幼稚園児の三男の自転車の補助輪を、ついに外した。
工具を出してネジを回すだけの簡単な作業なのに、なぜかこちらの気持ちは少し重たい。「本当に大丈夫なのか」「泣くのではないか」など、余計な心配が次々と浮かぶのである。
自分の子どもの頃を思い出すと、自転車に乗れるようになるまで、やたらと時間がかかった記憶がある。何日も何日も練習して、膝は擦りむけ、心は折れかけ、それでも乗れなかった。あの頃の私は運動神経というものを、家に置いてきたのではないかと思うほどだった。
ところが三男は違った。
最初はもちろんふらふらしていたが、私が後ろを支えつつ、1時間も練習したら、なんとなく前に進むようになったのである。止まり方はまだ怪しいし、曲がるときはだいぶ大回りだが、それでも「乗れている」と言っていい状態だ。
それを見ながら、私は感動するより先に、「あれ、私より上達早くないか」と思ってしまった。親としてどうなのか分からないが、正直な感想である。遺伝って、都合のいいところだけ受け継がれないものだな、と思う。
練習が終わると、三男は息を弾ませながら「明日もやりたい」と言った。その顔が嬉しそうで、こちらも嬉しい。嬉しいのだが、同時に明日の自分の姿を想像して、少し遠い目にもなる。中腰で走り続け、変な筋肉を使い、夜に湿布を貼る未来が、わりとはっきり見えるのである。
それでもまあ、こういうのは今だけなのだろう。
そのうち「来なくていい」と言われる日が来る。そう思うと、疲れる予感ごと引き受けるしかないのだ。明日も私は、公園でふらふら走る。三男より先に、私のほうが転ばないように気をつけながら。
