Audible 3ヶ月99円と、通勤自転車で勉強している気になる私

朝の通勤中、自転車をこぎながら私はだいたいどうでもいいことを考えている。昨日の晩ごはんは何だったかとか、靴下の片方はどこへ行ったのかとか、その程度である。そんな私の目に、ある日ふと「Audible 3ヶ月99円」という文字が入ってきた。
Audibleは、Amazonがやっている耳で本を聴くサービスである。月額1500円のところが期間限定で99円。これはもう、買えと言われているようなものだと思った。

登録してから、私は少しだけ生活が変わった。と言っても、劇的な変化ではない。通勤中の自転車に乗りながら、片耳…いや、正確には骨伝導イヤホンで、本を聴くようになっただけである。
「自転車で勉強するのは是なのか非なのか」という問題が頭をよぎったが、私は自分に甘いので、すぐに是ということにした。

耳を塞がない骨伝導イヤホンというのは、なかなか都合がいい。車の音も聞こえるし、後ろから来る自転車の気配も分かる。そのうえで、ビジネス書だの自己啓発だのが耳元で流れてくる。
私はただ自転車をこいでいるだけなのに、「今、勉強してます」という顔ができるのが一番のメリットかもしれない。

ただし、内容がちゃんと頭に入っているかというと、怪しい。信号待ちで止まった瞬間に話が飛んだり、坂道で息が切れた途端、ナレーターの声がBGMに変わったりする。
それでも私は「聴いている」という事実だけを大事にしている。理解はあとからついてくるかもしれないし、来ないかもしれない。

倍速再生という機能もあるが、これは少し勇気がいる。2倍速にすると、頭の回転が追いつかず、「私は今、賢くなろうとしているのか、ただ焦っているだけなのか分からない状態」になる。それでも、たまにうまく聞き取れると、自分が一段成長したような錯覚に陥るのでやめられない。

考えてみれば、通勤時間というのは、ただ移動しているだけの時間だった。それがAudibleのおかげで、「学びの時間」に格上げされた気がする。実際は、半分くらい聞き流しているのにである。
でも人生なんて、だいたいそんな自己申告制だと思う。

自転車を降りて会社に着く頃、私は少しだけ満足している。「今日も勉強した」と胸の中でつぶやきながら、何を聴いたかはもう曖昧だ。それでも99円でこの気分が買えたなら、安いものなのだと思う。
結局のところ、私は賢くなりたいというより、賢そうでありたいだけなのかもしれない。まあ、それも悪くないのである。

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楽天マガジン初回限定990円|雑誌読み放題に人はどこまで甘くなるのか

ある日、私は「年間5,500円」という数字を見て、ふむふむと一度は真面目な顔をした。次の瞬間、「それが990円です」と書いてあるのを見つけ、顔がゆるんだ。人は値引きに弱い生き物だと、改めて思う。特に私のような庶民は、割引率が80%を超えると、もう思考力がなくなる。

楽天マガジンは、雑誌が2500誌以上読み放題になるサービスである。私は以前使ったことがあるが、正直に言うと、全部を読む気など最初からない。ただ「いつでも読める」という状態が、なぜか心を豊かにしてくれるのだ。

自分では絶対に買わない雑誌を、そっと開いてみる。男性誌を女性が読むとか、女性誌を男性が読むとか、普段ならしない行動をする。これといって人生が変わるわけでもないが、「へえ」と思う瞬間がある。それだけで、なんとなく得した気分になるのである。

今回のキャンペーンは、年額990円。ひと月あたり約83円。もはや雑誌代というより、駄菓子代である。しかも初回31日無料。気に入らなければやめてもいい、という逃げ道まで用意されている。ここまで親切にされると、逆に疑いたくなるが、疑っても安いことには変わりない。

さらに条件を満たせば100ポイントも戻ってきて、実質880円らしい。実質、と言われると一瞬考えるが、結局「安い」という結論に落ち着く。人間の判断とは、だいたいそんなものだ。

雑誌を読んだからといって、急に知的になるわけでも、仕事ができるようになるわけでもない。ただ、ソファでだらだらする時間に、ちょっとした言い訳ができる。それが私にとっては十分だった。

どうせまた全部は読まない。でも「読める」という可能性を990円で買うと思えば、まあいいか、と思うのである。人生もだいたい、そんな軽い納得で回っている。

ANA今週のトクたびマイル一時休止とマイラーの小さな動揺について

火曜日の正午というのは、私にとって少し特別な時間だった。昼ごはんを食べながらスマホを見て、「今週のトクたびマイル」を確認する。それだけの行為なのに、なぜか宝くじの当選番号を見るような気分になるのだから、我ながら安上がりな楽しみである。

そのトクたびマイルが、2026年3月31日の発表分を最後に一時休止するらしい。理由はANAの国内旅客サービスシステム刷新とのことだ。こういう「システム刷新」という言葉は、たいてい利用者にとってロクなことがない。便利になると言われつつ、慣れたものが消えていく前触れでもある。

そもそもトクたびマイルとは、通常6,000マイルかかる国内線特典航空券が、3,000マイルから取れてしまうという、マイラーにとっては夢のような制度だった。私などは特に遠出の予定がなくても、「安いから」という理由だけで行き先を考えたりしていた。完全に制度に踊らされている。

最近はルールも変わって、発表から搭乗までに少し余裕ができた。前は思いつきで飛べたのに、今は少し計画性が必要である。計画性というのは、私にとってあまり相性の良くない言葉だ。

一時休止と聞いて、再開は夏ごろと言われているが、世の中には「一時」が永遠になる例も多い。過去の国際線の話などを思い出すと、心配しすぎとも言い切れない。マイルというのは貯めるのは大変だが、使えなくなるのは一瞬なのだ。

とはいえ、文句を言っても飛行機は飛ばない。結局私は、次の火曜日もスマホを開き、もう出ないトクたびマイルを無意識に探すのだと思う。習慣というのは、なかなかやっかいなのである。

祝日なのに仕事してしまう私とWEBサイト修正依頼という名の魔物

今日は祝日なのである。カレンダーも赤いし、世間も休みムードだし、私の気持ちも朝の段階では「今日は何もしないぞ」という、根拠のない決意に満ちていた。洗濯も後回し、メールも見ない。そう心に誓っていたのに、スマホがピロンと鳴った。

WEBサイトの修正依頼であった。
しかも「ちょっとだけ」「急ぎで」という、社会人が一番弱い言葉がセットである。

私は一瞬、祝日だぞ、と心の中でつぶやいた。声に出して言えばよかったのに、なぜか言わない。言わずに、なぜかパソコンを開いている自分がいる。ここがもうダメなのである。

こういう時、私はいつも「見るだけ」「内容を把握するだけ」と自分に言い聞かせる。見るだけのはずが、気づくとコードを触っている。軽い修正のつもりが、なぜかデザインまで気になってくる。祝日なのに、私は何をしているのだろう。

思えば昔からそうだった。テスト前に限って部屋の掃除を始めたり、夜中に突然模様替えをしたりするタイプだった。やらなくていい時ほど、なぜかやってしまう。しかも「自分は今、頑張っている」とどこかで思いたいのだと思う。

作業をしながら、コーヒーを飲む私。休日用に買っておいたお菓子を、なぜか仕事のお供にしている私。祝日感は、すでにどこにもない。誰に頼まれたわけでもなく、誰に強制されたわけでもないのに、勝手に働いているのである。

そして一通り修正が終わると、なんとも言えない達成感と、ほんの少しの虚しさが残る。ああ、今日もちゃんと休めなかったな、と思う。でも同時に「まあ、これが私か」とも思う。

祝日に仕事をしてしまう私の性格は、たぶん一生直らない。だから次の祝日も、きっと私は「今日は休みだぞ」と思いながら、パソコンを開いているのだろう。それでいいのか悪いのかは、もうよく分からないのである。

今日は成人の日か。新成人の皆さんおめでとう。

壮大な謎と書いて、だいたい日常と読む ― 古代エジプト展と私の安心感

古代エジプトという言葉には、いつも「壮大な謎」という便利なラベルが貼られている気がする。スーパーで言えば「産地直送」と書いてある野菜くらい、なんとなく信用してしまう言葉なのだ。私も例外ではなく、ピラミッドとかファラオとか聞くだけで、難しいことは考えずに「すごい」「わからない」「とりあえず拝んでおこう」という気持ちになるタイプである。

そんな私が、ブルックリン博物館のコレクションを中心にした古代エジプト展を眺めていたら、少し拍子抜けするような感覚に陥った。展示されているのは王の権力や死後の世界といった、いかにも非日常なものばかりなのに、なぜか漂ってくるのは「生活感」なのである。住居や食事、仕事、育児。どれも私の毎日と地続きで、数千年も前の話だという実感が薄れてくる。

そういえば昔、歴史の教科書を読んでいても、私は年号より「この人もごはん食べてたんだろうな」という部分ばかり気になっていた。テストには一切出ない。自分でも困った性格だと思う。

本展を監修している河江肖剰氏の研究や映像は、ピラミッドを神秘の象徴として消費する視線から、そっと距離を取らせてくれる。クフ王やラメセス2世も、絶対的な存在である前に、制度や技術、信仰の中で生きていた一人の人間だったのだろう。そう思うと、急に親戚のおじさんのような気配がしてくるから不思議である。もちろん会ったことはない。

死後の世界への執着やミイラづくりも、「どう生きて、どう忘れられたくないか」という切実な問いの延長線上にあるらしい。猫のミイラまで丁寧につくられているのを見ると、愛情というものは時代を超えても、だいたい同じ方向に暴走するのだなと思う。私も飼っていた金魚のことを、いまだに思い出すので、人のことは言えない。

文明のすごさに圧倒されながら、最後に残った感想はとても地味だった。人間は昔から、あまり変わっていないのではないか、ということである。不安も願いも、たぶん今と同じくらい雑多で、同じくらい切実だったのだろう。そう考えると、こちらの悩みも少し軽くなる。ピラミッドの影に、もう答えは置き去りにされているのかもしれない。もっとも、それを取りに行く元気は、今のところあまりないのだが。

そんな体験をしたい人は2026年3月8日(日)まで福岡市美術館でエジプト展を体験してきてみてはいかがだろうか。

参考:古代エジプト展 福岡|2025年12月13日から福岡市美術館で開催!

幼稚園児の補助輪を外した日、私の足腰も試される

幼稚園児の三男の自転車の補助輪を、ついに外した。
工具を出してネジを回すだけの簡単な作業なのに、なぜかこちらの気持ちは少し重たい。「本当に大丈夫なのか」「泣くのではないか」など、余計な心配が次々と浮かぶのである。

自分の子どもの頃を思い出すと、自転車に乗れるようになるまで、やたらと時間がかかった記憶がある。何日も何日も練習して、膝は擦りむけ、心は折れかけ、それでも乗れなかった。あの頃の私は運動神経というものを、家に置いてきたのではないかと思うほどだった。

ところが三男は違った。
最初はもちろんふらふらしていたが、私が後ろを支えつつ、1時間も練習したら、なんとなく前に進むようになったのである。止まり方はまだ怪しいし、曲がるときはだいぶ大回りだが、それでも「乗れている」と言っていい状態だ。

それを見ながら、私は感動するより先に、「あれ、私より上達早くないか」と思ってしまった。親としてどうなのか分からないが、正直な感想である。遺伝って、都合のいいところだけ受け継がれないものだな、と思う。

練習が終わると、三男は息を弾ませながら「明日もやりたい」と言った。その顔が嬉しそうで、こちらも嬉しい。嬉しいのだが、同時に明日の自分の姿を想像して、少し遠い目にもなる。中腰で走り続け、変な筋肉を使い、夜に湿布を貼る未来が、わりとはっきり見えるのである。

それでもまあ、こういうのは今だけなのだろう。
そのうち「来なくていい」と言われる日が来る。そう思うと、疲れる予感ごと引き受けるしかないのだ。明日も私は、公園でふらふら走る。三男より先に、私のほうが転ばないように気をつけながら。

楽天お買い物マラソン2日目に2%を失った話|0のつく日とエントリー忘れの悲劇

楽天お買い物マラソンの二日目である。私はいつも通り、0のつく日に照準を合わせ、静かに、しかし確実に完走する予定だった。予定だった、というところがもう怪しい。なぜなら今回は、やらかしたからだ。

買い物自体は完璧だったと思う。必要なものを必要なだけ、店もちゃんと分けて、あとはポイントが降ってくるのを待つだけ。ところが、ふと夜になってから気づいた。39SHOP+1%と、楽天カードの0のつく日、どちらもエントリーしていないのである。あとの祭り、という言葉はこういう時のためにあるのだと思う。

思い返せば、昔から私は「エントリー」という作業を軽視しがちだった。クリック一つで済むのに、それを忘れる。まるで玄関に靴をそろえて満足し、肝心の鍵をかけ忘れる人間である。自分でも呆れるが、まあそれが私なのだ。

たかが2%である。計算すれば数百円、場合によってはワンコインにも満たない。そう思おうとするのだが、ポイントというものは不思議なもので、実際のお金よりも精神に与えるダメージが大きい。失ったのは2%だが、気分は20%減くらいなのである。

「確認しなかった自分が悪い」と、頭ではわかっている。わかっているのに、なぜか楽天の画面をもう一度開いてしまう自分がいる。エントリー済みの文字が出ないかと期待しているあたり、往生際が悪い。

結局、私は何も取り戻せなかった。ただ2%を失い、少しだけ学んだ気になっただけである。次は忘れない、たぶん忘れない、できれば忘れない。そう思いながら、ポイント明細を閉じた。たかが2%、されど2%。まあ、今日の私はそれを身をもって知った、というだけの話なのだ。

金額的には数百円だが気持ち的には数千円損した気分だ。
まだ、買い物していない人は「【2026年1月9日~】楽天市場のお買い物マラソンやスーパーセールにおすすめの商品と買い回りの攻略法」などを参考にエントリー忘れせずに買い物してくれたまえ。

宝くじは貧乏人の税金?それでも楽天銀行おまかせBIGで6億円を夢見る私の日常

宝くじは貧乏人の税金だ、という言葉は知っている。たしかに、あれは夢を買うというより、夢を維持するための会費みたいなものだと思う。そう思っているくせに、私は楽天銀行のおまかせBIGを300円だけ自動設定している。堂々たる矛盾である。

300円という金額がまたいやらしい。高すぎず、安すぎず、コンビニでお菓子を一個我慢すれば成立する額だ。私はこれを「未来への寄付」と呼んでいるが、誰に寄付しているのかはよく分からない。多分、平行世界の金持ちの私だ。

過去の戦績はひどい。4等が一回、そのほかはほぼ5等。しかも私は結果をきちんと見ていない。なぜなら、見た瞬間に現実が確定してしまうからである。封筒を開けなければ合否は決まらない受験票と同じ理屈だ。違うのは、合格している可能性が限りなく低い点である。

それでも設定を解除しないのは、ある日突然、口座に6億円が振り込まれている世界線が、まだ損なわれていないからだ。その可能性がゼロにならない限り、私は月曜日の朝でも少しだけ機嫌よく生きられる。残高確認のたびに、ほんの一瞬だけ呼吸が止まるのも悪くない。

冷静に考えれば、その6億円でやりたいことも特にない。仕事を辞めるかどうかも迷うし、豪邸に住んだら掃除が大変そうだ。結局、今と同じようにゴロゴロして、税金の計算で頭を抱えている気もする。

つまり私はお金が欲しいのではなく、「もしかしたら」という状態が好きなのだと思う。300円で一か月分のワクワクが買えるなら、まあ安い。貧乏人の税金と言われようが、今日も私は残高ゼロの夢を大事にしているのだ。

ちなみになぜ貧者の税金なのかというと、宝くじは半分程度が寺銭で結局公共施設等の整備に使われているからである。このあたりは「宝くじは貧乏人に課せられる税金?貧者の税金、愚者の税金といわれる理由」が詳しい。またしても説明は他社丸投げである。

PayPayポイント運用は意味あるのか問題と私のどうでもいい結論

ある日、歯磨きをしながら、なぜかPayPayポイント運用のことを考えていた。歯磨き中に考えることというのは、大体がどうでもいいのだが、これが意外と頭から離れなかったのである。

私は前から、PayPayのポイント運用を見かけるたびに思っていた。
「これ、なんでみんな続けてるんだろう」と。

手数料はかかるし、そのせいでポイント運用の欠点である権利落ちの回避ができるわけでもない。冷静に考えると、同じ値動きに連動するなら、普通に現金で投資したほうがよほど自由度が高い。なのに、みんな当たり前の顔でポイントを運用に突っ込んでいる。私はその光景を、商店街の福引きに無言で並ぶ人たちを見るような気持ちで眺めていた。

ここで話は少し脱線するが、私は昔、スタンプカードを異様に大事にする子どもだった。あと一個でいっぱいになるという理由だけで、全然おいしくないパン屋に通っていた記憶がある。今思えば、パンよりスタンプのほうを食べていたようなものだ。人は「もう少しで何かがもらえる」という状態に、異常に弱いのである。

PayPayポイント運用も、たぶんそれに近い。現金だと「減った」「増えた」で心がザワつくが、ポイントだとどこかゲーム感覚になる。負けても「まあポイントだし」と思えるし、増えたら増えたで、なぜか自分が投資上級者になった気がする。実際は何も変わっていないのに。

私はこういう仕組みに対して、斜に構えている自分が賢いような気になっていたが、冷静に考えると、ただ面倒くさがりなだけなのだ。現金投資は勉強も必要だし、責任も重い。ポイント運用は、言ってしまえば「考えなくていい投資」なのである。

みんなが続けている理由を考えた結果、たぶん答えは単純で、
「損しても痛くない顔ができるから」
これに尽きるのだと思う。

そう考えると、PayPayポイント運用は投資というより、少し大人向けのガチャみたいなものなのかもしれない。期待しすぎず、失望もしない。その距離感がちょうどいい人が多いのだろう。

私はというと、相変わらず歯磨きを終えても答えは出ず、「まあ、人それぞれか」とどうでもいい結論に落ち着いた。
たぶん明日には、また別のどうでもいいことを考えているはずである。

ちなみに権利落ちの会費については「ポイント運用で怖い権利落ちと対策 権利落ち回避で損を減らす」が参考になる。またしても詳細な説明は他人に丸投げである。

社長メールスパムとクレジットカード残高不足に挟まれた一日の記録

その日は、どうやら「信用」を試される日だったらしい。
朝、社長からのメールを装ったスパムに遭遇し、私は現代社会の警戒心を一段階引き上げたばかりだった。
最近のスパムは巧妙で、こちらの社会性をピンポイントで突いてくる。
私は少しだけ、自分を誇らしく思っていた。引っかからなかったからだ。

ところがその日の午後、今度は電話が鳴った。
知らない番号。
出ると、あの独特な声である。
「ジュウヨウナオシラセガアリマス」
抑揚のない機械音声。
私は反射的に「はいはい、またね」と思った。今日の私は騙されない。

だが、なぜか胸の奥がざわっとした。
結局、案内に従って番号を押した私は、すでに負けている。

結果から言うと、本物だった。
クレジットカードの引き落としが、残高不足で落ちていなかったのだ。
ジュウヨウナオシラセは、ジュウヨウだったのである。

私はしばらくスマホを見つめた。
朝は疑いすぎて正解、昼は疑いすぎて失敗。
人を信じない態度が、必ずしも賢さにはならないらしい。

考えてみれば、残高不足というのも心当たりはある。
コンビニで「ちょっとしたご褒美」を重ねた結果が、こうして機械音声に告げられただけだ。
スパムよりも、現実のほうがよほど容赦ない。

その日、私は二つの「重要なお知らせ」に出会った。
一つは無視して正解、もう一つは無視しなくて正解。
結局のところ、
信用できるかどうかは、声の滑らかさではなく、残高で決まることもあるのだと、どうでもいい学びを得た。

 

ちなみに、軽く書いているがカードの与信を甘く見ない方がいい。そのあたりは「クレジットヒストリー(クレヒス)の重要性と信用情報」に含蓄のある内容が書かれている。私は説明しない。