中山大藤まつり2026で樹齢300年の藤を見たら、私の首と心が少し紫になった話

春になると、私は急に花を見に行きたくなる。ふだんは道ばたのタンポポにも「お、黄色いな」くらいの雑な感想しか持たないくせに、桜だ藤だと言われると、まるで昔から花を愛してきた人間のような顔をして出かけるのである。

今年は福岡県柳川市の「中山大藤まつり」に行った。樹齢約300年の大藤があると聞いて、300年という数字にまずびびった。300年といえば、私が朝起きてから出かける決心をするまでの体感時間と同じくらい長い。そんなわけはないが、だいたいそれくらい重みのある年数である。

会場に着くと、藤棚いっぱいに紫の花房がぶら下がっていた。まるで上から紫色のそうめんが大量に干されているようで、こんなことを言うと藤に失礼だが、私の中の貧しい例え話がそう言っているのだから仕方ない。花房は長いものだと1メートルを超えるらしく、私の人生で1メートルもまっすぐ垂れ下がって美しいものなど、そうそう見たことがない。

神社の石橋を覆うように咲いている藤は、たしかに「藤のカーテン」と呼びたくなる姿だった。風が吹くと少し揺れて、そこだけ時間がゆっくりになったように見える。私は首を上に向けて、口を半開きにして見ていたと思う。こういう時、人間はだいたい賢そうな顔を保てない。

甘い香りもしていた。強すぎず、ふわっと来る感じである。子どもの頃、母の鏡台にあった化粧品の匂いをこっそり嗅いで、大人というものはずいぶん香るものだなと思ったことを思い出した。あの時の私は、口紅を少し出して戻せなくなり、無理やり押し込んで先端をぐちゃっとやった。あれに比べると、藤の香りはずっと上品で、誰にも怒られない。

この中山大藤は、江戸時代に地元の酒屋の「万さん」が大阪の野田から種を持ち帰ったのが始まりだという。万さん、なかなかの持ち帰り上手である。私など旅先で持ち帰るものといえば、だいたいレシートと半端なお菓子だけだ。それが300年後にこんなに人を集める藤になるのだから、人生はわからない。私が昔、机の引き出しにしまったどんぐりも、もしかしたら何かになっていたかもしれない。いや、たぶん虫が出ただけである。

まつりには屋台や物産販売もあり、私は花を見に来たはずなのに、途中から食べ物の気配に心を持っていかれた。人間の品格というものは、甘い香りと屋台の匂いが同時に来た時に試される。私はわりとすぐ負けるタイプだ。藤は300年も堂々と咲いているのに、私は数分で胃袋の言いなりなのである。

夜にはライトアップもあるらしい。昼の藤も十分きれいだったが、夜に光を浴びたら、また違う顔になるのだろう。人間もライトを当てれば多少ましに見える時がある。証明写真だけはなぜか逆で、あれは人の弱点を探す専門家みたいな光である。

藤の下を歩きながら、300年も咲き続けるものの前で、私は昨日の晩ごはんさえすぐ忘れる自分を思った。長く残るものには、それなりの理由があるのだろう。きれいだから、誰かが大事にしてきたから、また誰かが見に来るから。そうやって藤は今日も紫色でぶら下がっている。

私は結局、首を少し痛くしながら藤を見上げ、屋台のことを考え、最後に「春ってなかなか忙しいな」と思った。花も見なきゃいけないし、匂いも嗅がなきゃいけないし、食べ物にも気を取られなきゃいけない。

藤は300年、私は半日で疲れる。まあ、それぞれの咲き方があるということで納得したのである。

参考:中山大藤まつり2026|柳川の藤ライトアップと見頃情報

参考:福岡の藤の名所2026年版

【キャンプなぎの木 大野城ベース体験記】おじさん3人、ダッチオーブンと鳥の丸焼きで思い出したキャンプの勘

人には、好きだったはずなのに、すっかり忘れてしまうものがある。私にとってそれはキャンプだった。そんな大事なことを忘れるものかと思うが、忘れるのである。しかも数年単位で、きれいさっぱり忘れていた。まるで、押し入れの奥にしまったホットプレートのように、存在は知っているのに、ないものとして暮らしていたのだ。

子どもが小さいころは、ずいぶんキャンプに行ったものだった。子どもと、その友達家族と、わいわいにぎやかに出かけて、気づけばテントの数よりイスの数のほうが多いような、そんなキャンプである。子どもは走り回り、大人は肉を焼き、誰かが虫に騒ぎ、誰かが炭に苦戦する。あれはあれで、たいへんだったが楽しかった。

しかし子どもというものは、こちらの都合など気にせず成長する。中学生ともなると、土日にはそれぞれ何かしら予定が入るようになる。部活だの、友達との約束だの、よくわからない用事だの、とにかく親と一緒に「さあキャンプでも」とはいかなくなる。そうして私は、キャンプが好きだったこと自体を、うっかり忘れていたのである。なんとも薄情な話だ。

そんなさなか、仕事の関係者から「キャンプに行きたい」と誘われた。なんとなく軽い調子の話だったのだが、気がつけば本当に行くことになり、おじさん3人でキャンプに行くという、少し説明しづらい集まりが成立した。しかも、道具を持っているのは私だけで、ほかの二人はたいへん身軽だった。身軽というか、ほぼ手ぶらである。キャンプというのは、本来もう少し各自に責任がある遊びのはずだが、そのへんはふわっと始まった。

そこで私は、家の中のあちこちを探し回り、キャンプ道具を引っ張り出した。ランタン、テーブル、バーナー、ダッチオーブン。久しぶりに見る道具たちは、どれも「まだ使う気あったのか」という顔をしていた。私も同じ気持ちだった。キャンプ好きだったことを忘れていたくらいだから、道具の置き場所も半分くらい忘れていたのである。

行ったのはキャンプなぎの木 大野城ベース。太宰府インターから車で約5分という立地で、福岡市内からでも小一時間ほどで行ける。この手軽さはかなりよい。キャンプというと、自然を求めて山奥まで行き、たどり着くころにはすでに疲れている、ということもあるが、ここはそこまで気負わなくていい。自然はほしいが、遠すぎるのは困るという、少々わがままな大人にはちょうどよい場所なのである。

今回はリクエストもあり、鳥の丸焼きをダッチオーブンで作った。文字にすると急に本格派である。おじさん3人の集まりなのに、料理だけ妙にイベント性が高い。丸ごとの鳥というのは、それだけで少し特別感がある。普段の食卓ではなかなか登場しない姿なので、見た目の迫力もあるし、なんとなく場も盛り上がる。ダッチオーブンのふたを開けるときの、あの「ちゃんとできていてくれ」という緊張感は、何歳になってもよいものだ。無事にそれらしく焼けていたときには、たいしたことを成し遂げたわけでもないのに、妙に誇らしい気持ちになった。

考えてみれば、おじさん3人でキャンプというのは、少し奇妙である。若者でもなく、家族連れでもなく、それぞれまあまあの年齢の男が3人、自然の中で火を囲んでいるのだから、客観的に見ればなかなか味わい深い光景だったと思う。だが実際にやってみると、これがなかなか楽しい。変に気を使いすぎることもなく、かといって無言すぎることもなく、ただ火を見て、食べて、しゃべっているだけで時間が過ぎる。大人になると、こういう「特に意味はないが楽しい時間」は案外貴重なのだと思う。

それにしても私は、好きだったものを忘れていたのだから、ずいぶんもったいない数年を過ごしたものである。もっと早く思い出していればよかったとも思うが、人間はだいたい何かきっかけがないと思い出せない。押し入れの奥の道具も、使ってみればちゃんと役に立つし、自分もまだそれなりに動ける。そういうことが確認できただけでも、今回のキャンプは収穫だった。

今度は小学生の三男と一緒に行くのもいいなと思っている。子どもが大きくなると、親と出かける時間はだんだん減っていく。だから行けるうちに行っておいたほうがよいのだろう。まあ、そう思いながらまた先延ばしにするのが私なのだが、せっかくキャンプ好きだったことを思い出したのだから、今度は忘れないうちに火をおこしたいものである。

阪急アワーズイン再訪記|息子と二人旅・ANAブルーハンガーツアー・春休み東京宿泊の話

ホテルというのは、ふつう何度も泊まってはじめて「なんとなく勝手知ったる場所」みたいな顔ができるものだと思っていた。ところが私はこのたび、たった二回目にして、阪急アワーズインをうっすら定宿のように感じてしまったのである。人間のなれというのは実にいいかげんだ。

前回は出張で来た。仕事のついでの宿泊だったので、心はどこか落ち着かず、ホテルのことも「寝る場所」としてしか見ていなかった気がする。だが今回はちがう。今回は息子と二人旅である。しかも春休みだ。旅の空気が最初から少しだけ浮かれている。とはいえ、浮かれているのは主に息子のほうで、私のほうはマイルを使うときのあの、うれしいのか惜しいのかわからない気持ちを胸に、静かに東京へ向かったのである。虎の子のANAマイルを、えいっと放出したのだ。

息子はANAのブルーハンガーツアーというものに参加したかったらしい。私は最初、その名前を聞いたとき、青い格納庫を見るだけでそんなに心が躍るものなのかと思った。だが子どもにとって飛行機というのは、ただの乗り物ではないらしい。大人が思うよりずっと、夢とかロマンとか、そういう少し大げさなものがくっついている。私だって子どものころは工場見学とか、普段は入れない場所に入るだけで妙に興奮した。今でも「関係者以外立入禁止」と書いてあると、関係者でもないのに少し気になるのだから、人間の本質はたいして変わらないのかもしれない。

今回はツインルームだった。前回は一人で気楽だったが、ツインになると急に「旅」という感じがする。ベッドが二つ並んでいるだけで、ちょっとちゃんとしたことをしている気分になるのだから不思議だ。息子は部屋に入るなり、自分の寝る側をすばやく決めていた。こういうところだけは判断が早い。家で「早く片づけなさい」と言うと石のように動かないのに、ホテルのベッドの位置決めだけは風のようである。

それにしても、前回からあまり日が開いていないせいか、私はこのホテルの廊下やエレベーターを見ただけで、妙に「帰ってきた」ような気持ちになってしまった。二回目で帰ってきたも何もない。向こうからすれば、知らない客がまた来ただけである。なのにこちらは勝手に親しみを抱いているのだから、少々ずうずうしい。店で二回目に行っただけで常連顔をしそうになる自分を、私はときどき心の中で取り押さえている。

そんな勝手な親近感も手伝って、今回はおふろの王様に入って疲れをいやそう、と最初から決めていた。こういう「今回はこれをやる」がある旅は少し楽しい。大人になると、観光名所よりも風呂のほうが魅力的になってくるのが何とも言えない。若いころは旅といえば、見て、食べて、動き回るものだった気がするが、今はまず「どこで休めるか」に目がいく。年齢というのは、おそろしいほど正直に行動へ出る。

湯につかっていると、息子は明日のツアーのことを考えているのか、いつもより少しだけしゃんとして見えた。そういう顔を見ると、わざわざ東京まで来たかいがあったなと思う。マイルも減ったが、それはもう仕方がない。マイルというのは、ためているときが一番えらそうで、使うと急に心細くなる不思議な数字である。でも使わなければ、ただの数字のままだ。

息子との二人旅なんて、いつまでできるのかよくわからない。子どもはそのうち親と出かけるより、自分の世界のほうが忙しくなるだろう。そう思うと少ししみじみするが、しみじみしすぎるのも私らしくないので、ひとまず風呂上がりにのんびりできたことを喜ぶことにした。

たった二回目の阪急アワーズインは、やはりまだ定宿ではない。ないのだが、こちらが勝手にそう思って少し安心しているのだから、それでいいのである。旅の満足なんて案外そんなもので、立派な思い出より、見覚えのある廊下と大きい風呂があれば、もう十分なのだと思う。

【広島駅直結 ホテルグランヴィア広島 宿泊記】WESTERポイントで泊まる、4ベッド客室とラウンジの平和な幸福

ポイントというものは、不思議なものである。貯めているあいだは、なんとなく心の支えになるのに、使う段になると急に惜しくなる。まるで、引き出しにしまってある「いつか使うかもしれない輪ゴム」みたいなもので、持っているだけで安心するのだ。しかし私は今回、そのありあまるWESTERポイントをついに放出し、広島駅直結のホテルグランヴィア広島に宿泊してきた。こう書くとたいへん景気のいい人のようだが、実際は「ポイントでなら泊まれる」という、いささか庶民的な事情なのである。

泊まったのは、tsudoi-4Bという部屋だった。名前からして、すでに集まりを前提としている感じがある。「つどい」と言われると、なんだか親戚一同が法事のあとにお茶を飲む部屋みたいでもあるが、実際これはなかなか珍しい4ベッドの客室である。

シティホテルというのは、だいたい2名定員でできている気がする。世の中には家族連れがこんなにいるのに、ホテルの部屋だけが妙に「仲よく2人でどうぞ」という顔をしているのが不思議だ。家族旅行になると、たいてい2部屋に分かれることになる。そうなると、子どもの組み合わせをどうするかとか、誰がどっちの部屋に行くかとか、ちょっとした会議が発生する。そしてたいてい、最後にどこかへ追いやられる人がいる。だいたいお父さんである。

しかも、そういうときに出てくるエキストラベッドというものは、どうにも「申し訳程度」に置かれている雰囲気がある。寝られないことはないが、堂々とは寝にくい。正規メンバーのベッドたちが、きちんとした顔で並んでいる横で、一台だけ「今日は私でがまんしてください」という顔をしているのである。あれに寝るお父さんは、旅行先でもどこか仮住まい感がある。気の毒だなと思う。

その点、このtsudoi-4Bはよかった。4ベッド、しかも全部正規のベッド。誰ひとり、臨時採用の寝床に回されないのである。家族全員が一つの部屋で、しかも全員が対等に眠れる。これはかなり大きい。寝る場所の平等というのは、家族の平和に直結していると思う。大げさではなく、本当にそうなのだ。

私などは、ホテルに泊まると部屋の間取りやベッドの並びを見ただけで、妙にうれしくなる性質がある。子どものころも、親に連れられて泊まった旅館で、布団がずらりと並ぶのを見るだけでテンションが上がっていた。あの「今日はここで全員寝るんだ」という感じが好きなのだと思う。修学旅行ほど大げさではなく、でも日常ではない。あの少しだけ落ち着かない感じが、私はわりと好きなのである。

しかも今回はラウンジアクセス付きである。これはもう、ポイント宿泊なのに気分だけはだいぶ上流である。ティータイムやカクテルタイムが楽しめるので、ラウンジに行くだけで「自分は今、きちんと休んでいる」という顔ができる。普段の私は、家でお茶を飲んでいても、どこか「ついでに洗濯物たたまなきゃ」という顔つきになってしまうのだが、ラウンジにいると不思議とただ座っていても許される。椅子と空間の力はすごい。

カクテルタイムには、広島の地ビールや地酒をいろいろ楽しめて、私はたいへん満足だった。こういうとき、人はすぐ「飲み比べ」という言葉を使いたがるが、私も例にもれずしっかり飲み比べた。地ビールというのは、それぞれちゃんと個性があるようでいて、数杯飲むと最終的には全部「おいしい」の一言にまとまるところが、なんだか人間らしいと思う。地酒も同じである。細かい違いを語れるほど繊細ではないが、旅先で飲む酒は、それだけで少しおいしい。景色もつまみのうちなのだろう。

朝食もまたよかった。ラウンジ会場で、ステーキやオムレツをテーブルオーダーできるのである。朝からステーキと聞くと、一瞬ひるむ人もいるかもしれないが、旅先ではそういう常識がゆるむ。むしろ「朝からステーキを食べている自分」に酔えるので、これは一種のイベントである。しかもスパークリングワインまで飲める。朝食会場で泡の立つグラスを持っていると、ただの朝ごはんが急に「優雅な朝」になるから不思議だ。家で同じことをしたら、かなり心配されるのに、ホテルだと許される。場所というのは本当に大事である。

そんなわけで、ホテルグランヴィア広島での宿泊はかなり満ち足りたものだった。広島駅直結という便利さもありがたいし、4ベッドの安心感もあるし、ラウンジでは地のものを楽しめる。家族みんなで一部屋に泊まれて、誰もエキストラベッド送りにならず、朝からスパークリングワインまで飲めるのだから、これはもう小さな平和条約みたいなものだと思う。

やはりポイントは、貯めて眺めるより使ったほうがいい。そう頭ではわかっているのだが、また次もたぶん「もったいないな」と思いながら貯めるのだろう。人間は学ばない。しかし、その学ばなさのおかげで、また次の楽しみもできるのだから、まあそれでいいのである。

ちなみに、ホテルはJR広島駅直結で良いホテルだった。ポイント抜きにもまた泊まりたいと思えるクオリティだったことは申し添えておく。ちなみに北口と南口にそれぞれ「グランヴィア」と付くホテルがあるので行かれる際はご注意ください。

参考:ホテルグランヴィア広島に泊まる(楽天トラベル)

参考: WESTERポイントのお得な貯め方と使い方、交換ルート解説 ポイント特典きっぷやホテル宿泊券がお得 

福岡の花見の名所、舞鶴公園でBBQはいかが?場所取り・駐車場情報

日本気象協会では色々な情報を発信してくれていますが、桜の開花や満開予想も発表しています。われれが福岡県の開花予想は3月23日で、満開の予想は4月1日(土)ということです。お花見を計画するならこの間くらいの期間で企画しておくとよいですね。

福岡市内で花見といえば、やっぱりお勧めは中央区の大濠公園よこにある舞鶴公園でしょうか。こちらはライトアップもされるうえ、福岡城さくらまつりが開催されます。

ただ、平成29年(2017年)の公式サイト上の情報はまだでていません。情報としては2016年のものを私が加工しておりますので、花見の時期になりましたら再度ご確認下さい。

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