすみからぞろぞろ出てくる。確定申告だの、保険だの、使っていないアプリの整理だの、私の頭の中は年末よりもむしろ年度末のほうが散らかるのである。

そんな中、ふと思い出したのがETCマイレージだった。
思い出した、というより、正確には「そういえばあれ、どうなってるんだっけ」と、半分いやな予感をともなってサイトをのぞいたのである。すると、そこに出てきたのが「2026年03月末日まで有効なポイント 575ポイント」という表示だった。
五百七十五ポイント。
なんとも絶妙な数字である。多すぎて見過ごせないが、少なすぎて王様みたいな顔もできない。財布の中で見つけた千円札ではなく、冬のコートのポケットから出てきた五百円玉みたいな感じだ。うれしいが、危なかったなという気持ちのほうが強い。あぶないあぶない。

私はこういう「失効しますよ」というものに弱い。
ポイントとか、クーポンとか、引き換え期限とか、そういうものを前にすると、人は急に小市民になる。いや、私は常に小市民なのだが、よりいっそう小さくなるのである。
昔、パン屋でもらったスタンプカードを大事に持っていたことがある。あと一個で食パンがもらえる、というところまで来て、満を持して店に行ったら、カードの有効期限がきれいに切れていた。あの時の私の顔は、たぶん雨の日にぬれた段ボールみたいだったと思う。へなへなである。

ETCマイレージも、仕組みを知るとわりとまじめにできている。NEXCOなんかでは10円で1ポイントつくけれど、だからといって何でも10%還元というわけではない。1,000ポイントで500円分なら実質5%、3,000ポイントで2,500円分なら約8.3%、5,000ポイントで5,000円分になってようやく10%である。
なんだか算数の時間のようだが、こういうのは知るとちょっと楽しい。人は「お得」という言葉に出会うと、急に計算だけは熱心になる生き物なのだと思う。
月に一回、往復8,000円くらい高速に乗る人なら、年間でそこそこ貯まって、数千円分の無料通行になるらしい。こう書くと、かなり立派である。節約上手の人の家計簿に載っていそうな話だ。私の場合は、そこまで計画的に生きていないので、「なんか貯まってた。消えるところだった」が現実に近い。

しかもETCマイレージは、登録していなければ一切貯まらないし、あとから「あのときの分もお願い」と言ってもだめだという。ここがまた厳しい。人生にはわりと情状酌量というものがある気がするのだが、ポイントの世界は冷たい。
さらにポイントは道路事業者ごとに別々について、付与された年度の翌年度末、つまり三月末で失効する。最長で約二年、最短で約一年。
この「最長」と「最短」が混ざっている感じが、また人を油断させる。まだ大丈夫な気もするし、もう遅い気もする。こういうあいまいなものに対して、人はだいたい負ける。私も何度も負けてきた。

それにしても、575ポイントというのは、実に私らしい中途半端さだと思う。
5,000ポイントまで貯めれば最大10%還元、などと聞くと、ちゃんと高速に乗って、ちゃんと貯めて、ちゃんと交換する人の背中が遠くに見える。私はその手前で、ちょこちょこ乗って、ちょこちょこ貯まって、危うくちょこっと失うところだった。
こういうところに、人の生活は出るのだろう。大きな失敗はしないが、小さくあぶない。派手さはないが、気を抜くとすぐ何かが消える。私の暮らしはだいたいそういう感じである。

だから年度末にやっておくこととして、ETCマイレージの確認はかなりえらい部類に入ると思う。
なにしろ、もう走り終えた道のぶんが、黙って消えていくのを見るのはさびしい。道路はそこにあるのに、ポイントだけいなくなる。薄情である。
せっかくなので、三月のうちに一度ログインして、失効前のポイントがないか見ておくのがよいのだと思う。大げさな節約術ではないけれど、こういうのは「拾える五百円を拾う」みたいな話なのである。

結局のところ、私たちの生活は、壮大な資産運用よりも、こういう小さな取りこぼしとの戦いなのかもしれない。
575ポイントを前にして、私は妙にしみじみした。
そして同時に、来年の三月にもたぶん似たような顔で「あぶないあぶない」と言っている気がする。人は学ぶ生き物だと言うけれど、ポイントのことに限っては、私はあまり成長していないのである。

ETCマイレージについては「 ETCマイレージとは?還元率・登録方法・年度末のポイント失効対策を解説【最大10%還元】 」の情報を参考にしている。

WBC 日本代表 侍ジャパン 台湾戦をNetflixで見た話 トライアルSIMで無料観戦した夜

私はふだん、そこまで野球に人生を預けている人間ではない。もちろん嫌いではないし、国際試合ともなれば気になってはくるのだが、毎日せっせと打率を追いかけたり、選手の登場曲まで覚えたりするほどの情熱はない。言ってしまえば、祭りがあれば顔を出す町内会の人くらいの気持ちで野球を見ているのである。

そんな私が今回、ずいぶん気持ちよくWBCの日本代表、侍ジャパンの試合を見てしまった。相手は台湾。東京ドームでの初戦である。結果は七回コールドの13対0。気持ちがいいにもほどがある。こちらがまだお菓子の袋をちゃんと開けきっていないうちに、もう二回で10点も入っていた。打者15人で7安打、一挙10点と聞くと、もはや攻撃というより引っ越し作業みたいである。ぞろぞろ出てきて、どんどん運び込んで、相手がぼうぜんとしているうちに部屋が埋まる。そんな勢いだった。

そしてやはり大谷翔平である。私は大谷を見るたびに、あまりにも出来すぎていて、少し作りものではないかという気持ちになる。二塁打を打ち、満塁ホームランを打ち、右前打も打って、3安打5打点である。人がひと晩でできることにも限度があるだろうと思うのだが、その限度というものを大谷はまるで気にしていないように見える。こちらはソファから立ち上がって飲み物を取るだけで「よいしょ」と声が漏れるのに、あちらは世界大会で満塁弾である。比べる相手が悪いにもほどがある。

しかも投げては山本由伸から5人の継投で、台湾を1安打零封である。打って派手、守ってきっちり。こういう試合を見ると、野球というのは本来ずいぶん整理されたスポーツなのだなと思う。点を取るべき人が取り、抑えるべき人が抑える。人生もこのくらい段取りよくいけばいいのだが、私の生活はだいたい洗濯機を回したあとで洗剤を入れ忘れたことに気づくような有様なので、侍ジャパンの整い方はまぶしすぎる。

それで今回の私の観戦には、もうひとつ、じつに現代的でこまごました事情があった。ワイモバイルのトライアルSIMを契約した上で、Netflixで無料鑑賞したのである。ここだけ聞くと、たいへん計画的で、デジタル時代をうまく泳いでいる人みたいだが、実際の私はそうでもない。無料とか限定とかお試しという言葉に、台所の隅を歩くアリみたいに吸い寄せられただけである。

昔から私は「今だけお得」に弱い。若いころも、店先に「ご自由にお持ちください」と書いてあると、別に欲しくもないチラシつきのポケットティッシュを必要以上にもらってしまった。あとでかばんの中がティッシュだらけになり、何のためにもらったのかわからなくなる。今回も少しそれに似ている。WBCを見たい気持ちと、無料で見られるなら見ておきたい気持ちが合体して、気づけばSIMを契約していた。野球を見ているのか、節約に興奮しているのか、自分でもよくわからないのである。

それでも、いざ試合が始まると、そんな細かいことはどうでもよくなった。点が入るたびに「おお」となり、大谷の満塁ホームランではちゃんと胸がどよめいた。無料だから感動も半額、ということはない。むしろ、人は「得をした」と思った状態で見る試合には、少しだけ機嫌よく向き合えるのかもしれない。たいへん小さい話だが、私のような人間にはその小さい機嫌のよさが案外大事なのだ。

考えてみれば、スポーツ観戦というのは不思議なものである。自分は一球も投げていないし、一塁まで一歩も走っていないのに、勝つとなんだかこちらまで立派になったような気がする。13対0で勝った夜などはなおさらで、私はただ画面の前でお菓子を食べていただけなのに、少しだけ世界に貢献したような顔で風呂に入った。ずうずうしいにもほどがある。

だが、そういうずうずうしさも含めて、こういう夜は悪くないのである。侍ジャパンは強いし、大谷はやはりすごいし、台湾戦はとてもエキサイティングだった。しかも私はワイモバイルのトライアルSIMとNetflixで、ちょっと得した気分まで味わっている。野球の感動という大きな話の横に、無料で見られたという小さな満足が並んでいるあたりが、なんとも私らしい。

結局、人は大きな勝利だけで生きているわけではなく、こういう「うまいこと見られた」という、どうでもいい喜びにもずいぶん支えられているのだと思う。侍ジャパンの快勝と、私のせこい達成感。その並びは少々情けないが、まあ、勝った夜くらいは何でもめでたいのである。

ChatGPTと保険会社と「知識の武装」――AI時代に崩れる情報格差という小さな革命

最近、なんとなくニュースを眺めていたら、日本生命がアメリカでChatGPTを作っているOpenAIを訴えたという話を見かけた。

理由はなかなか面白い。
保険の元受給者がChatGPTに相談して「和解を破棄できるかもしれない」という助言を受け、それを元に訴訟を起こしてきたらしいのである。

つまり、日本生命の言い分をざっくり言うとこうだ。

AIが弁護士みたいなことをしたせいで、面倒な訴訟に巻き込まれた。

ということらしい。

法律の細かい話は、正直よくわからない。
私は法律の話を聞くと、だいたい途中で頭の中が「条文」という名の霧に包まれてしまうタイプの人間なのである。

ただ、このニュースを見ていて、妙に気になることがあった。

それは「知識の武装」というやつだ。

世の中というのは、かなり長い間、知識を持つ人が強い仕組みで回ってきたと思う。

弁護士、医者、税理士、金融の専門家。
そういう人たちはもちろん努力して資格を取っているわけだが、同時に「知っている」というだけで圧倒的に有利でもある。

たとえば保険の契約書なんて、普通の人は読んでもほとんど理解できない。
文章が長くて、言葉がやたらと堅い。

あれはもう、読める人だけ読めばいいという雰囲気がぷんぷんする。

私は昔、携帯の契約書を読もうとして三行で眠くなったことがある。
あれは読書というより、睡眠導入剤に近いのではないかと思う。

だから世の中はたいてい、こうなる。

よくわからない人は
「まあプロが言うならそうなんだろう」
と納得してしまうのである。

私もだいたいそのタイプだ。

ところが最近は、様子が少し変わってきた。

わからないことがあったら、とりあえずAIに聞く。
すると、ものすごく丁寧に説明してくれる。

しかも怒らない。
同じ質問を三回しても怒らない。

これはすごいことである。

昔なら、
「そんなことも知らないんですか」
という顔をされるところなのだ。

AIはそういう顔をしない。
顔がないからである。

これは地味にありがたい。

だから今回のニュースも、見方によってはちょっと象徴的だ。

これまでなら、元受給者は
「もう和解したし仕方ないか」
で終わっていたかもしれない。

でも今回は
「ちょっと待てよ」
と思った。

そしてAIに聞いた。

それで理屈を手に入れてしまった。

これが、日本生命にとってはかなり厄介だったわけだ。

もちろんAIの回答が全部正しいとは限らない。
むしろ、けっこう間違う。

私もAIに聞いたレストランに行ったら、三年前に閉店していたということがあった。

あれはなかなかの徒労感だった。

しかし、それでも一つだけ確かなことがある。

知らないままではなくなる。

これは大きい。

昔から、知識というのは少しずつ平らになってきた。

活版印刷ができて、本が広がった。
インターネットができて、検索ができるようになった。

そして今、AIが説明してくれるようになった。

もしかすると今起きているのは、知識の民主化みたいなものなのかもしれない。

……と、ここまで考えてみたが、私はふと気づいた。

知識がいくら手に入っても、行動するかどうかは別問題なのである。

私はAIに健康のアドバイスを聞くが、だいたい三日で忘れる。

つまり人間というのは、知識より先にめんどくささに負ける生き物なのだ。

そう考えると、AIがどれだけ賢くなっても、世界はそこまで劇的には変わらない気もしてきた。

人間がだいたい、だらけているからである。

まあ、それならそれで、AIも少しは安心するのではないかと思うのだ。

1Passwordの33%の値上げと、私の茹でガエル的セキュリティ生活

最近、財布のひもが勝手にゆるむニュースが多いが、これはなかなか強烈だった。

1Passwordが、2026年3月27日より個人向けプランを値上げするらしい。
年額35.88ドルが47.88ドルへ。約33%アップである。

三割増しと聞くと、急に高級感が出る。
いや、出なくていいのである。

私はすでに1Passwordの住人だ。パソコンのログインパスワードも、iPhoneのあれも、なぜか複数台あるAndroid端末のそれも、すべて預けている。証券会社のパスキーまで面倒を見てもらっているのだから、もはや家族同然だ。

むしろ家族より秘密を知っている。

思えば昔の私は、同じパスワードを使い回す勇者だった。
「多少違っても、だいたい同じ」で乗り切っていたのである。
あの頃の私に今の状況を説明したら、「何と戦っているのだ」と言われるだろう。

だが今は違う。
英数字と記号が踊る24桁のパスワードを、私は一つも覚えていない。覚えていないが、なぜか安心している。全部1Passwordが覚えているからだ。

便利とは恐ろしい。

頼れば頼るほど、戻れなくなる。
これはもう、完全に茹でガエルである。

最初は「まあ月数百円だし」と軽い気持ちだった。それが気づけば、生活のインフラになっていた。電気や水道と同じポジションである。止まったら困る。

値上げの知らせを見た瞬間、私は軽くうめいた。

「うーん…」

たった十数ドルの差なのに、気持ちはずいぶん重い。
人は割合に弱いのだと思う。33%と言われると、急に裏切られた気持ちになる。実際は、ランチ数回分なのに。

しかし、乗り換えを考えた瞬間に頭が痛くなる。

エクスポート?
インポート?
もしどこかでミスをしたら?
あの大量のログイン情報を、自力で管理する未来?

想像しただけで、私はそっとブラウザを閉じた。

そして代わりに開いたのが、ソースネクストの1passwordの販売ページである。
値上げ前に三年分を買っておくという、ささやかな抵抗だ。

新規でも12,800円。追加購入なら8,800円。
三年分と思えば、まあ許容範囲だ。
いや、許容するしかない。

私は計算機を叩きながら、「これで時間を買ったのだ」と自分に言い聞かせる。三年間は現実逃避できる。三年後の私は、そのときの私に任せる。

未来の私は、きっとまた悩むだろう。

それにしても、人間とは不思議なものである。
パスワードは一つも覚えていないのに、料金の値上げ幅だけはきっちり覚えてしまう。

安全を外注する時代。
私は今日も、1Passwordに守られながら、値上げに小さくうなだれている。

便利さに囲まれて生きるというのは、こういうことなのだろう。

たぶん三年後も、私は同じことを言っている。
そしてまた、「まあ、しょうがないか」と更新ボタンを押すのである。

IDARE3万円チャージと、1,108円の夢の続き by ソニー銀行

先日、スマホに「1月の山分け分、1,108円」という通知が届いた。1,108円である。なんとも言えない金額だ。大喜びするほどでもなく、かといって無視するには惜しい。スーパーでちょっといい豚肉を買うか、それともビールを数本増やすか。私はしばらくその通知を眺めながら、1,108円の使い道について真剣に悩んでしまったのである。

どうやら2月は山分け原資が2倍の2,000万円になるらしい。参加者は多少増えるだろうが、それでも「もう少し貰えると思います(多分)」と書いてあった。多分、という言葉がやけに正直で好感が持てる。世の中、断言する人ほど怪しいのだ。多分くらいがちょうどいい。

参加条件は「3万円チャージするだけでOK」とのこと。3万円と聞くと少し身構えるが、「チャージするだけ」と言われると急に気楽になる。私はまんまとその言葉に背中を押され、IDAREに3万円チャージの設定をしてみた。設定画面のボタンを押す指が、わずかに震えたのはここだけの話である。

思えば昔、子どもの頃にも「お年玉を貯金すると利息がつく」という言葉に胸をときめかせたものだ。利息は数十円だったが、その数十円に未来を感じていた。今もやっていることは大差ない。額が3万円になっただけで、心の動きは小学生の頃とあまり変わらないのである。私は進歩しているのか、していないのか。

とはいえ、我が家には中学生と小学生と幼稚園児がいる。3万円あれば、あっという間に消える。サッカーのスパイクだの、絵の具セットだの、なぜか毎月のように「ちょっとした出費」が現れる。山分けの数千円で世界が変わるわけではないのだ。

それでも私は、2月は1,108円より少し多いかもしれない、と想像している。1,300円くらいだろうか。いや、もしかしたら1,500円かもしれない。そうやって勝手に皮算用をする時間が、案外いちばん楽しいのだと思う。

結局のところ、山分けでも人生でも、「多分」が一番ちょうどいい。期待しすぎず、でも少しだけ期待する。私は今日も3万円チャージの設定を確認しながら、来月の「多分」を待つのである。

説明はいつもどおり「 ソニー銀行の特徴をわかりやすく解説 金融ポイ活/ANAマイル派にもおすすめ 」でよんでください。大人はいちいち説明しないのだ。

FXホラー漫画・FX戦士くるみちゃんアニメ化と、私のコツコツドカンの記憶が…うっ

朝、スマホをぼんやり眺めていたら、FX戦士くるみちゃんがアニメ化されるというニュースが目に入った。アニメ化と聞くと普通はワクワクするものだが、私の場合、なぜか心拍数が上がり、手に持っていた湯のみを置いた。これはもう娯楽というより、心の古傷を指で押される感覚なのである。

私はかつてFXをやっていた。しかも、典型的な「コツコツドカン」である。最初は千円、二千円と、まるで貯金箱に小銭を入れるように増えていき、私は完全に調子に乗った。そしてある日、ドカンが来た。コツコツしていた日々は、ドカンの前では段ボールハウスくらいの耐久力しかなかったのだ。

くるみちゃんの話を読むと、なぜか「わかる、わかる」と頷いてしまう。負けているのにチャートを見続けてしまう感じとか、もう取り返せないのに「ここで戻るかも」と思ってしまうあの根拠のない希望。あれは希望というより、賞味期限切れの牛乳を「まだいける」と飲む勇気に近い。

思えば子どもの頃、テストの点が悪いと、しばらく机の中に隠していた。見なければ現実ではない、という謎の理屈である。FXでも同じことをしていた私は、まったく成長していないのだなあと感心する。いや、感心している場合ではない。

アニメになったくるみちゃんが、画面の中でさらに派手に負けていくのを想像すると、正直ドキドキする。これはホラーなのか、教育番組なのか、それともただの鏡なのか。たぶん全部なのだ。

結局、私はFXを退場したままだし、アニメは怖いけどたぶん観てしまうと思う。人はなぜ、痛いとわかっている場所を触りに行くのか。その答えは出ないまま、私は今日も安全な場所で、為替とは関係ない昼ごはんの値段を気にしているのである。

Google検索順位に異変?マイベストがSNSで騒がれていて、私は少しだけ昔を思い出した

私がこの話を知ったのは、Google検索ではなく、SNSをぼんやり眺めていたときだった。「マイベストの検索順位が落ちているらしい」「AI検索で終わった」など、断定的で景気のいい言葉がタイムラインを流れていく。私は検索結果を確かめたわけでもなく、ただその騒ぎを、畳に寝転んで聞く雨音のように眺めていた。

マイベストと聞くと、どうしても昔の記憶が出てくる。私がアフィリエイトブログをやっていた頃、あれはもう黒船どころか、空から巨大ロボットが降ってきた感じだった。自分が必死に書いた記事の上に、いつの間にかマイベストが鎮座していて、私は「ここ、私の場所だったはずなのに」と小声で文句を言っていたのである。もちろん誰にも届かない。

当時の私は、検索順位を人生の成績表のように扱っていた。順位が下がれば機嫌も下がる。今思うと、ずいぶん情緒が検索エンジンに支配されていた。冷蔵庫の中身より、サーチコンソールを気にしていたのだから、健康的とは言えない。

そんなマイベストが、今度はAI検索の時代にどうなるのかと、SNSでは盛り上がっているらしい。オーバービューに答えを先に言われてしまい、記事が読まれないのでは、という不安。私はそれを見て、「ああ、立場が変われば景色も変わるのだな」と、妙に納得してしまった。

しかし冷静に考えると、出てこなくなったわけではない。ちゃんと検索すれば、まだそこにいる。ただ、騒ぐ人が増えただけなのだ。人は順位が下がると大騒ぎし、上がっている間は沈黙する。これは検索に限らず、人生全般に言える気がする。

結局のところ、私はもうブログもやっていないし、検索順位で一喜一憂する立場でもない。ただSNSの騒音を、遠くで聞いているだけだ。諸行無常というほど立派な話でもなく、みんな落ち着きがないな、と思っただけなのである。

WESTERポイント全線フリーきっぷで新幹線乗り放題を考えただけの話(JR西日本・特急・旅行)

朝、スマホをぼんやり見ていたら、「ポイントで新幹線乗り放題」という文字が目に入った。私はこういう言葉に弱い。無料、限定、乗り放題。この三つがそろうと、もう内容をよく読まないまま心が前のめりになるのである。

どうやらJR西日本が、2026年初頭に「WESTERポイント全線フリーきっぷ」なるものを出すらしい。WESTERポイントで買えて、新幹線も特急も2日間乗り放題。しかも智頭急行まで含まれるという。聞けば聞くほど、話がうますぎて少し怖い。

私は昔、青春18きっぷで無理な旅をして、終電のない駅で途方に暮れた経験がある。そのせいで「乗り放題」という言葉を見ると、楽しさと同時に疲労の予感もよみがえる。人は学ばない生き物なのだ。

このきっぷ、山陽新幹線や北陸新幹線まで対象で、指定席も6回使える。新大阪から博多を往復するだけで元が取れると知った瞬間、私の頭の中ではすでに西日本横断の旅が始まっていた。予定も体力もないのに、気持ちだけは忙しい。

冷静に考えると、2日間でどれだけ乗れるかは自分次第である。私は移動中に駅弁を食べ、車窓を眺め、眠くなり、気づけば終点というタイプだ。乗り倒すどころか、列車に乗せてもらっている感覚に近い。

それでも「ポイントが3円の価値になる」と聞くと、急に自分が賢くなった気がするのだから不思議だ。実際は、使わなければゼロなのに。

結局、このきっぷは買うかどうかまだ決めていない。たぶん、また同じ記事を読み、同じように悩むのだろう。人は成長しない。でも、新幹線は速い。それで十分なのだと思う。

https://x.com/showchan82/status/2010550299803431287