車検が近づいてくると、私は少しだけ人相が悪くなる。べつに誰かに怒っているわけではないのに、なんとなく口がへの字になるのである。二年に一回しか来ないくせに、毎回きっちり憂鬱を連れてくるあたり、車検というものは妙に律儀だと思う。
最初のころは、車検といえば「車を見てもらって安全になるんだから、ありがたいことだ」と、わりと素直に考えていた。ところが何回か経験すると、ありがたさの横に「いくらかかるんだろう」という、いやに現実的な顔をした不安が並んで座るようになる。しかもその不安は、かなり場所をとる。
そしてだいたいこの時期になると、もうひとり、毎回顔を出す人物がいる。タイヤ交換である。人物ではないが、気持ちとしてはもう親戚みたいなものだ。「そろそろタイヤ交換も」と前回も言われた気がするし、その前も似たようなことを言われた気がする。タイヤというのは、いつ見ても黒くて丸いだけなのに、急に高級品みたいな顔をしてくるから油断ならない。
私は車のことがよくわからない。タイヤの溝がどうとか、ゴムがどうとか言われると、「なるほど」と言いながら、心の中ではほとんどわかっていない。たぶん学校の授業でも、わからないのにわかった顔をしていたタイプである。そういうところだけ成長していないのだ。
それで、ディーラーに頼むと高いんだよなあ、と思う。いや、高いといっても、ちゃんとしてくれる安心料みたいなものはあるのだろう。店もきれいだし、飲み物も出るし、待っているあいだに「大人のきちんとした買い物をしている人」みたいな気分になれる。けれどその気分に二万円以上の価値があるかと聞かれると、私は急に口数が少なくなるのである。お茶とクッキーで二万円は、さすがに高級すぎる。
そこで楽天タイヤを見る。こういう時の私は妙に熱心で、ふだん洋服ひとつ買うにもぐずぐずするくせに、タイヤの値段になると真顔で比較を始める。総額で九万円くらい。安くはない。でも、ディーラーより二万円以上高くなるなら、もう面倒でも楽天でやるかな、という気になる。「経験値だと思って」という言い方を自分でしていて、なんだそれはと思う。私はいつから、タイヤ交換を冒険みたいに考えるようになったのか。
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経験値というのも、たいていは面倒くさいことの言い換えである。若いころは、知らない店に入るのも、新しいことをするのも、多少は胸が躍った。いまはもう、胸が躍る前に「ちゃんと予約できるかな」「当日迷わないかな」「変なサイズを選んでいたらどうしよう」が先に来る。だいぶ地味な人生である。でも地味な不安は、派手な不安よりしつこいのだ。
昔、家の近くの自転車屋で空気を入れてもらっただけなのに、ついでにあれこれ直されて、最後によくわからない笑顔でお金を払ったことがある。あの時の私は、完全に店の人の流れに乗せられていた。川を流れる葉っぱみたいなものだったと思う。車検のたびに、その時の葉っぱの私がうっすら蘇る。たぶん私は、乗り物のメンテナンスという場面で、自分の意思がかなり弱くなるのである。
とはいえ、安ければ正義というわけでもない。結局、安心したいし、損もしたくないし、できれば面倒も避けたい。全部ほしい。こういうのは本当に、私の小ささがよく出る。堂々と「安全のためなら払います」と言えたらかっこいいのだろうが、私は電卓をたたきながら、あっちを見たりこっちを見たりしている。安全も大事、でも二万円も大事。なんともせせこましいが、生活とはそういうものなのだと思う。
たぶん最終的には、値段と手間と気分を天秤にかけて、いちばん「まあいいか」と思えるところに決めるのだろう。車検もタイヤも、考え始めると大ごとみたいだが、終わってしまえばたいてい忘れる。そして二年後、また同じ顔で憂鬱になるのである。人は成長するとも言うが、こういう件に関しては、私はずっと同じ場所をくるくる回っている。
でもまあ、タイヤひとつでこんなに悩めるうちは、まだ平和なのかもしれない。そう思うことにした。たいした悟りではないが、どうせ丸いタイヤの話なのだから、結論もそのくらい丸くていいのである。
