楽天グループ 株主優待 無料SIMの紙を捨てた私の、うっかり節約失敗日記

このあいだ、家に届いた封筒をなんとなく開けて、なんとなく中を見て、なんとなく「あとで読もう」と思い、そしてなんとなく捨てた。私の「なんとなく」は、だいたいロクなことにならないのである。

あとになって、Xで「昨日今日くらいで届いている楽天グループの株主優待の通知は捨てないで!」という投稿を見た。捨てないで、と言われた時にはもう遅い。私はその投稿を見るまでもなく、すでに見事に捨てていたのである。早い。判断が早い。いらないほうにだけ。

楽天グループの株主優待というのは、100株持っていると楽天モバイルの回線が実質1年使えるとかなんとか、そういうたいへんありがたい話らしい。無料SIMだとか、通信費の節約だとか、聞くだけで家計の味方という感じがする。そういう得なものに限って、私はだいたい紙で来た時点で負けている。アプリの通知ならまだしも、紙になると急に「町内会のお知らせ」みたいな顔をしてくるから油断するのだ。

しかも今回は、ただの案内ではなくて、申し込みに必要なIDやパスワードが書いてある紙だったらしい。継続の人も手続きが必要だという。そんな大事なことを、あんな普通の顔をした紙に書かないでほしいと思う。もっとこう、金色にするとか、封筒に「あなたが捨てると損します」とでも書いておいてほしい。いや、たぶん書いてあっても私は捨てるかもしれない。自分を買いかぶってはいけない。

あわててゴミ箱をあさった。ゴミ箱をあさる自分の姿というのは、なかなか人に見せられるものではない。株主優待を受ける人というのは、もう少し落ち着いた顔で暮らしているのかと思っていたが、実際はゴミ袋の中で「あれか、これか」と紙を引っぱり出している。優待以前に生活を優待してほしい。

なんとかその紙は発見された。よかったよかったと思って手続きを進めようとしたところ、今度はマイナンバーカードの電子認証の有効期限が切れていた。ここで私は少し笑ってしまった。いや、笑うところではないのだが、もう笑うしかないのである。紙を捨て、掘り出し、本人確認でつまずく。この流れの悪さは、朝から張り切って出かけたのに財布を忘れて駅まで行く感じに似ている。いや、もっと地味でみじめかもしれない。

私は昔から、何かを一個忘れると芋づる式にいろいろ忘れていることが多い。学校のころも、体操服を持っていく日に限って赤白帽を忘れ、赤白帽を持っていく日に限って上履きを忘れていた。準備をしたつもりで、いちばん大事なところが抜けている。そういうポンコツ気質は、年を重ねてもわりと元気に生き続けているようだ。成長とは何なのだろうと思う。

それにしても、電子認証の有効期限というものは、絶妙に忘れる。カード自体の期限とは別に、ああいう見えにくい期限があるのがいかにも役所っぽい。冷蔵庫の奥でしずかに期限切れしている納豆のようである。見ればわかるのに、見ないから気づかない。そして気づいた時には、ちょっと面倒なことになっている。

こういうことがあるたびに、私は「ちゃんとした大人になろう」と一瞬だけ思う。でも一瞬だけなので、たぶんあまり効いていない。大人になってずいぶん経つのに、いまだに「今週中にでも役所いこう」と、夏休みの宿題みたいなことを言っている。役所も別に逃げないのだが、私のやる気はすぐ逃げる。

とりあえず今週中には行こうと思う。こういうのは、思っているうちが花である。無料SIMひとつもらうのに、ここまで自分のダメさを確認することになるとは思わなかったが、まあ、通信費の節約というのは、たぶんこういう小さい面倒に耐える人だけが手にできるのだろう。

私はその入口で、いったんゴミ箱に落ちたのである。

参考記事: 楽天グループ株主優待で楽天モバイル回線が1年無料 2026年の無料回線の条件と取得方法 

ベランダ菜園の植え替えと掃除で終わる日曜日、越冬ハーブの妙な生命力

少し暖かくなってくると、冬のあいだ見て見ぬふりをしていたものを、急に確認したくなる。部屋のすみのほこりとか、着ないまま放ってある服とか、ベランダの植木鉢とか。人はなぜ、寒い時期にはあれほど現実から目をそらせるのだろうか。寒いというだけで、だいたいのことは「また今度」で済ませられるのである。冬は言い訳の王様だと思う。

うちのベランダにも、そんな「また今度」を押しつけられていた鉢がいくつかあった。イタリアンパセリとタラゴンとタイムである。名前だけ並べると、うちのベランダだけ妙にしゃれた料理研究家の家みたいだが、実際は洗濯ばさみが一個落ちていたり、風で飛んできた葉っぱがすみにたまっていたりする、生活感たっぷりの場所である。

冬のあいだ、私はそのハーブたちをほぼ放置していた。ほぼ、というか、かなり放置していた。水やりも「今日じゃなくても大丈夫そうだな」と何度も先送りし、見た目もだいぶ地味になっていたので、正直もうだめかもしれないと思っていた。植物を育てていると言うには、あまりにも胸を張れない態度だったと思う。育てているというより、同じ家に住んでいるだけである。

それが、少し暖かくなった日にふと思い出して見てみたら、なんと越冬していたようなのである。あの寒さを、あの細い葉っぱたちが、黙ってやり過ごしていたのかと思うと、ちょっと感心した。私は冬になると、布団から出るだけでひと仕事なのに、タイムなんかは何も言わずにそこにいた。えらい。いや、比べる相手が私では、たいがいのものはえらく見えるのだが。

越冬していたとわかると、急にこちらも態度が変わる。昨日まで半分あきらめていたくせに、「これはちゃんとしないといけない」と思い出すのである。現金なものである。私はさっそくホームセンターへ土を買いに行った。こういう時のホームセンターという場所は、妙に人をやる気にさせる。土、肥料、鉢、スコップ、名も知らない便利そうな道具。見ていると、自分がものすごく園芸のできる人間になったような気分になるのだ。

しかし実際の私は、土を前にして「どれがいちばんふつうの土なのだろう」としばらく立ち止まる程度の人間である。ハーブ用と書いてあれば安心し、花と野菜の土と書いてあれば、ハーブは花なのか野菜なのか少し迷う。毎回こんな感じなのに、なぜかホームセンターではベテランの顔をして歩いてしまう。たぶん、土売り場にいる人はみんな少しだけ見栄を張っていると思う。

土を買って帰り、植え替え作業をした。鉢から出した根を見ると、植物がちゃんと生きている感じがしておもしろい。地上ではあんなに静かなのに、下では案外たくましくやっているのだなと思う。人間もこういうふうに、見えないところでちゃんとしている部分だけを評価されたら、だいぶ気楽なのにと思った。表面でぼんやりしていても、「でも根は張ってますから」と言えたら便利である。

ついでにベランダも掃除した。植え替えだけで終わればよかったのに、土いじりを始めると、まわりの汚れが急に気になってくる。ひとつ片づけると別のだらしなさが見えてくるのは、掃除でも人生でも同じである。あまり広げて考えると面倒なので、人生のことは脇に置いて、私は黙ってベランダのすみのゴミを集めた。

そういえば子どものころも、部屋の片づけをしている最中によく昔のノートや漫画を読み始めてしまい、ぜんぜん進まなかった。掃除というのは、何か別のことを思い出させる力があるらしい。今回も途中で、昔、母が植木鉢を並べて何か育てていたことを思い出した。私はその横で何も世話をしないくせに、実がなれば食べる時だけ参加していた気がする。そう考えると、今の私もあまり成長していない。育てる苦労には鈍く、実りの気配には敏感である。人としてどうなのかと思うが、たぶんそういう人は多いのだと思う。

気がつけば、日曜日はほぼそれで終わっていた。出かけたといえばホームセンターだけで、べつに華やかなことは何もない。けれど、植え替えた鉢と少しきれいになったベランダを見ると、なんとなくやりがいを感じたのである。日曜日らしい充実といえば、もっとしゃれたものを想像しがちだが、土を入れ替えて落ち葉を集めただけでも、案外ちゃんと一日を使った気分になる。

たぶん私は、何か大きなことを成しとげたいというより、見える範囲が少しだけましになると安心するのだと思う。越冬したハーブたちも、別に私を感動させようとして生き残っていたわけではないだろう。ただ淡々と寒さをやり過ごして、春が来たからまた少し元気を出しただけなのだ。

そう考えると、日曜日がそれで終わったのも悪くない。私もハーブも、たいしたことはしていない。でも、冬を越えたあとに土を替えて、少しきれいにして、なんとなく満足する。それくらいがちょうどいいのである。人間もベランダも、急には立派にならないのだ。

久留米・城島酒蔵びらき2026|新酒飲み比べと地元グルメに振り回される私の早春週末

二月の半ばというのは、寒いのか春なのか判断に迷う時期である。私は毎年この頃になると、厚手のコートを着るべきか、もう少し軽装で粘るべきかで一度は失敗する。そして今年も例に漏れず、そんな判断力の鈍さを抱えたまま、**第32回城島酒蔵びらき**のことを考えていた。

城島酒蔵びらきは、福岡の久留米にある“酒どころ城島”で毎年行われる恒例行事である。九州最大級と聞くだけで、私はもう人混みで酔いそうになるのだが、酒が主役の祭りとなると話は別だ。人は多くても、酒があればだいたい許せるのである。

会場は城島町民の森公園。名前からしてもう健全で、朝九時半から酒のイベントをやる場所としては少し爽やかすぎる気もする。今年は八つの蔵元が参加し、新酒が四十種類ほど飲めるらしい。四十と聞いた瞬間、私は自分の肝臓の顔色を思い浮かべたが、向こうも長年の付き合いなので、たぶん何も言わずに付き合ってくれるだろう。

チケットは十五枚綴りで二千円、お猪口付き。お猪口が付くと、なぜか「ちゃんとした行事」に参加している気分になるのが不思議だ。昔、縁日で金魚すくいをした時も、ポイを渡された瞬間だけはプロになった気がした。結果はいつもゼロだったが。

酒だけでなく、ホルモン焼きやもつ煮込み、そばなどの地元グルメも並ぶらしい。私は「飲みながら食べる」という行為があまり上手ではなく、だいたいどちらかに集中してしまう。結果、気づくと酒だけ進み、食べ物は冷めている。学習能力がない自分に、ここでも軽くため息が出る。

それでも、無料シャトルバスが出ているのはありがたい。西鉄やJRから運んでもらえるというのは、「今日は飲んでいい日なんだ」と公式に認められた感じがして、少し気が楽になる。駐車場に一千円払って飲酒運転防止に協力する仕組みも、なんだか城島らしくて真面目だ。

太鼓や酒造り唄、音楽ステージもあるそうだが、正直、私は酒を飲むと音楽の細かい違いがよく分からなくなる。全部「いい音だなあ」に集約される。それでも不満はない。だいたい、分からなくても楽しめるのが祭りというものだ。

こうして考えていると、城島酒蔵びらきは、酒を飲むイベントというより、「毎年同じように迷い、同じように飲み、同じように少し反省する」ための行事なのかもしれない。今年もきっと私は飲みすぎて、「もう若くないな」と思いながら、来年の開催情報をチェックするのである。まあ、それでいいのだ。

櫛田神社の節分大祭2026を見に行くか迷った私の話|福岡博多・豆まき・大お多福面

二月が近づくと、私は毎年「節分」という言葉に少しだけ身構える。豆をまくとか、鬼が来るとか、そういう行事は嫌いではないが、どうにも人混みが苦手なのである。
今年も例外なく、スマホを眺めていたら、博多の櫛田神社で節分大祭があるという情報が目に入った。日本一の大お多福面、豆まき神事、鬼神楽。文字だけ見ると楽しそうなのに、なぜか腰が重い私である。

櫛田神社といえば、昔、友人に連れられて初詣に行き、人の波に流されるまま参拝した記憶がある。お願いごとをする余裕もなく、気づけば外に出ていて、「私は何をしに来たのだろう」と思った。そう考えると、節分大祭も同じ結末になるのではないかと、余計な想像をしてしまうのだ。

それにしても、日本一の大お多福面というのは、冷静に考えるとかなり大胆である。高さ五メートルの顔の口をくぐることで福が来るらしい。顔の中を通るという発想がすでに面白い。もし私の顔がそんなに大きかったら、たぶん人はくぐってくれないと思う。せいぜい「近づかないでください」と言われるのが関の山だ。

豆まき神事では、年男年女や歌舞伎役者が豆を投げるという。豆を投げるだけで歓声が上がるのだから、スターというのは大変である。私は豆を落としただけで「あ、落とした」と言われる側の人間だ。

さらに鬼が境内をうろうろして、抱きつかれると厄が落ちるらしい。厄を落とす方法としては、だいぶ力技である。私だったら驚いて厄より先に心臓が落ちそうだ。

そんなことを考えながら、結局「行くかどうかは当日の気分で決めよう」と思う私である。どうせ福は、来るときは勝手に来るし、来ないときは大お多福面を三回くぐっても来ない。
節分とは、たぶんそういうものなのだ。

櫛田神社の節分大祭2026|2月3日開催、日本一の大お多福面と豆まき神事

アイラブホームフェア2026 福岡|マリンメッセで住宅設備とパンに心が揺れた話

正月気分がまだ靴底にくっついている一月、私はなぜか「入場無料」という言葉に吸い寄せられて、博多の海のほうまで出かけることにした。目的地はマリンメッセ福岡である。家づくりの展示会だと聞いていたが、正直に言うと、私はいまだに自分がどんな家に住みたいのか、よく分かっていない。

会場に入ると、キッチンだのトイレだのが、これでもかというほど並んでいた。どれも立派で、我が家の年季の入った流し台が急に申し訳なさそうな顔をして頭に浮かぶ。人間、見なければ平気なのに、見てしまうと欲が出るのである。

そういえば昔、実家のリフォームで父が「床は一生モノだ」と力説していたのを思い出した。結果、選ばれた床は一生モノというより、一生ギシギシ鳴る床だった。展示されている最新の床材を踏みながら、父のその後の沈黙を思い出し、私は一人で勝手に納得していた。

会場のあちこちには、脱炭素だのGXだのという、ちょっと賢そうな言葉が並んでいる。説明を聞いているうちに、分かったような分からないような顔をしてうなずく自分がいた。たぶん係の人は、私の理解度など最初から期待していないのだと思う。そう思うと気が楽だった。

それよりも私の足を止めたのは、パンとドーナツである。住宅の未来より、今日のおやつに心が傾く自分が情けないが、空腹には勝てない。展示会なのに、なぜかカフェ気分である。

主催が越智産業株式会社だとか、出展が100社以上だとか、すごい数字はたくさんあった。でも結局私の頭に残ったのは、「入場無料でパンが買える」という事実だけだった。

家づくりの未来を考えるはずが、今日の晩ごはんのことを考えながら帰路につく。まあそれも、私なりの住まいとの向き合い方なのだと思うことにした。

開催は15日~16日です。

詳細:アイラブホームフェア2026|福岡・マリンメッセで1/16・17開催!入場無料の住宅設備展示会

七草がゆは朝に食べるものだと思っていた|1月7日の夜と中学生の胃袋

七草がゆといえば朝、というのが私の中の常識だった。なぜ朝なのかはよく知らないが、なんとなく朝の寒い台所で、眠い目をこすりながら食べるもの、というイメージがある。ところが今年の1月7日、我が家の七草がゆは夜に出てきた。仕事から帰ってきて、コートを脱いだその先に、湯気を立てた七草がゆが待っていたのである。

私は一瞬、今日が何日なのか分からなくなった。正月はもう終わったはずだし、夜に七草がゆというのも、なんだか時差ボケのようで落ち着かない。だが妻は特に気にした様子もなく、「今日七草だから」と言った。そう言われると、こちらも「そうか」と納得するしかない。縁起ものは、出されたタイミングで受け入れるのが大人の態度なのだと思う。

七草がゆは、相変わらず七草がゆの味だった。セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ(カブ)・スズシロ(ダイコン)。名前だけ聞くと元気そうだが、味はとても控えめである。夜に食べるには、あまりにも静かな食べ物だ。例えるなら、テンションの低いラジオ番組のような感じである。

私は食べながら、「七草って全部言える人、どのくらいいるんだろう」と考えていた。毎年聞いているのに、毎年新鮮に忘れる。人の記憶というのは、都合のいいことだけ覚えて、どうでもいいことはすぐ逃がすようにできているらしい。

そんな中、またしても意外な光景が広がった。中学生の長男が、夜の七草がゆを「うまい」と言い、しかもおかわりをしたのだ。夜だぞ? 成長期とはいえ、もっとパンチのあるものを欲しがりそうなものなのに、七草がゆで満足している。私は内心、「本当にそれでいいのか」と思ったが、口には出さなかった。

結局、七草がゆが朝だろうが夜だろうが、食べる人が納得していれば問題ないのかもしれない。私は一杯で十分だったが、長男は二杯目に幸せそうだった。それを見て、七草のご利益というのは、胃腸よりも家族の意外な一面を知ることなのだと、どうでもいい結論に落ち着いたのである。

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