【2026年3月 アフィリエイト報告】放置ブログを日記として復活させた私の広告収入が、あまりにも駄菓子みたいな額だった件

ブログというものは、しばらく放っておくと、なんとなく押し入れの奥にしまった健康器具みたいな気配を出してくる。使おうと思って買ったのに、気づけば上に別の荷物が積まれ、存在だけがうっすらしているのである。私にとってこのブログも、まさにそういう感じで、だいぶ長いこと放置されていた。

それが最近になって、なぜだかまた書こうという気になった。別に志が高まったわけでもないし、世界に向けて何かを訴えたくなったわけでもない。ただ、自分の日記として復活させるのも悪くないな、と思ったのである。人間、年をとると、自分が昨日何を食べたのかすら怪しくなってくる。ブログでも書いておけば、少なくとも「ああ、この頃の私はこんなことを考えていたのか」とあとで見返せる。見返して感心するような内容ではないが、何も残っていないよりはマシなのだ。

そしてこのブログには、読者もご存知のとおり、多少なりとも広告が貼ってある。多少なりとも、という言い方がいちばんしっくりくる。昔のように、ぎらぎらした目で「ここに広告、あそこにも広告」と詰め込んでいた時代とは違う。あの頃の私は、ネットの海の向こうに金脈が埋まっていると本気で思っていた節がある。今思うと、スーパーのチラシを握りしめて走るおばちゃんくらい必死だった。いや、おばちゃんに失礼かもしれない。おばちゃんはちゃんと成果を出している。

今はそこまでゴリゴリにアフィリエイトをするつもりはない。ないのだが、多少なりの収入があると、やはりうれしいのである。サラリーマンにとって副収入ほどありがたいものはない。毎月きっちり働いて、きっちり税金やら何やら引かれて、「はい、今月もお疲れさまでした」と言われても、財布の中身はたいしてふくらまない。その横から、ぽとりと小銭でも落ちてくると、人は妙に機嫌がよくなるものだ。たとえその小銭が、自販機の下をのぞき込んで見つけた10円玉みたいな額でもである。

ということで、発表しよう。このブログ記事のメイン広告、2026年3月の結果である。

8829回表示。
41回広告クリック。
報酬21円。

バーン、である。

いや、バーンじゃないのである。
21円でバーンと言われても、火薬が足りない。せいぜい「ポスッ」である。湿気たかんしゃく玉くらいの勢いしかない。

計算してみると、1クリックあたり約0.5円。私はこの数字を見たとき、なんとも言えない気持ちになった。0.5円というのは、もはやお金としての輪郭が薄い。半円玉がない以上、現実世界では単独で存在できない額である。つまり広告が1回クリックされるたびに、私は現実に存在しないものを受け取っているのだ。そう思うと少しかっこいいが、実際は全然かっこよくない。

昔、子どもの頃に駄菓子屋で「10円あればけっこう買える」と思っていた時代があった。あの頃の私に21円を見せたら、たぶん小躍りしたと思う。しかし今の私は、21円を見ても小躍りしない。コンビニでレジ横の募金箱に入れるかどうか一瞬迷うくらいの額である。人は大人になると夢を失うのではなく、21円への感受性を失うのかもしれない。

それでも、ゼロではないのである。ここが妙に大事だ。放置していたブログに広告を貼って、誰かが見て、誰かがクリックして、その結果として21円が生まれた。そう考えると、なんだか道ばたに咲いた雑草みたいで健気ではある。誰に頼まれたわけでもないのに、勝手に生えて勝手にがんばっている感じが、今のこのブログにはある。

もちろん、このペースでは最低受取額に到達するまで何年もかかりそうだ。下手をすると、受け取る前にサービスが終わるか、私のやる気がまたどこかへ行くか、どちらかである。そう考えるとずいぶん頼りない話だが、まあいいのよ、と思う。日記のついでに21円がついてくると思えば、ないよりはだいぶいい。期待しすぎるからがっかりするのであって、最初から「駄菓子一個ぶんにもならないかも」と思っていれば、21円でも意外と健闘しているように見える。

人生もたぶんそんなものなのだ。大きな花火を期待していたら、湿った音しかしないことがある。でも、音がしただけでも一応よしとするしかない。私の3月のアフィリエイトは、そんな感じだった。

つまり今月の結論としては、ブログは復活した。広告も一応働いた。私は21円を得た。
そして21円では何も買えないが、話のネタにはなったのである。

車検 タイヤ交換 ディーラー 楽天タイヤで心が往復する話

車検が近づいてくると、私は少しだけ人相が悪くなる。べつに誰かに怒っているわけではないのに、なんとなく口がへの字になるのである。二年に一回しか来ないくせに、毎回きっちり憂鬱を連れてくるあたり、車検というものは妙に律儀だと思う。

最初のころは、車検といえば「車を見てもらって安全になるんだから、ありがたいことだ」と、わりと素直に考えていた。ところが何回か経験すると、ありがたさの横に「いくらかかるんだろう」という、いやに現実的な顔をした不安が並んで座るようになる。しかもその不安は、かなり場所をとる。

そしてだいたいこの時期になると、もうひとり、毎回顔を出す人物がいる。タイヤ交換である。人物ではないが、気持ちとしてはもう親戚みたいなものだ。「そろそろタイヤ交換も」と前回も言われた気がするし、その前も似たようなことを言われた気がする。タイヤというのは、いつ見ても黒くて丸いだけなのに、急に高級品みたいな顔をしてくるから油断ならない。

私は車のことがよくわからない。タイヤの溝がどうとか、ゴムがどうとか言われると、「なるほど」と言いながら、心の中ではほとんどわかっていない。たぶん学校の授業でも、わからないのにわかった顔をしていたタイプである。そういうところだけ成長していないのだ。

それで、ディーラーに頼むと高いんだよなあ、と思う。いや、高いといっても、ちゃんとしてくれる安心料みたいなものはあるのだろう。店もきれいだし、飲み物も出るし、待っているあいだに「大人のきちんとした買い物をしている人」みたいな気分になれる。けれどその気分に二万円以上の価値があるかと聞かれると、私は急に口数が少なくなるのである。お茶とクッキーで二万円は、さすがに高級すぎる。

そこで楽天タイヤを見る。こういう時の私は妙に熱心で、ふだん洋服ひとつ買うにもぐずぐずするくせに、タイヤの値段になると真顔で比較を始める。総額で九万円くらい。安くはない。でも、ディーラーより二万円以上高くなるなら、もう面倒でも楽天でやるかな、という気になる。「経験値だと思って」という言い方を自分でしていて、なんだそれはと思う。私はいつから、タイヤ交換を冒険みたいに考えるようになったのか。

>>楽天Carタイヤ交換
アフィリエイトリンクなので安心して踏んでもらっていい。なんならタイヤ買ってください。

経験値というのも、たいていは面倒くさいことの言い換えである。若いころは、知らない店に入るのも、新しいことをするのも、多少は胸が躍った。いまはもう、胸が躍る前に「ちゃんと予約できるかな」「当日迷わないかな」「変なサイズを選んでいたらどうしよう」が先に来る。だいぶ地味な人生である。でも地味な不安は、派手な不安よりしつこいのだ。

昔、家の近くの自転車屋で空気を入れてもらっただけなのに、ついでにあれこれ直されて、最後によくわからない笑顔でお金を払ったことがある。あの時の私は、完全に店の人の流れに乗せられていた。川を流れる葉っぱみたいなものだったと思う。車検のたびに、その時の葉っぱの私がうっすら蘇る。たぶん私は、乗り物のメンテナンスという場面で、自分の意思がかなり弱くなるのである。

とはいえ、安ければ正義というわけでもない。結局、安心したいし、損もしたくないし、できれば面倒も避けたい。全部ほしい。こういうのは本当に、私の小ささがよく出る。堂々と「安全のためなら払います」と言えたらかっこいいのだろうが、私は電卓をたたきながら、あっちを見たりこっちを見たりしている。安全も大事、でも二万円も大事。なんともせせこましいが、生活とはそういうものなのだと思う。

たぶん最終的には、値段と手間と気分を天秤にかけて、いちばん「まあいいか」と思えるところに決めるのだろう。車検もタイヤも、考え始めると大ごとみたいだが、終わってしまえばたいてい忘れる。そして二年後、また同じ顔で憂鬱になるのである。人は成長するとも言うが、こういう件に関しては、私はずっと同じ場所をくるくる回っている。

でもまあ、タイヤひとつでこんなに悩めるうちは、まだ平和なのかもしれない。そう思うことにした。たいした悟りではないが、どうせ丸いタイヤの話なのだから、結論もそのくらい丸くていいのである。

WESTERポイント38万ポイントを1年で使い切るという、地味に重たい課題

先日、私はスマホの画面を見ながら、静かに固まっていた。
何を見ていたのかというと、WESTERポイントの残高である。

385,928ポイント。

数字だけ見ると、なかなかの貯金に見える。
しかしこれは現金ではない。ポイントである。しかも期限付きのポイント。
期限は2027年3月31日。
つまり、あと約1年で使い切らなければならないのである。

こういうのを見ると、人は急に哲学的になる。
私はスマホを見ながら、ぼんやり思った。

「人はなぜ、使いきれないほどポイントを貯めてしまうのだろう」

ポイ活というものは、基本的に楽しい。
なぜなら、お金が増えている気がするからだ。
実際にはお金ではなくポイントなのだが、そこはまあ雰囲気である。

数年前、あるインフルエンサーがこう言っていた。

WESTERポイントは超絶お得です

新幹線で使えば
1ポイント=2円以上。

ホテルでもお得。

つまり、普通に使うのはもったいないのである。

私はその言葉を聞いた瞬間、膝を打った。
そして心の中で静かに決意した。

「貯めよう」

こうして私のWESTERポイント人生が始まったのである。

しかし人間というのは、目的を見失いやすい生き物である。

貯めているうちに、だんだん目的が
「お得に使う」から「とにかく貯める」に変わってくるのだ。

気づいたら38万ポイントになっていた。

これはなかなか壮観である。
ゲームで言うと、ラスボス直前の経験値みたいな数字だ。

しかし現実に戻ると、私はそんなに電車に乗らない。

月に数回くらいだろうか。

新幹線に至っては、
「年に数回乗るかもしれない」
くらいの頻度である。

つまり、こういうことになる。

とてもじゃないが使いきれない。

ポイントというのは不思議なもので、
使うときになると急にケチになる。

1ポイント=1円で使える場所はいくらでもある。
しかし私はそれがどうにも許せない。

なぜなら頭の中では

「1P=2円」

という幻が住んでいるからだ。

この幻はなかなか強力である。

たとえばコンビニで
「ポイントで払いますか?」
と聞かれると、私は心の中でこう思う。

いやいやいや。
それはダメだ。
それは敗北である。

ポイントを現金と同じ価値で使うなんて、
なんだか損した気がするのだ。

そこで私はこの悩みを妻に相談した。

「ポイントが38万ある」

すると妻は一言で答えた。

「米を買えば?」

実にシンプルである。

確かにその通りだ。
ポイントは普通に使える。
米だって買える。

だが問題はそこではない。

1P=1円では使いたくない。

この感情である。

我ながら面倒くさい人間だと思う。

しかしこういう葛藤は、
ポイ活をやっている人にはわりと共通しているのではないだろうか。

得をしたい。
しかし損はしたくない。

その結果どうなるかというと、

使えない。

ポイントとは、本来使うためにある。
それなのに、価値を最大化しようとすると逆に使えなくなる。

これはもう哲学と言っていい気がする。

ポイントとは何か。
得とは何か。
人生とは何か。

そこまで考えたところで、私はふと思った。

まあ、最悪の場合は
米を買えばいいのである。

38万ポイントあれば、
かなりの米が買える。

もしかすると私は、
この1年で日本一米をポイントで買う男になるかもしれない。

それはそれで、ちょっと面白い。

人生というのは、だいたいそんなものである。

楽天グループ 株主優待 無料SIMの紙を捨てた私の、うっかり節約失敗日記

このあいだ、家に届いた封筒をなんとなく開けて、なんとなく中を見て、なんとなく「あとで読もう」と思い、そしてなんとなく捨てた。私の「なんとなく」は、だいたいロクなことにならないのである。

あとになって、Xで「昨日今日くらいで届いている楽天グループの株主優待の通知は捨てないで!」という投稿を見た。捨てないで、と言われた時にはもう遅い。私はその投稿を見るまでもなく、すでに見事に捨てていたのである。早い。判断が早い。いらないほうにだけ。

楽天グループの株主優待というのは、100株持っていると楽天モバイルの回線が実質1年使えるとかなんとか、そういうたいへんありがたい話らしい。無料SIMだとか、通信費の節約だとか、聞くだけで家計の味方という感じがする。そういう得なものに限って、私はだいたい紙で来た時点で負けている。アプリの通知ならまだしも、紙になると急に「町内会のお知らせ」みたいな顔をしてくるから油断するのだ。

しかも今回は、ただの案内ではなくて、申し込みに必要なIDやパスワードが書いてある紙だったらしい。継続の人も手続きが必要だという。そんな大事なことを、あんな普通の顔をした紙に書かないでほしいと思う。もっとこう、金色にするとか、封筒に「あなたが捨てると損します」とでも書いておいてほしい。いや、たぶん書いてあっても私は捨てるかもしれない。自分を買いかぶってはいけない。

あわててゴミ箱をあさった。ゴミ箱をあさる自分の姿というのは、なかなか人に見せられるものではない。株主優待を受ける人というのは、もう少し落ち着いた顔で暮らしているのかと思っていたが、実際はゴミ袋の中で「あれか、これか」と紙を引っぱり出している。優待以前に生活を優待してほしい。

なんとかその紙は発見された。よかったよかったと思って手続きを進めようとしたところ、今度はマイナンバーカードの電子認証の有効期限が切れていた。ここで私は少し笑ってしまった。いや、笑うところではないのだが、もう笑うしかないのである。紙を捨て、掘り出し、本人確認でつまずく。この流れの悪さは、朝から張り切って出かけたのに財布を忘れて駅まで行く感じに似ている。いや、もっと地味でみじめかもしれない。

私は昔から、何かを一個忘れると芋づる式にいろいろ忘れていることが多い。学校のころも、体操服を持っていく日に限って赤白帽を忘れ、赤白帽を持っていく日に限って上履きを忘れていた。準備をしたつもりで、いちばん大事なところが抜けている。そういうポンコツ気質は、年を重ねてもわりと元気に生き続けているようだ。成長とは何なのだろうと思う。

それにしても、電子認証の有効期限というものは、絶妙に忘れる。カード自体の期限とは別に、ああいう見えにくい期限があるのがいかにも役所っぽい。冷蔵庫の奥でしずかに期限切れしている納豆のようである。見ればわかるのに、見ないから気づかない。そして気づいた時には、ちょっと面倒なことになっている。

こういうことがあるたびに、私は「ちゃんとした大人になろう」と一瞬だけ思う。でも一瞬だけなので、たぶんあまり効いていない。大人になってずいぶん経つのに、いまだに「今週中にでも役所いこう」と、夏休みの宿題みたいなことを言っている。役所も別に逃げないのだが、私のやる気はすぐ逃げる。

とりあえず今週中には行こうと思う。こういうのは、思っているうちが花である。無料SIMひとつもらうのに、ここまで自分のダメさを確認することになるとは思わなかったが、まあ、通信費の節約というのは、たぶんこういう小さい面倒に耐える人だけが手にできるのだろう。

私はその入口で、いったんゴミ箱に落ちたのである。

参考記事: 楽天グループ株主優待で楽天モバイル回線が1年無料 2026年の無料回線の条件と取得方法 

ベランダ菜園の植え替えと掃除で終わる日曜日、越冬ハーブの妙な生命力

少し暖かくなってくると、冬のあいだ見て見ぬふりをしていたものを、急に確認したくなる。部屋のすみのほこりとか、着ないまま放ってある服とか、ベランダの植木鉢とか。人はなぜ、寒い時期にはあれほど現実から目をそらせるのだろうか。寒いというだけで、だいたいのことは「また今度」で済ませられるのである。冬は言い訳の王様だと思う。

うちのベランダにも、そんな「また今度」を押しつけられていた鉢がいくつかあった。イタリアンパセリとタラゴンとタイムである。名前だけ並べると、うちのベランダだけ妙にしゃれた料理研究家の家みたいだが、実際は洗濯ばさみが一個落ちていたり、風で飛んできた葉っぱがすみにたまっていたりする、生活感たっぷりの場所である。

冬のあいだ、私はそのハーブたちをほぼ放置していた。ほぼ、というか、かなり放置していた。水やりも「今日じゃなくても大丈夫そうだな」と何度も先送りし、見た目もだいぶ地味になっていたので、正直もうだめかもしれないと思っていた。植物を育てていると言うには、あまりにも胸を張れない態度だったと思う。育てているというより、同じ家に住んでいるだけである。

それが、少し暖かくなった日にふと思い出して見てみたら、なんと越冬していたようなのである。あの寒さを、あの細い葉っぱたちが、黙ってやり過ごしていたのかと思うと、ちょっと感心した。私は冬になると、布団から出るだけでひと仕事なのに、タイムなんかは何も言わずにそこにいた。えらい。いや、比べる相手が私では、たいがいのものはえらく見えるのだが。

越冬していたとわかると、急にこちらも態度が変わる。昨日まで半分あきらめていたくせに、「これはちゃんとしないといけない」と思い出すのである。現金なものである。私はさっそくホームセンターへ土を買いに行った。こういう時のホームセンターという場所は、妙に人をやる気にさせる。土、肥料、鉢、スコップ、名も知らない便利そうな道具。見ていると、自分がものすごく園芸のできる人間になったような気分になるのだ。

しかし実際の私は、土を前にして「どれがいちばんふつうの土なのだろう」としばらく立ち止まる程度の人間である。ハーブ用と書いてあれば安心し、花と野菜の土と書いてあれば、ハーブは花なのか野菜なのか少し迷う。毎回こんな感じなのに、なぜかホームセンターではベテランの顔をして歩いてしまう。たぶん、土売り場にいる人はみんな少しだけ見栄を張っていると思う。

土を買って帰り、植え替え作業をした。鉢から出した根を見ると、植物がちゃんと生きている感じがしておもしろい。地上ではあんなに静かなのに、下では案外たくましくやっているのだなと思う。人間もこういうふうに、見えないところでちゃんとしている部分だけを評価されたら、だいぶ気楽なのにと思った。表面でぼんやりしていても、「でも根は張ってますから」と言えたら便利である。

ついでにベランダも掃除した。植え替えだけで終わればよかったのに、土いじりを始めると、まわりの汚れが急に気になってくる。ひとつ片づけると別のだらしなさが見えてくるのは、掃除でも人生でも同じである。あまり広げて考えると面倒なので、人生のことは脇に置いて、私は黙ってベランダのすみのゴミを集めた。

そういえば子どものころも、部屋の片づけをしている最中によく昔のノートや漫画を読み始めてしまい、ぜんぜん進まなかった。掃除というのは、何か別のことを思い出させる力があるらしい。今回も途中で、昔、母が植木鉢を並べて何か育てていたことを思い出した。私はその横で何も世話をしないくせに、実がなれば食べる時だけ参加していた気がする。そう考えると、今の私もあまり成長していない。育てる苦労には鈍く、実りの気配には敏感である。人としてどうなのかと思うが、たぶんそういう人は多いのだと思う。

気がつけば、日曜日はほぼそれで終わっていた。出かけたといえばホームセンターだけで、べつに華やかなことは何もない。けれど、植え替えた鉢と少しきれいになったベランダを見ると、なんとなくやりがいを感じたのである。日曜日らしい充実といえば、もっとしゃれたものを想像しがちだが、土を入れ替えて落ち葉を集めただけでも、案外ちゃんと一日を使った気分になる。

たぶん私は、何か大きなことを成しとげたいというより、見える範囲が少しだけましになると安心するのだと思う。越冬したハーブたちも、別に私を感動させようとして生き残っていたわけではないだろう。ただ淡々と寒さをやり過ごして、春が来たからまた少し元気を出しただけなのだ。

そう考えると、日曜日がそれで終わったのも悪くない。私もハーブも、たいしたことはしていない。でも、冬を越えたあとに土を替えて、少しきれいにして、なんとなく満足する。それくらいがちょうどいいのである。人間もベランダも、急には立派にならないのだ。

福岡の花見の名所、舞鶴公園でBBQはいかが?場所取り・駐車場情報

日本気象協会では色々な情報を発信してくれていますが、桜の開花や満開予想も発表しています。われれが福岡県の開花予想は3月23日で、満開の予想は4月1日(土)ということです。お花見を計画するならこの間くらいの期間で企画しておくとよいですね。

福岡市内で花見といえば、やっぱりお勧めは中央区の大濠公園よこにある舞鶴公園でしょうか。こちらはライトアップもされるうえ、福岡城さくらまつりが開催されます。

ただ、平成29年(2017年)の公式サイト上の情報はまだでていません。情報としては2016年のものを私が加工しておりますので、花見の時期になりましたら再度ご確認下さい。

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