私はなんとなく、ぼんやりとネットを見ていた。こういう「なんとなく」の時間というのは、実にするすると過ぎていくもので、気づけば自分でも何を探していたのかわからなくなる。冷蔵庫を開けたのに、何を取りに来たのか忘れるのと同じである。インターネットというものは、巨大な冷蔵庫みたいなものなのだと思う。入っている物は多いのに、結局いつもの物しか見ない。
そんな時、漫画村事件で知られる星野ロミ氏が、SocialXupの新機能として「アカウントパワー診断」を公開した、という話を見かけた。XのアカウントIDを入れるだけで、0〜100点のスコアが出て、A〜Eのランクまで表示されるらしい。しかも自分だけでなく、他人のアカウントも診断できるという。なかなか遠慮のない機能である。
人はなぜ、点数をつけられると急に落ち着かなくなるのか。
学校のテストでも、健康診断でも、占いでもそうだが、数字やランクで自分が示されると、べつに頼んでもいないのに心がザワザワする。私は昔、体力測定で握力がえらく低く、紙パックのジュースすら頼りなく持っている感じの数値を出したことがある。それ以来、自分は何かを測られるたびに、だいたい弱そうな結果になる人間なのだという、うすぼんやりした自己認識がある。
とはいえ、やるのである。こういうものは、結局やる。やらないという選択肢を取れるほど、私はネットに対して達観していない。
そして診断結果は、19点。100点満点で19点。ランクはDであった。

D級か。
この「D級」という響きが、じわじわおかしい。通知表ならかなり困るが、アルファベットでランクをつけられると、なぜか少しマンガっぽくなるのである。私の頭にはすぐに『幽遊白書』が浮かんだ。妖怪の強さがS級だのA級だのと判定される、あの感じである。そう思った瞬間、19点という現実が少しだけ娯楽に変わった。人は解釈で生きている。
D級と聞くと、なんとなく「下のほう」という気がする。しかしマンガ基準で考えると、初登場時の蔵馬や飛影あたりなのではないか、という都合のいい連想が始まる。ここが私のよくないところで、現実の低評価をフィクションの文脈で持ち上げて納得しようとする癖がある。テストで60点を取っても「赤点じゃないから」と言い張るタイプである。もっと前向きなのか、もっと後ろ向きなのか、自分でもよくわからない。
それにしても、アカウントの力とは何なのだろう。フォロワーの数なのか、反応の良さなのか、発言の影響力なのか。あるいは毎日こつこつ何かを言っている執念のようなものなのか。もし執念なら、私はそこそこ点をもらえる気もするが、世の中はそんなに甘くない。執念だけで高得点が取れるなら、夜中に自分の投稿を見返して「これ、何が言いたかったんだろう」と思っている人間にも光が当たるはずである。
詳細グラフまで出るのも、なかなか本格的で少し怖い。グラフというのは不思議なもので、棒だの線だの円だのにされるだけで、妙に言い逃れができなくなる。数字だけなら「まあ、たまたまかな」と思えるのに、グラフになると「あなたの傾向はこうです」と静かに言い渡される感じがある。無機質なくせに、妙に迫ってくる。グラフは親切そうに見えて、案外容赦がない。
しかし19点でD級という結果を見ているうちに、だんだん腹も立たなくなってきた。むしろ、変に中途半端な点数より味がある気さえしてくる。65点くらいだと、なんとなく現実的でコメントに困るが、19点までいくと、もうひとつの個性みたいな顔をしてくる。ここまでくると、弱いなりに筋が通っている感じすらある。通っていないのかもしれないが、そう思うことにした。
結局私は、D級判定を見ながら、初登場時の蔵馬や飛影を勝手に仲間にして満足した。非常に図々しい話である。でも、ネットの診断結果なんて、そのくらい勝手に受け止めたほうが気が楽なのだと思う。
19点の私にも、19点なりの居場所はあるのだろう。たぶん。
少なくとも、いきなり消し飛ぶわけではない。
そう考えると、D級もそんなに悪くないのである。むしろ少し、マンガみたいでいい。
