このあいだ、実に10年以上ぶりにスーツを新調した。
作ってもらったのは麻布テーラーである。
思い返してみると、最後にスーツを買ったのは30歳前後だった気がする。あの頃はまだ仕事といえばスーツ、という空気が当たり前にあった。朝になると、眠い目をこすりながらネクタイを締めていたものだ。あれが社会人というものなのだ、と疑いもなく思っていたのである。
しかし世の中はすっかり変わった。
いつのまにか仕事でもカジュアルな服装がOKになり、私のクローゼットの中でスーツは「ここぞという時の服」に降格してしまった。
するとどうなるかというと、買い替えるタイミングがまったく来ないのである。
10年前のスーツをたまに引っ張り出して着る。
またしまう。
またしばらく着ない。
そういう生活を続けていた。
ところがである。
40を超えると、いろいろなことが少しずつ厳しくなる。
特にスーツは厳しい。
何が厳しいかというと、主にお腹である。
20代の頃に作ったスーツというのは、当時の自分の体型を前提に設計されている。つまり「若くてそこそこ細い私」仕様なのだ。
しかし現実の私はというと、「若くはないし、そこそこ丸い私」である。
この差は思った以上に大きい。
ズボンを履くとき、私は無意識に息を止めていた。
そしてお腹をぐっとへこませる。
この動作は、もはやスーツを着るための儀式のようなものだった。
だがある日ふと思った。
私はなぜ、服を着るたびに軽い腹筋運動をしているのだろうか。
しかも成功率は五分五分である。
たまにボタンが「今日はやめておきます」と言っている気がする日もある。
これはいよいよ潮時だと思い、スーツを作りに行くことにした。
そこで選んだのが麻布テーラーなのである。
店に入ると、店員さんがさっと現れて、いろいろ丁寧に説明してくれた。
生地の種類だとか、シルエットだとか、ボタンだとか、裏地だとか。
正直なところ、私はそのへんのこだわりがあまりない。
服の知識も、ユニクロで困らない程度しかない。
なので途中から「なるほど」「そうなんですね」と言いながら、半分くらいは流れに身を任せていたと思う。
そしていよいよ採寸である。
腕を上げたり下げたり、肩を測ったり、ウエストを測ったりする。
その間、私はなんとなく姿勢をよくしていた。
人間というのは不思議なもので、測られるときだけ少し良い体型を装おうとするのである。
どうせ数センチしか変わらないのに。
それからしばらくして、スーツが完成した。
さっそく着てみた。
すると、驚いた。
サイズがぴったりなのである。
いや、当たり前なのだが、これが実に快適なのだ。
特にズボンである。
履くときに、お腹をへこませなくていい。
これがこんなに楽なものだったとは、私は知らなかった。
ボタンは普通に閉まるし、呼吸もできる。
なんなら少しゆったりしている。
私は鏡の前で思わず、静かに感動してしまった。
同時に、ふと考えた。
つまりこのスーツは、「今の私」に合わせて作られているわけだ。
お腹も含めて。
そう思うと、少しだけ複雑な気分になる。
若い頃のスーツは、シュッとしていた。
今のスーツは、ややゆったりしている。
どちらがいいのかは、よくわからない。
ただひとつ言えるのは、
ボタンを閉めるときに息を止めなくていい人生は、思ったより快適だということである。
まあ、年を取るというのは、こういうことなのかもしれない。
少し丸くなり、少し楽になる。
スーツも、人間も。
たぶんそれでいいのだと思う。
