阪急アワーズイン再訪記|息子と二人旅・ANAブルーハンガーツアー・春休み東京宿泊の話

ホテルというのは、ふつう何度も泊まってはじめて「なんとなく勝手知ったる場所」みたいな顔ができるものだと思っていた。ところが私はこのたび、たった二回目にして、阪急アワーズインをうっすら定宿のように感じてしまったのである。人間のなれというのは実にいいかげんだ。

前回は出張で来た。仕事のついでの宿泊だったので、心はどこか落ち着かず、ホテルのことも「寝る場所」としてしか見ていなかった気がする。だが今回はちがう。今回は息子と二人旅である。しかも春休みだ。旅の空気が最初から少しだけ浮かれている。とはいえ、浮かれているのは主に息子のほうで、私のほうはマイルを使うときのあの、うれしいのか惜しいのかわからない気持ちを胸に、静かに東京へ向かったのである。虎の子のANAマイルを、えいっと放出したのだ。

息子はANAのブルーハンガーツアーというものに参加したかったらしい。私は最初、その名前を聞いたとき、青い格納庫を見るだけでそんなに心が躍るものなのかと思った。だが子どもにとって飛行機というのは、ただの乗り物ではないらしい。大人が思うよりずっと、夢とかロマンとか、そういう少し大げさなものがくっついている。私だって子どものころは工場見学とか、普段は入れない場所に入るだけで妙に興奮した。今でも「関係者以外立入禁止」と書いてあると、関係者でもないのに少し気になるのだから、人間の本質はたいして変わらないのかもしれない。

今回はツインルームだった。前回は一人で気楽だったが、ツインになると急に「旅」という感じがする。ベッドが二つ並んでいるだけで、ちょっとちゃんとしたことをしている気分になるのだから不思議だ。息子は部屋に入るなり、自分の寝る側をすばやく決めていた。こういうところだけは判断が早い。家で「早く片づけなさい」と言うと石のように動かないのに、ホテルのベッドの位置決めだけは風のようである。

それにしても、前回からあまり日が開いていないせいか、私はこのホテルの廊下やエレベーターを見ただけで、妙に「帰ってきた」ような気持ちになってしまった。二回目で帰ってきたも何もない。向こうからすれば、知らない客がまた来ただけである。なのにこちらは勝手に親しみを抱いているのだから、少々ずうずうしい。店で二回目に行っただけで常連顔をしそうになる自分を、私はときどき心の中で取り押さえている。

そんな勝手な親近感も手伝って、今回はおふろの王様に入って疲れをいやそう、と最初から決めていた。こういう「今回はこれをやる」がある旅は少し楽しい。大人になると、観光名所よりも風呂のほうが魅力的になってくるのが何とも言えない。若いころは旅といえば、見て、食べて、動き回るものだった気がするが、今はまず「どこで休めるか」に目がいく。年齢というのは、おそろしいほど正直に行動へ出る。

湯につかっていると、息子は明日のツアーのことを考えているのか、いつもより少しだけしゃんとして見えた。そういう顔を見ると、わざわざ東京まで来たかいがあったなと思う。マイルも減ったが、それはもう仕方がない。マイルというのは、ためているときが一番えらそうで、使うと急に心細くなる不思議な数字である。でも使わなければ、ただの数字のままだ。

息子との二人旅なんて、いつまでできるのかよくわからない。子どもはそのうち親と出かけるより、自分の世界のほうが忙しくなるだろう。そう思うと少ししみじみするが、しみじみしすぎるのも私らしくないので、ひとまず風呂上がりにのんびりできたことを喜ぶことにした。

たった二回目の阪急アワーズインは、やはりまだ定宿ではない。ないのだが、こちらが勝手にそう思って少し安心しているのだから、それでいいのである。旅の満足なんて案外そんなもので、立派な思い出より、見覚えのある廊下と大きい風呂があれば、もう十分なのだと思う。

【2026年3月 アフィリエイト報告】放置ブログを日記として復活させた私の広告収入が、あまりにも駄菓子みたいな額だった件

ブログというものは、しばらく放っておくと、なんとなく押し入れの奥にしまった健康器具みたいな気配を出してくる。使おうと思って買ったのに、気づけば上に別の荷物が積まれ、存在だけがうっすらしているのである。私にとってこのブログも、まさにそういう感じで、だいぶ長いこと放置されていた。

それが最近になって、なぜだかまた書こうという気になった。別に志が高まったわけでもないし、世界に向けて何かを訴えたくなったわけでもない。ただ、自分の日記として復活させるのも悪くないな、と思ったのである。人間、年をとると、自分が昨日何を食べたのかすら怪しくなってくる。ブログでも書いておけば、少なくとも「ああ、この頃の私はこんなことを考えていたのか」とあとで見返せる。見返して感心するような内容ではないが、何も残っていないよりはマシなのだ。

そしてこのブログには、読者もご存知のとおり、多少なりとも広告が貼ってある。多少なりとも、という言い方がいちばんしっくりくる。昔のように、ぎらぎらした目で「ここに広告、あそこにも広告」と詰め込んでいた時代とは違う。あの頃の私は、ネットの海の向こうに金脈が埋まっていると本気で思っていた節がある。今思うと、スーパーのチラシを握りしめて走るおばちゃんくらい必死だった。いや、おばちゃんに失礼かもしれない。おばちゃんはちゃんと成果を出している。

今はそこまでゴリゴリにアフィリエイトをするつもりはない。ないのだが、多少なりの収入があると、やはりうれしいのである。サラリーマンにとって副収入ほどありがたいものはない。毎月きっちり働いて、きっちり税金やら何やら引かれて、「はい、今月もお疲れさまでした」と言われても、財布の中身はたいしてふくらまない。その横から、ぽとりと小銭でも落ちてくると、人は妙に機嫌がよくなるものだ。たとえその小銭が、自販機の下をのぞき込んで見つけた10円玉みたいな額でもである。

ということで、発表しよう。このブログ記事のメイン広告、2026年3月の結果である。

8829回表示。
41回広告クリック。
報酬21円。

バーン、である。

いや、バーンじゃないのである。
21円でバーンと言われても、火薬が足りない。せいぜい「ポスッ」である。湿気たかんしゃく玉くらいの勢いしかない。

計算してみると、1クリックあたり約0.5円。私はこの数字を見たとき、なんとも言えない気持ちになった。0.5円というのは、もはやお金としての輪郭が薄い。半円玉がない以上、現実世界では単独で存在できない額である。つまり広告が1回クリックされるたびに、私は現実に存在しないものを受け取っているのだ。そう思うと少しかっこいいが、実際は全然かっこよくない。

昔、子どもの頃に駄菓子屋で「10円あればけっこう買える」と思っていた時代があった。あの頃の私に21円を見せたら、たぶん小躍りしたと思う。しかし今の私は、21円を見ても小躍りしない。コンビニでレジ横の募金箱に入れるかどうか一瞬迷うくらいの額である。人は大人になると夢を失うのではなく、21円への感受性を失うのかもしれない。

それでも、ゼロではないのである。ここが妙に大事だ。放置していたブログに広告を貼って、誰かが見て、誰かがクリックして、その結果として21円が生まれた。そう考えると、なんだか道ばたに咲いた雑草みたいで健気ではある。誰に頼まれたわけでもないのに、勝手に生えて勝手にがんばっている感じが、今のこのブログにはある。

もちろん、このペースでは最低受取額に到達するまで何年もかかりそうだ。下手をすると、受け取る前にサービスが終わるか、私のやる気がまたどこかへ行くか、どちらかである。そう考えるとずいぶん頼りない話だが、まあいいのよ、と思う。日記のついでに21円がついてくると思えば、ないよりはだいぶいい。期待しすぎるからがっかりするのであって、最初から「駄菓子一個ぶんにもならないかも」と思っていれば、21円でも意外と健闘しているように見える。

人生もたぶんそんなものなのだ。大きな花火を期待していたら、湿った音しかしないことがある。でも、音がしただけでも一応よしとするしかない。私の3月のアフィリエイトは、そんな感じだった。

つまり今月の結論としては、ブログは復活した。広告も一応働いた。私は21円を得た。
そして21円では何も買えないが、話のネタにはなったのである。

dポイント増量交換・PeX交換上限で失敗した3月末 ポイ活マニアがまた期限を忘れた話

三月の末というのは、どうも人を落ち着かなくさせる。
カレンダーの数字がやけに切迫して見えるし、なんとなく「今月じゅう」「年度内」「月末まで」といった言葉が、冷蔵庫の奥でしなしなになった野菜のように、こちらに存在感を放ってくるのである。

私はこの時期になると、世間の人が思う以上にポイントのことを考えている。
花見とか新生活とか、そういうきらびやかな話ではない。dポイント増量交換である。私のようなポイ活マニアにとって、これはもはや季節の行事というより、朝起きたら顔を洗う、くらいの日常に近い。ポイントを交換するだけで10%増える。しかもdポイントは日興フロッギーで実質換金できるのだから、気分としては、空き地に置いてあった段ボールを拾ったら中に千円札が入っていた、みたいな感じである。かなりうれしい。

だから今回も、私は当然のように動いた。
いつものように、ぬかりなく、手慣れた感じで、少し得意げですらあった。こういうときの私は、自分のことをかなり賢い人間だと思っている。実際には、ポイントの通り道だけに詳しい、ずいぶん偏った大人なのだが、そのときは見えないのである。

PeXに移したポイントは三百万。
数字だけ見ると、なんだか小さな成金みたいで気分がいい。画面の中の数字なのに、急に自分が経済を回している人のような顔つきになる。べつに回してはいない。ただ右から左に動かしているだけである。

ところがである。
私は、肝心なことを忘れていた。
PeXには交換上限があり、一日に百万、いや百万人分でもなく、百ポイントでもなく、百“万”ポイントしか動かせないのだ。三百万あるのに、一日百万。つまり、三日かかる。月末に気づいた私には、その三日がない。ないものはないのである。

※注記:PeXは10P=1円相当である

この瞬間、頭の中で、ああまたか、という音がした。
べつに実際に鳴ったわけではないが、かなりはっきり聞こえた気がした。私はこういう「あと一歩の凡ミス」を、驚くほど定期的にやる。以前も、増量交換のエントリーを忘れて、見事に増量されないという、目も当てられない失敗をしたばかりである。あのときは、準備万端で遠足に来たのに、肝心のリュックを家に置いてきたような気持ちになった。いや、遠足ならまだ笑えるが、ポイントは笑ってくれない。

それなのに、今回もまたこれである。
学習しない男、と書くと少し文学的だが、要するにうっかりしているだけだ。しかも私は、こういう失敗をしたあと、必ず「次はちゃんとやろう」と思う。その“思う”までは非常によくできる。問題はその先で、次になると、前回の自分の決意など、風呂あがりの湯気くらいの速さで消えているのだ。

思えば、昔からそうだった。
夏休みの宿題も、八月の前半には「今年こそ計画的にやる」と固く誓い、後半になると工作の材料を探して家中をひっくり返していた。大人になれば少しはましになると思っていたが、対象が宿題からポイントに変わっただけで、やっていることはほとんど同じである。人は成長するというが、案外、形を変えて同じところをぐるぐる回っているだけなのかもしれない。ハムスターの回し車みたいなものだ。しかも私の回し車には、dポイントとPeXのロゴが貼ってある。

もっとも、今回の失敗はまだましである。
前回のように、エントリー忘れでまるごと増量されない、という致命傷ではない。今回は、次回に回せばいいだけだ。そう思えば、腹も立たない。立たないどころか、「まあ許せるか」という気分にすらなる。人間は比較対象があると急に寛大になるものらしい。ひどい失敗のあとだと、少しひどい失敗はかわいく見える。これは成長ではなく、たぶん感覚が麻痺しているのだと思う。

三月末には、いろいろな期限がある。
そのたび私は、忘れないようにしよう、余裕を持とう、確認しよう、と毎年のように思う。だが、結局ぎりぎりになってから慌てるのである。そういう自分にあきれながら、それでもまたポイントを動かしている。
なんだかんだ言って、私はこういう細かいことで一喜一憂するのが好きなのだろう。

だからたぶん、次もまた参加する。
そしてまた何かを忘れる気もする。
もうここまでくると、ポイ活というより、うっかりの定期観測なのかもしれない。
増えるのはポイントだけで十分なのだが、失敗まで増やしているのだから、まったく困ったものである。

無印良品週間とJQカードプレミアムデイズで博多駅(アミュプラザ)が修羅場になった日の話

たまたま休みの日になると、人は前の晩から少しだけ心が広くなる。明日は昼まで寝てやる、布団と一体化してやる、と私はかなり本気で思っていた。こういうときの私は、もう半分くらい布団の民なのである。

ところが現実はそう甘くなかった。朝、私はたたき起こされた。あまりにも急だったので、一瞬なにか大きな災害でも起きたのかと思ったが、そうではなかった。もっと家庭的で、もっと切実で、そして私にとってはかなり迷惑な用件だった。

「博多駅まで車を出してほしい」

理由を聞くと、今日はJQカードプレミアムデイズと無印良品週間が重複する特異日なのだという。特異日、と言われるとなんだか天体観測みたいで少しかっこいいが、要するに「今日はすごくお得だから行くしかない日」という意味である。しかも春休みなので子どもたちも巻き込んでのお買い物だという。巻き込む、という表現がぴったりの気がした。私も巻き込まれていたからだ。

私はお得が嫌いではない。むしろ好きなほうだと思う。スーパーで見切り品のシールを見つけると、心の中で小さくガッツポーズをする程度には、お得の味方である。けれど、お得のために人波へ突撃する勇気は持ち合わせていない。私のお得は、できれば家で完結してほしいのだ。クリックとか、タップとか、その程度の運動量で済ませたい。

それなのに、今日は博多駅前である。駅前というだけで、もう人が多そうだ。さらに無印良品週間である。しかもJQカードプレミアムデイズまで重なる。これはもう、混む要素を鍋に全部放り込んで強火で煮たような日である。

案の定、無印良品のお店は大混雑だった。私は予想していた。していたのだが、その予想はひかえめすぎた。現場の混雑は、私の想像をあっさり追い越していった。店内には、人、人、人。みんな静かに商品を見ているのに、全体としては圧がすごい。不思議なものである。無印良品というのは、見た目は落ち着いているのに、セールとなるとものすごい熱を帯びるのだ。

10%オフに加えて、請求時に10%還元。計算すると実質19%還元くらいになるらしい。こういう数字を聞くと、たしかに「今だ」という気持ちになるのもわかる。いや、わかるのだが、それにしてもあれだけ並ぶのは無印良品の強さなのだろう。あのベージュっぽい色味と、主張しすぎない収納用品と、なんだかんだ使いやすいレトルトカレーには、人を店まで運ばせる力があるらしい。たいしたものだと思う。

しかし私の頭の中では、別の計算機がうなっていた。昨日までなら楽天お買い物マラソンとSPUと楽天カードの日を合わせれば、わりと同じくらいの還元に持ち込めたのではないか。家で。ネットで。人混みゼロで。私は心の中でその理論を組み立て、ついでに口にも出した気がするのだが、妻には届かなかったようだ。

届かなかったというより、最初から採用される見込みのない意見だったのかもしれない。たまに私は、自分の発言が家庭内でうっすら字幕みたいに流れて、そのまま誰にも読まれず消えていく気がする。まあ、私も逆の立場なら聞き流しているかもしれないので、お互いさまである。

それにしても、私は昔から出不精だ。子どものころも、せっかくの休日に外へ遊びに行こうと言われると、うれしいより先に「着替えるのが面倒だな」と思う子だった。今思うと、あまり夢のある子どもではない。遠足の日ですら、行けば楽しいのに、家を出るまでがいやだった。人生のかなりのことは、この「出るまでがいや」で説明できる気がする。歯医者も美容院も役所もだいたいそうである。

だから今日も、行ってしまえば終わるのだが、終わるまでにしっかり疲れた。人込みというのは、何もしていないのに体力を吸っていく。私はただ立っていただけなのに、帰るころには一日働いたような顔になっていたと思う。実際にはほとんど役に立っていないのに、妙に疲れている。こういうときの自分は、運動会で特に活躍していないのに打ち上げだけ参加した人みたいで、少し気まずい。

お得なのは好きなのである。でも人込みはとても嫌いなのである。この二つは仲が悪い。同じ家に住んでいるのに会話をしない親子みたいな関係だ。どちらかだけ選べと言われたら悩むが、できればお得だけこちらへ来て、人込みのほうはどこか遠くへ行ってほしい。

そんな都合のいいことを考えながら帰ってきて、家の静けさにほっとした。結局、いちばんありがたいのは何%還元でもなく、人の少ない場所なのかもしれない。そう思ったが、次にまた大きな還元率を見たら、私はそれはそれで少し心が揺れる気もする。人間というのは、案外その程度のものなのだ。

ちなみに今週末まで利用できるようだ。「無印良品週間2026春|3月20日~福岡店舗&買うべき商品」「JQカード10%オフ・プレミアムデイズはいつ開催? アミュプラザ博多でお得にお買い物」行きたい人はどうぞ。私はもう行きたくない(笑)

WESTERポイント38万ポイントを1年で使い切るという、地味に重たい課題

先日、私はスマホの画面を見ながら、静かに固まっていた。
何を見ていたのかというと、WESTERポイントの残高である。

385,928ポイント。

数字だけ見ると、なかなかの貯金に見える。
しかしこれは現金ではない。ポイントである。しかも期限付きのポイント。
期限は2027年3月31日。
つまり、あと約1年で使い切らなければならないのである。

こういうのを見ると、人は急に哲学的になる。
私はスマホを見ながら、ぼんやり思った。

「人はなぜ、使いきれないほどポイントを貯めてしまうのだろう」

ポイ活というものは、基本的に楽しい。
なぜなら、お金が増えている気がするからだ。
実際にはお金ではなくポイントなのだが、そこはまあ雰囲気である。

数年前、あるインフルエンサーがこう言っていた。

WESTERポイントは超絶お得です

新幹線で使えば
1ポイント=2円以上。

ホテルでもお得。

つまり、普通に使うのはもったいないのである。

私はその言葉を聞いた瞬間、膝を打った。
そして心の中で静かに決意した。

「貯めよう」

こうして私のWESTERポイント人生が始まったのである。

しかし人間というのは、目的を見失いやすい生き物である。

貯めているうちに、だんだん目的が
「お得に使う」から「とにかく貯める」に変わってくるのだ。

気づいたら38万ポイントになっていた。

これはなかなか壮観である。
ゲームで言うと、ラスボス直前の経験値みたいな数字だ。

しかし現実に戻ると、私はそんなに電車に乗らない。

月に数回くらいだろうか。

新幹線に至っては、
「年に数回乗るかもしれない」
くらいの頻度である。

つまり、こういうことになる。

とてもじゃないが使いきれない。

ポイントというのは不思議なもので、
使うときになると急にケチになる。

1ポイント=1円で使える場所はいくらでもある。
しかし私はそれがどうにも許せない。

なぜなら頭の中では

「1P=2円」

という幻が住んでいるからだ。

この幻はなかなか強力である。

たとえばコンビニで
「ポイントで払いますか?」
と聞かれると、私は心の中でこう思う。

いやいやいや。
それはダメだ。
それは敗北である。

ポイントを現金と同じ価値で使うなんて、
なんだか損した気がするのだ。

そこで私はこの悩みを妻に相談した。

「ポイントが38万ある」

すると妻は一言で答えた。

「米を買えば?」

実にシンプルである。

確かにその通りだ。
ポイントは普通に使える。
米だって買える。

だが問題はそこではない。

1P=1円では使いたくない。

この感情である。

我ながら面倒くさい人間だと思う。

しかしこういう葛藤は、
ポイ活をやっている人にはわりと共通しているのではないだろうか。

得をしたい。
しかし損はしたくない。

その結果どうなるかというと、

使えない。

ポイントとは、本来使うためにある。
それなのに、価値を最大化しようとすると逆に使えなくなる。

これはもう哲学と言っていい気がする。

ポイントとは何か。
得とは何か。
人生とは何か。

そこまで考えたところで、私はふと思った。

まあ、最悪の場合は
米を買えばいいのである。

38万ポイントあれば、
かなりの米が買える。

もしかすると私は、
この1年で日本一米をポイントで買う男になるかもしれない。

それはそれで、ちょっと面白い。

人生というのは、だいたいそんなものである。

d払いタッチ 20%還元 3/19に早期終了 Visa割に続きお前もか……

私はわりと、ポイント還元というものに人生を預けがちな人間である。
スーパーの安売りにはそこまで走らないくせに、「20%還元」と書いてあると急に目の色が変わる。人間の欲というのは、実に細かいところで正直なのだと思う。

そんな私が、ひそかに大事な枠として取っておいたのが、d払いタッチの20%還元である。
3月2日から始まって、15,000円使えば3,000ポイント。しかもdポイント10%増量と組み合わせれば、なんだかものすごく賢い人みたいな立ち回りまでできる。こういう「うまくやれば得をする」という話に、私はたいへん弱い。自分が急に家計の軍師になったような気がするからである。実際は、コンビニでお菓子を買う時にニヤニヤしているだけなのだが。

ところがである。
その大事なd払いタッチが、3月19日で早期終了とのこと。
お前もか……という気持ちしか出てこない。
ブルータス……。

この「お前もか」は、昔、楽しみにしていた給食のデザートが、教室に着くころには欠品していた時の気持ちに少し似ている。私はあの頃から、どうも限定とか先着とかに弱いのである。早い者勝ちの世界では、たいてい出遅れる。そして後から「あのとき動いておけば」と、冷めた焼きそばパンみたいな後悔を噛むことになる。学ばない人間だと思う。

しかも今回は、Visa割に続いての早期終了ラッシュである。
こちらとしては、あれとこれを組み合わせて、1,000円以上はVisa、1,000円未満はd払いタッチ、さらに増量ポイントを出口にして……と、めずらしく脳みそを働かせていたのに、キャンペーンのほうが先に走って行ってしまう。計画を立てた人間だけが取り残される。なんともやるせない。

そもそもd払いタッチという名前も、少し油断ならない。
「d払い」とついているので、ふつうのd払いの仲間かと思えば、iDだったりVisaタッチだったり、しかもVisa割の対象外だったりする。親戚の集まりで見たことある顔なのに、名前と関係性が最後までよくわからない人みたいである。こちらは「お得」という一点だけを見て近づいているから、余計に混乱するのだ。

それでも私は、この手のキャンペーンを見るたびに思う。
現代の買い物は、もはや買うことそのものより、どう払うかのほうが長い。パンを一個買うのに、還元率と上限と対象外条件を確認している自分は、いったい何をしているのだろうと思う。でも、そこを考えている時間が少し楽しいのだから困る。趣味なのか節約なのか、もう自分でもわからない。

d払いタッチの20%還元は終わってしまう。
大事に温存していた枠は、だいたいこうして使う前に消える。人生もポイントも、「今度にしよう」と思ったものから先になくなるのかもしれない。などと少しだけ深いことを考えたが、たぶんそこまでの話ではない。

結局のところ、キャンペーンというものは、桜みたいなものなのである。
咲いているうちに見に行かないと終わる。
そして私はまた、次の還元を見つけては「今度こそ早めに使おう」と思うのだ。毎回そう思っているので、たぶん次も間に合わない。

JR西日本WESTERポイント全線フリーきっぷで中学生の卒業旅行|ローカル線と朝ドラ聖地・松江出雲を巡る息子の鉄道旅

先日、息子が一泊二日の鉄道旅から帰ってきた。
JR西日本のWESTERポイントで交換できる「全線フリーきっぷ」という、なんとも夢のあるきっぷを使った卒業旅行である。

中学校の卒業祝いに「どこか行きたいところある?」と聞いたら、即座に
「ローカル線に乗りたい」
ときたので、私は思わず笑ってしまった。普通ならテーマパークとか、せめて都会のショッピングモールとかを想像するのだが、うちの息子は電車なのである。

そんなわけで、博多から新大阪までの新幹線を含め、JR西日本のほとんどの電車に乗れるというフリーきっぷを用意した。
これがなかなか豪快なきっぷで、乗ろうと思えばかなり遠くまで行ける。

ただし私は内心、
「まあ、せいぜい岡山くらいまでじゃないのか」
と勝手に思っていた。

ところがである。

帰ってきた息子の話を聞くと、松江だの出雲だの、私の想像よりはるかに遠くまで行っているではないか。
しかもローカル線をいくつも乗り継ぎながら。

親戚の家にも一泊させてもらい、ちゃっかり旅の拠点まで確保している。
中学生のくせに、やけに旅慣れているのである。

松江では、いまNHKの朝ドラの舞台になっている小泉八雲の住まいも見てきたらしい。
写真も見せてもらったが、私は正直なところ、八雲の家よりも息子の撮ってきた電車の写真のほうが多いことのほうが気になった。

どこへ行っても、結局は電車なのである。

そういえば、私が中学生のころはどうだったかと思い出してみた。
たぶん休日は家でゴロゴロして、テレビを見たりゲームをしたりしていたはずだ。

遠くへ行こうなどという発想は、ほとんどなかった。
電車に乗るとしても、せいぜい近所のショッピングセンターである。

それに比べて息子は、時刻表を調べてルートを組み、ローカル線を乗り継いで知らない土地まで行ってしまう。
私は感心しつつ、少しだけ不思議な気分になった。

同じ親から生まれているはずなのに、この行動力の差はどこから来るのだろうか。

もしかすると、私は「面倒だな」と思うタイプで、息子は「面白そう」と思うタイプなのかもしれない。

そう考えると、人生はわりとシンプルにできている気がする。
面白そうと思った人はどこまでも行き、面倒だと思った人は家にとどまる。

私は長いあいだ、わりと家にとどまっている側の人間である。

もっとも、それが悪いとも思っていない。
家でゴロゴロするのも、それはそれでなかなか快適なのだ。

ただ、息子の旅の話を聞いていると、ローカル線というものに少し興味がわいてきた。
ゆっくり走る電車に乗って、知らない町の駅に降りるというのも、案外いいかもしれない。

とはいえ実際にやるかと言われると、たぶんやらない気もする。

私はきっと、
「いいなあ」
と思いながら、家のソファに座っているタイプなのである。

まあ、それはそれで悪くない人生だと思うのだ。

次はいつ「フリーきっぷは取れるのか?」。とのことだ。いいきっぷをありがとうJR西日本。

スマホでタッチでVisa割キャンペーン早期終了で、千円の壁に翻弄された私の話

衝撃のニュースというものは、たいていもっと大きな顔をしてやって来るものだと思っていた。たとえば政治とか災害とか、有名人の結婚とかである。ところがこのたび私のところへやって来た衝撃のニュースは、じつにこぢんまりしていた。「スマホで!タッチでVisa割キャンペーン!」が早期終了するというのである。なんだそんなことかと思う人もいるだろうが、私にとってはけっこうな事件だったのだ。

このキャンペーン、1回1000円以上の決済で抽選のキャッシュバックが受けられるという、なんとも人の心をくすぐる仕組みであった。抽選と聞くと、普段の私は急に世の中を信じなくなるくせに、還元率が高いと聞いたとたん、すぐ信じる。こういうところが私のだめなところなのである。たいして運もよくないのに、なぜか「今回はいける気がする」と思ってしまう。宝くじ売り場の前を通ると毎回ちょっとだけ夢を見る人間と、ほぼ同じ生き物だと思う。

それ以来、私は買い物のたびに「1000円」という数字に支配されるようになった。スーパーへ行って、合計が970円くらいだと落ち着かない。ここまで来たなら、あと30円、いやせっかくだからもう少し余裕を見て100円か200円足したい、という妙な欲が出る。欲というと聞こえはいいが、要するにキャッシュバックに釣られているのである。魚ならもう少し警戒心があるだろうと思う。

この「あと少し足したい病」は、昔、商店街の福引券を集めていたころとよく似ている。母が「あと一枚あればガラガラ回せる」と言い出すと、家じゅうが妙な空気になったものだ。たいして必要でもない豆腐だの洗剤だのを買って、ようやく一回まわせる権利を得る。そして当たるのは、だいたいポケットティッシュである。あのとき私は子どもながら、なんだか人生の仕組みを見た気がした。苦労して手に入るものは、だいたいポケットティッシュ級なのだ。

それなのに大人になった私は、形を変えた福引にまた参加していた。しかも今回はスマホである。文明が進んでも、やっていることはほとんど同じなのだ。レジ前で合計金額を見て、「うーん、あと200円分くらい何かないか」と売り場をうろつく自分は、かなりみっともない。別に誰も見ていないのに、私はなぜかちょっと急いでいるふうを装う。ほんとうは鮭フレークを買う理由など特にない。ただ1000円を超えたいだけである。そんな買い物をして帰宅し、冷蔵庫の奥に増えていく似たような品々を見ると、私は自分の小ささに感心する。人間はここまで小刻みに欲望を調整できるのだなと思う。

一方で、会計が1200円とか1300円になると、今度は「これはこれでうまく乗ったな」と妙な満足感がある。自分のお金で自分の物を買っているだけなのに、少し得したような顔をしてしまう。こういう顔はたぶん、誰に見せてもあまり尊敬されないと思う。

そんな日々が、2026年3月26日23時59分で終わるという。予算上限に達する見込みとのことで、大好評だったらしい。たしかに好評だろうと思う。私みたいな者まで、毎回きっちり金額を気にしていたのだから。しかし残念だなと思う半面、どこかほっとしている自分もいる。もう800円台の会計を見て、店内を二周しなくていいのである。もう「今これを買うと本当に得なのか、それともただ話をややこしくしているだけなのか」と悩まなくていいのだ。

キャンペーンが終わるだけで、こんなにも心が軽くなるとは思わなかった。得をしたい気持ちは、案外、得じゃないのかもしれない。私はそういうどうでもいい結論にたどりつき、たぶん明日も普通にスーパーへ行くのだと思う。そして合計金額が998円だったら、結局ちょっとだけ悔しいのだろう。人間とは、そういうものなのである。

楽天グループ 株主優待 無料SIMの紙を捨てた私の、うっかり節約失敗日記

このあいだ、家に届いた封筒をなんとなく開けて、なんとなく中を見て、なんとなく「あとで読もう」と思い、そしてなんとなく捨てた。私の「なんとなく」は、だいたいロクなことにならないのである。

あとになって、Xで「昨日今日くらいで届いている楽天グループの株主優待の通知は捨てないで!」という投稿を見た。捨てないで、と言われた時にはもう遅い。私はその投稿を見るまでもなく、すでに見事に捨てていたのである。早い。判断が早い。いらないほうにだけ。

楽天グループの株主優待というのは、100株持っていると楽天モバイルの回線が実質1年使えるとかなんとか、そういうたいへんありがたい話らしい。無料SIMだとか、通信費の節約だとか、聞くだけで家計の味方という感じがする。そういう得なものに限って、私はだいたい紙で来た時点で負けている。アプリの通知ならまだしも、紙になると急に「町内会のお知らせ」みたいな顔をしてくるから油断するのだ。

しかも今回は、ただの案内ではなくて、申し込みに必要なIDやパスワードが書いてある紙だったらしい。継続の人も手続きが必要だという。そんな大事なことを、あんな普通の顔をした紙に書かないでほしいと思う。もっとこう、金色にするとか、封筒に「あなたが捨てると損します」とでも書いておいてほしい。いや、たぶん書いてあっても私は捨てるかもしれない。自分を買いかぶってはいけない。

あわててゴミ箱をあさった。ゴミ箱をあさる自分の姿というのは、なかなか人に見せられるものではない。株主優待を受ける人というのは、もう少し落ち着いた顔で暮らしているのかと思っていたが、実際はゴミ袋の中で「あれか、これか」と紙を引っぱり出している。優待以前に生活を優待してほしい。

なんとかその紙は発見された。よかったよかったと思って手続きを進めようとしたところ、今度はマイナンバーカードの電子認証の有効期限が切れていた。ここで私は少し笑ってしまった。いや、笑うところではないのだが、もう笑うしかないのである。紙を捨て、掘り出し、本人確認でつまずく。この流れの悪さは、朝から張り切って出かけたのに財布を忘れて駅まで行く感じに似ている。いや、もっと地味でみじめかもしれない。

私は昔から、何かを一個忘れると芋づる式にいろいろ忘れていることが多い。学校のころも、体操服を持っていく日に限って赤白帽を忘れ、赤白帽を持っていく日に限って上履きを忘れていた。準備をしたつもりで、いちばん大事なところが抜けている。そういうポンコツ気質は、年を重ねてもわりと元気に生き続けているようだ。成長とは何なのだろうと思う。

それにしても、電子認証の有効期限というものは、絶妙に忘れる。カード自体の期限とは別に、ああいう見えにくい期限があるのがいかにも役所っぽい。冷蔵庫の奥でしずかに期限切れしている納豆のようである。見ればわかるのに、見ないから気づかない。そして気づいた時には、ちょっと面倒なことになっている。

こういうことがあるたびに、私は「ちゃんとした大人になろう」と一瞬だけ思う。でも一瞬だけなので、たぶんあまり効いていない。大人になってずいぶん経つのに、いまだに「今週中にでも役所いこう」と、夏休みの宿題みたいなことを言っている。役所も別に逃げないのだが、私のやる気はすぐ逃げる。

とりあえず今週中には行こうと思う。こういうのは、思っているうちが花である。無料SIMひとつもらうのに、ここまで自分のダメさを確認することになるとは思わなかったが、まあ、通信費の節約というのは、たぶんこういう小さい面倒に耐える人だけが手にできるのだろう。

私はその入口で、いったんゴミ箱に落ちたのである。

参考記事: 楽天グループ株主優待で楽天モバイル回線が1年無料 2026年の無料回線の条件と取得方法 

ETCマイレージ 失効 注意 年度末 ポイント交換を忘れたくない人の、あぶないあぶない話

年度末というものは、どうしてこう人をせかすのだろうと思う。
べつに誰かに追い立てられているわけでもないのに、三月になると急に「やっておいたほうがいいこと」が、押し入れのすみからぞろぞろ出てくる。確定申告だの、保険だの、使っていないアプリの整理だの、私の頭の中は年末よりもむしろ年度末のほうが散らかるのである。

そんな中、ふと思い出したのがETCマイレージだった。
思い出した、というより、正確には「そういえばあれ、どうなってるんだっけ」と、半分いやな予感をともなってサイトをのぞいたのである。すると、そこに出てきたのが「2026年03月末日まで有効なポイント 575ポイント」という表示だった。
五百七十五ポイント。
なんとも絶妙な数字である。多すぎて見過ごせないが、少なすぎて王様みたいな顔もできない。財布の中で見つけた千円札ではなく、冬のコートのポケットから出てきた五百円玉みたいな感じだ。うれしいが、危なかったなという気持ちのほうが強い。あぶないあぶない。

私はこういう「失効しますよ」というものに弱い。
ポイントとか、クーポンとか、引き換え期限とか、そういうものを前にすると、人は急に小市民になる。いや、私は常に小市民なのだが、よりいっそう小さくなるのである。
昔、パン屋でもらったスタンプカードを大事に持っていたことがある。あと一個で食パンがもらえる、というところまで来て、満を持して店に行ったら、カードの有効期限がきれいに切れていた。あの時の私の顔は、たぶん雨の日にぬれた段ボールみたいだったと思う。へなへなである。

ETCマイレージも、仕組みを知るとわりとまじめにできている。NEXCOなんかでは10円で1ポイントつくけれど、だからといって何でも10%還元というわけではない。1,000ポイントで500円分なら実質5%、3,000ポイントで2,500円分なら約8.3%、5,000ポイントで5,000円分になってようやく10%である。
なんだか算数の時間のようだが、こういうのは知るとちょっと楽しい。人は「お得」という言葉に出会うと、急に計算だけは熱心になる生き物なのだと思う。
月に一回、往復8,000円くらい高速に乗る人なら、年間でそこそこ貯まって、数千円分の無料通行になるらしい。こう書くと、かなり立派である。節約上手の人の家計簿に載っていそうな話だ。私の場合は、そこまで計画的に生きていないので、「なんか貯まってた。消えるところだった」が現実に近い。

しかもETCマイレージは、登録していなければ一切貯まらないし、あとから「あのときの分もお願い」と言ってもだめだという。ここがまた厳しい。人生にはわりと情状酌量というものがある気がするのだが、ポイントの世界は冷たい。
さらにポイントは道路事業者ごとに別々について、付与された年度の翌年度末、つまり三月末で失効する。最長で約二年、最短で約一年。
この「最長」と「最短」が混ざっている感じが、また人を油断させる。まだ大丈夫な気もするし、もう遅い気もする。こういうあいまいなものに対して、人はだいたい負ける。私も何度も負けてきた。

それにしても、575ポイントというのは、実に私らしい中途半端さだと思う。
5,000ポイントまで貯めれば最大10%還元、などと聞くと、ちゃんと高速に乗って、ちゃんと貯めて、ちゃんと交換する人の背中が遠くに見える。私はその手前で、ちょこちょこ乗って、ちょこちょこ貯まって、危うくちょこっと失うところだった。
こういうところに、人の生活は出るのだろう。大きな失敗はしないが、小さくあぶない。派手さはないが、気を抜くとすぐ何かが消える。私の暮らしはだいたいそういう感じである。

だから年度末にやっておくこととして、ETCマイレージの確認はかなりえらい部類に入ると思う。
なにしろ、もう走り終えた道のぶんが、黙って消えていくのを見るのはさびしい。道路はそこにあるのに、ポイントだけいなくなる。薄情である。
せっかくなので、三月のうちに一度ログインして、失効前のポイントがないか見ておくのがよいのだと思う。大げさな節約術ではないけれど、こういうのは「拾える五百円を拾う」みたいな話なのである。

結局のところ、私たちの生活は、壮大な資産運用よりも、こういう小さな取りこぼしとの戦いなのかもしれない。
575ポイントを前にして、私は妙にしみじみした。
そして同時に、来年の三月にもたぶん似たような顔で「あぶないあぶない」と言っている気がする。人は学ぶ生き物だと言うけれど、ポイントのことに限っては、私はあまり成長していないのである。

ETCマイレージについては「 ETCマイレージとは?還元率・登録方法・年度末のポイント失効対策を解説【最大10%還元】 」の情報を参考にしている。