眠くなったら寝る健康法|仕事とウェルビーイングと私の最強睡眠習慣

私の最大の健康法は、「眠たくなったら、すぐに寝る」という、拍子抜けするほど地味なものである。
夜、まぶたが重くなってきたら、どんな作業をしていようが「はい終了」と心の中で号令をかけて布団に入る。目覚まし時計も基本的には使わない。昼間も同じで、急に睡魔が来たら、できるだけ20分ほど目を閉じる。起きたときに世界が少しマシに見えたら、それで成功なのだ。

睡眠中の自分の治癒力を、私はかなり信用している。というか、起きている自分より、寝ている自分の方がよほど有能だと思っている節がある。起きている私は余計なことを考え、悩み、ネットを見てはどうでもいい情報を頭に詰め込むが、寝ている私は黙々と体と心を修復してくれる。文句も言わずに。

寝つきは驚くほど良い。ケータイをパタリと裏返すと、それが私の中の「睡眠スイッチ」になるらしく、次の瞬間には意識がない。サウナに入ったあとの夜などは特にひどく、布団に入った記憶すら怪しい。たぶん私は、サウナの湯気と一緒に魂が少し抜けている。

そんな私にも、人生で二度だけ眠れない時期があった。どちらも、先が見えない仕事のことで頭がいっぱいだった頃である。布団に入っても目だけが冴え、天井を見ながら最悪の想像を量産する。仕事の見通しが立った途端、あれほど頑固だった不眠が嘘のように消えた。人間の身体は、思っている以上に正直で、そして不思議だ。

人生のために仕事があるはずなのに、仕事のせいでウェルビーイングが削られていくのは、どう考えても割に合わない。
だから私は、普段から「たかが仕事」と自分に言い聞かせている。たかが、されど、ではあるけれど、眠れなくなるほど追い込む必要はない。仕事は一人で抱えず、できるだけ組織的に、みんなで支え合ってやるものなのだ。

さて、こんなことを書いているうちに、少し眠くなってきた。
今日も深い反省はせず、スマホを裏返して、さっさと寝ることにする。
健康法というのは、案外この程度でちょうどいいのだと思う。

月281円でiPhone17を持つという、ちょっとした覚悟とどうでもいい決意

ある日、私はコーヒーを飲みながら、なんとなくスマホ料金の明細を眺めていた。眺めていただけで、特に理由はない。理由はないが、そこに「高いな」という感想だけが残った。人間というのは暇だと料金を見直し始める生き物なのである。

そんな流れで、iPhone 17が月281円で使える、という話を目にした。281円。駄菓子の値段である。最初は脳が理解を拒否した。私の知っているiPhoneは、だいたい15万円くらいして、買った瞬間から大事に扱わないといけない高級果物みたいな存在だったからだ。

調べてみると、どうやらNTTドコモのいつでもカエドキプログラムという仕組みと、ahamo、それにMNP割引を組み合わせると、そういう計算になるらしい。2年後に端末を返す前提で、「このくらいの値段で買い取りますよ」と未来の価値を先に約束してくれる仕組みだ。なんだか、人質交換のようで少し緊張する。

私は昔、分割払いがどうも苦手だった。一括で払って「もう終わった」と思いたい性格なのだ。だが今回ばかりは、281円という数字がしつこく頭に残った。毎月の通信費を入れても3,000円ちょっと。これはもう節約というより、実験である。

しかも、AppleのApple Storeで買うより安い、という事実が追い打ちをかける。正規ルートより安い正規品。私はだんだん「買わない理由」を探すほうが面倒になってきた。

もちろん、2年後には返却しなければならない。傷をつけず、水にも落とさず、大事に使う必要がある。つまり私は、2年間ずっとスマホに気を使う人生を選ぶことになる。それが幸せかどうかは分からない。

でもまあ、月281円で最新のiPhoneを触りながら、「ああ、私は今、得している気がする」と思えるなら、それでいいのだと思う。気がする、というのが重要なのである。

Xを開いた瞬間に消える投稿現象に名前を付けたい

朝、歯を磨きながらなんとなくXを開いた。特に目的はない。天気予報を見るほどの気合いもなく、ニュースを読むほどの勇気もない、ちょうどその中間の気持ちである。すると一番上に、なにやら気になる投稿があった。内容はよく見えないが、文字の並びと改行の感じからして、たぶん面白いやつだと直感した。

ところがである。人差し指が「続きを読む」に向かう、その0.5秒のあいだに、画面がスッと動き、投稿は上へ消えた。代わりに知らない人のリポストと、昨日も見たような広告が現れた。私は歯ブラシをくわえたまま固まった。

この感じ、昔どこかで味わったことがある。たしか、子どものころに縁日の屋台で、すごく欲しいおもちゃを見つけたのに、母が一瞬よそ見した隙に別の子に買われたときの感じに似ている。悔しいが、誰にも文句は言えない。そもそも私がボーッとしていたのが悪いのだ。

それにしても、あの投稿は何だったのか。犬の話だったのか、仕事の愚痴だったのか、それともどうでもいい一言だったのか。分からないからこそ、妙に気になる。もう一度戻ろうとしても、どれだけスクロールしても出てこない。Xはそういうところが冷たい。

私は自分が「見られなかった投稿」にここまで執着する人間だということに、今さら気づいた。実際に読んだら「ふーん」で終わった可能性のほうが高いのに、読めなかったという事実だけで、勝手に名作にしてしまうのだ。これはもう病気に近い。

なので、この現象に名前を付けたい。「X瞬間消失現象」とか、「幻の初手投稿症候群」とか。どれもいまいちだが、とにかく名前があれば少しは気が晴れる気がする。

たぶん、世の中の半分くらいの人は一度は経験していると思う。共感してくれる人がいてもいなくても、明日も私は同じようにXを開き、同じように見失れるのだろう。それが私の日常なのである。

Netflixで東京喰種を見たら休日が消えた話|アニメ一気見と時間消失の謎

休日の昼下がり、私は特に目的もなくテレビをつけ、なんとなくNetflixを開いた。洗濯は終わっているし、外に出るほどの元気もない。こういう日は、だいたいろくなことにならない。案の定、おすすめ欄に出てきた東京喰種を、私は軽い気持ちで再生してしまったのである。

最初は一話だけのつもりだった。設定を確認する程度、世界観を味見するくらいの感覚である。それが気づけば二話、三話と進み、金木くんが苦しめば私も苦しくなり、戦闘シーンが始まればなぜか姿勢が良くなる。人は椅子に座っているだけで、こんなにも体力を使うものなのかと不思議に思った。

途中で一度、時計を見た。まだ夕方だと自分に言い聞かせたが、その「まだ」が罠だった。昔、テスト前に「まだ三日ある」と思っていたら、気づけば前日になっていたあの感じに似ている。人間の時間感覚は、都合よく歪むようにできているのだと思う。

ここで一応、言い訳をしておくと、決してスマスロをしてから見始めたわけではない。最初から素面で、健全な精神状態だった。なのに休日が溶けた。これはもう、作品の引力が強すぎたということにしておきたい。

気づけば夜である。外は暗く、私は何も生産していない。掃除もしていないし、散歩もしていない。ただアニメを見ていただけなのに、妙な達成感だけが残っている。人を食べる話を見て、一日を食べられた気分だ。

まあ、休日とはそういうものかもしれない。何かを得たようで、実は何も得ていない。でも確実に疲れている。次の休みは有意義に過ごそう、たぶん。そう思いながら、私は次のエピソードのサムネイルを、そっと無視したのである。

 

これもUQモバイルでNetflixが無料で見られるというキャンペーンのせいなのだろう。おしえてくれた、しょうこ先生ありがとう。詳しく知りたい人は「 au・UQモバイルユーザー必見!Netflixがタダになる衝撃キャンペーン 」を読んでほしい。

ちなみに、今は「僕のだぞ!」や「幼稚、幼稚」のシーンあたりまでみて複線回収しているところ。激熱。

アイラブホームフェア2026 福岡|マリンメッセで住宅設備とパンに心が揺れた話

正月気分がまだ靴底にくっついている一月、私はなぜか「入場無料」という言葉に吸い寄せられて、博多の海のほうまで出かけることにした。目的地はマリンメッセ福岡である。家づくりの展示会だと聞いていたが、正直に言うと、私はいまだに自分がどんな家に住みたいのか、よく分かっていない。

会場に入ると、キッチンだのトイレだのが、これでもかというほど並んでいた。どれも立派で、我が家の年季の入った流し台が急に申し訳なさそうな顔をして頭に浮かぶ。人間、見なければ平気なのに、見てしまうと欲が出るのである。

そういえば昔、実家のリフォームで父が「床は一生モノだ」と力説していたのを思い出した。結果、選ばれた床は一生モノというより、一生ギシギシ鳴る床だった。展示されている最新の床材を踏みながら、父のその後の沈黙を思い出し、私は一人で勝手に納得していた。

会場のあちこちには、脱炭素だのGXだのという、ちょっと賢そうな言葉が並んでいる。説明を聞いているうちに、分かったような分からないような顔をしてうなずく自分がいた。たぶん係の人は、私の理解度など最初から期待していないのだと思う。そう思うと気が楽だった。

それよりも私の足を止めたのは、パンとドーナツである。住宅の未来より、今日のおやつに心が傾く自分が情けないが、空腹には勝てない。展示会なのに、なぜかカフェ気分である。

主催が越智産業株式会社だとか、出展が100社以上だとか、すごい数字はたくさんあった。でも結局私の頭に残ったのは、「入場無料でパンが買える」という事実だけだった。

家づくりの未来を考えるはずが、今日の晩ごはんのことを考えながら帰路につく。まあそれも、私なりの住まいとの向き合い方なのだと思うことにした。

開催は15日~16日です。

詳細:アイラブホームフェア2026|福岡・マリンメッセで1/16・17開催!入場無料の住宅設備展示会

祝日なのに仕事してしまう私とWEBサイト修正依頼という名の魔物

今日は祝日なのである。カレンダーも赤いし、世間も休みムードだし、私の気持ちも朝の段階では「今日は何もしないぞ」という、根拠のない決意に満ちていた。洗濯も後回し、メールも見ない。そう心に誓っていたのに、スマホがピロンと鳴った。

WEBサイトの修正依頼であった。
しかも「ちょっとだけ」「急ぎで」という、社会人が一番弱い言葉がセットである。

私は一瞬、祝日だぞ、と心の中でつぶやいた。声に出して言えばよかったのに、なぜか言わない。言わずに、なぜかパソコンを開いている自分がいる。ここがもうダメなのである。

こういう時、私はいつも「見るだけ」「内容を把握するだけ」と自分に言い聞かせる。見るだけのはずが、気づくとコードを触っている。軽い修正のつもりが、なぜかデザインまで気になってくる。祝日なのに、私は何をしているのだろう。

思えば昔からそうだった。テスト前に限って部屋の掃除を始めたり、夜中に突然模様替えをしたりするタイプだった。やらなくていい時ほど、なぜかやってしまう。しかも「自分は今、頑張っている」とどこかで思いたいのだと思う。

作業をしながら、コーヒーを飲む私。休日用に買っておいたお菓子を、なぜか仕事のお供にしている私。祝日感は、すでにどこにもない。誰に頼まれたわけでもなく、誰に強制されたわけでもないのに、勝手に働いているのである。

そして一通り修正が終わると、なんとも言えない達成感と、ほんの少しの虚しさが残る。ああ、今日もちゃんと休めなかったな、と思う。でも同時に「まあ、これが私か」とも思う。

祝日に仕事をしてしまう私の性格は、たぶん一生直らない。だから次の祝日も、きっと私は「今日は休みだぞ」と思いながら、パソコンを開いているのだろう。それでいいのか悪いのかは、もうよく分からないのである。

今日は成人の日か。新成人の皆さんおめでとう。

幼稚園児の補助輪を外した日、私の足腰も試される

幼稚園児の三男の自転車の補助輪を、ついに外した。
工具を出してネジを回すだけの簡単な作業なのに、なぜかこちらの気持ちは少し重たい。「本当に大丈夫なのか」「泣くのではないか」など、余計な心配が次々と浮かぶのである。

自分の子どもの頃を思い出すと、自転車に乗れるようになるまで、やたらと時間がかかった記憶がある。何日も何日も練習して、膝は擦りむけ、心は折れかけ、それでも乗れなかった。あの頃の私は運動神経というものを、家に置いてきたのではないかと思うほどだった。

ところが三男は違った。
最初はもちろんふらふらしていたが、私が後ろを支えつつ、1時間も練習したら、なんとなく前に進むようになったのである。止まり方はまだ怪しいし、曲がるときはだいぶ大回りだが、それでも「乗れている」と言っていい状態だ。

それを見ながら、私は感動するより先に、「あれ、私より上達早くないか」と思ってしまった。親としてどうなのか分からないが、正直な感想である。遺伝って、都合のいいところだけ受け継がれないものだな、と思う。

練習が終わると、三男は息を弾ませながら「明日もやりたい」と言った。その顔が嬉しそうで、こちらも嬉しい。嬉しいのだが、同時に明日の自分の姿を想像して、少し遠い目にもなる。中腰で走り続け、変な筋肉を使い、夜に湿布を貼る未来が、わりとはっきり見えるのである。

それでもまあ、こういうのは今だけなのだろう。
そのうち「来なくていい」と言われる日が来る。そう思うと、疲れる予感ごと引き受けるしかないのだ。明日も私は、公園でふらふら走る。三男より先に、私のほうが転ばないように気をつけながら。

宝くじは貧乏人の税金?それでも楽天銀行おまかせBIGで6億円を夢見る私の日常

宝くじは貧乏人の税金だ、という言葉は知っている。たしかに、あれは夢を買うというより、夢を維持するための会費みたいなものだと思う。そう思っているくせに、私は楽天銀行のおまかせBIGを300円だけ自動設定している。堂々たる矛盾である。

300円という金額がまたいやらしい。高すぎず、安すぎず、コンビニでお菓子を一個我慢すれば成立する額だ。私はこれを「未来への寄付」と呼んでいるが、誰に寄付しているのかはよく分からない。多分、平行世界の金持ちの私だ。

過去の戦績はひどい。4等が一回、そのほかはほぼ5等。しかも私は結果をきちんと見ていない。なぜなら、見た瞬間に現実が確定してしまうからである。封筒を開けなければ合否は決まらない受験票と同じ理屈だ。違うのは、合格している可能性が限りなく低い点である。

それでも設定を解除しないのは、ある日突然、口座に6億円が振り込まれている世界線が、まだ損なわれていないからだ。その可能性がゼロにならない限り、私は月曜日の朝でも少しだけ機嫌よく生きられる。残高確認のたびに、ほんの一瞬だけ呼吸が止まるのも悪くない。

冷静に考えれば、その6億円でやりたいことも特にない。仕事を辞めるかどうかも迷うし、豪邸に住んだら掃除が大変そうだ。結局、今と同じようにゴロゴロして、税金の計算で頭を抱えている気もする。

つまり私はお金が欲しいのではなく、「もしかしたら」という状態が好きなのだと思う。300円で一か月分のワクワクが買えるなら、まあ安い。貧乏人の税金と言われようが、今日も私は残高ゼロの夢を大事にしているのだ。

ちなみになぜ貧者の税金なのかというと、宝くじは半分程度が寺銭で結局公共施設等の整備に使われているからである。このあたりは「宝くじは貧乏人に課せられる税金?貧者の税金、愚者の税金といわれる理由」が詳しい。またしても説明は他社丸投げである。

社長メールスパムとクレジットカード残高不足に挟まれた一日の記録

その日は、どうやら「信用」を試される日だったらしい。
朝、社長からのメールを装ったスパムに遭遇し、私は現代社会の警戒心を一段階引き上げたばかりだった。
最近のスパムは巧妙で、こちらの社会性をピンポイントで突いてくる。
私は少しだけ、自分を誇らしく思っていた。引っかからなかったからだ。

ところがその日の午後、今度は電話が鳴った。
知らない番号。
出ると、あの独特な声である。
「ジュウヨウナオシラセガアリマス」
抑揚のない機械音声。
私は反射的に「はいはい、またね」と思った。今日の私は騙されない。

だが、なぜか胸の奥がざわっとした。
結局、案内に従って番号を押した私は、すでに負けている。

結果から言うと、本物だった。
クレジットカードの引き落としが、残高不足で落ちていなかったのだ。
ジュウヨウナオシラセは、ジュウヨウだったのである。

私はしばらくスマホを見つめた。
朝は疑いすぎて正解、昼は疑いすぎて失敗。
人を信じない態度が、必ずしも賢さにはならないらしい。

考えてみれば、残高不足というのも心当たりはある。
コンビニで「ちょっとしたご褒美」を重ねた結果が、こうして機械音声に告げられただけだ。
スパムよりも、現実のほうがよほど容赦ない。

その日、私は二つの「重要なお知らせ」に出会った。
一つは無視して正解、もう一つは無視しなくて正解。
結局のところ、
信用できるかどうかは、声の滑らかさではなく、残高で決まることもあるのだと、どうでもいい学びを得た。

 

ちなみに、軽く書いているがカードの与信を甘く見ない方がいい。そのあたりは「クレジットヒストリー(クレヒス)の重要性と信用情報」に含蓄のある内容が書かれている。私は説明しない。

七草がゆは朝に食べるものだと思っていた|1月7日の夜と中学生の胃袋

七草がゆといえば朝、というのが私の中の常識だった。なぜ朝なのかはよく知らないが、なんとなく朝の寒い台所で、眠い目をこすりながら食べるもの、というイメージがある。ところが今年の1月7日、我が家の七草がゆは夜に出てきた。仕事から帰ってきて、コートを脱いだその先に、湯気を立てた七草がゆが待っていたのである。

私は一瞬、今日が何日なのか分からなくなった。正月はもう終わったはずだし、夜に七草がゆというのも、なんだか時差ボケのようで落ち着かない。だが妻は特に気にした様子もなく、「今日七草だから」と言った。そう言われると、こちらも「そうか」と納得するしかない。縁起ものは、出されたタイミングで受け入れるのが大人の態度なのだと思う。

七草がゆは、相変わらず七草がゆの味だった。セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ(カブ)・スズシロ(ダイコン)。名前だけ聞くと元気そうだが、味はとても控えめである。夜に食べるには、あまりにも静かな食べ物だ。例えるなら、テンションの低いラジオ番組のような感じである。

私は食べながら、「七草って全部言える人、どのくらいいるんだろう」と考えていた。毎年聞いているのに、毎年新鮮に忘れる。人の記憶というのは、都合のいいことだけ覚えて、どうでもいいことはすぐ逃がすようにできているらしい。

そんな中、またしても意外な光景が広がった。中学生の長男が、夜の七草がゆを「うまい」と言い、しかもおかわりをしたのだ。夜だぞ? 成長期とはいえ、もっとパンチのあるものを欲しがりそうなものなのに、七草がゆで満足している。私は内心、「本当にそれでいいのか」と思ったが、口には出さなかった。

結局、七草がゆが朝だろうが夜だろうが、食べる人が納得していれば問題ないのかもしれない。私は一杯で十分だったが、長男は二杯目に幸せそうだった。それを見て、七草のご利益というのは、胃腸よりも家族の意外な一面を知ることなのだと、どうでもいい結論に落ち着いたのである。