夜というものは、だいたい静かである。
特に受験生のいる家の夜は、わりと妙に静かだ。
うちの息子も受験生なので、夜になると机に向かっている。向かっている、という表現が正しいかどうかは微妙であるが、とにかく机の前には座っているのである。親としてはそれだけでも「まあいいか」と思うことにしている。
そんな静かな夜中、台所で水を飲もうとしていたら、息子がぼそっと言った。
「おなかすいた。なんか作って」
受験生というのは、なぜ夜中に腹が減るのだろう。
昼間に三食きちんと食べているはずなのに、勉強と空腹はなぜかセットでやってくるのである。
私は一瞬、「インスタントラーメンでいいじゃないか」と思った。
思ったが、冷蔵庫を開けるとラップに包まれたご飯がぽつんと入っていた。
こういうとき、人は妙にやる気を出すものだ。
「よし、チャーハンでも作るか」
といっても、立派なチャーハンではない。
私の中でチャーハンといえば、ある特定のものなのである。
その名も「おかたまチャーハン」。
これは私が大学生のころ、人生で初めての一人暮らしを始めたときに知った料理だ。
当時、母が「これ、あんた好きそうだから」と言って、なぜか漫画を一冊置いていった。
それが「セイシュンの食卓」という本だった。
料理本なのに漫画なのである。
しかも出てくる料理は、やたらと雑である。
学生の部屋にある材料だけで作れるような料理ばかりで、今思えばかなりいいかげんなレシピなのだが、当時の私はそれを大いに気に入った。
中でもよく作ったのが、この「おかたまチャーハン」だった。
作り方は驚くほど単純である。
ご飯。
卵。
かつおぶし。
醤油。
塩コショウ。
以上。
「これで本当に料理なのか」と言われそうな材料だが、フライパンで炒めるとそれなりにチャーハンっぽくなるのだから不思議なものである。
大学生のころの私は、これをよく夜中に作って食べていた。
お金がないので具など入らない。
ネギすらない。
今思うと、栄養のことなど一切考えていない食生活である。
しかし若いというのは恐ろしいもので、そんなものでも十分に生きていけたのである。
むしろ「うまい」と思っていたのだから、人間の味覚というのはかなりいいかげんだと思う。
そんなことをぼんやり思い出しながら、私はフライパンでご飯を炒めた。
卵を落とし、かつおぶしをばさっと入れて、醤油をたらす。
ジュワッという音がして、台所に懐かしい匂いが広がった。
私はちょっとだけ、「おお、これこれ」と思った。
四十を過ぎた人間が深夜にそんなことで感動しているのだから、人生というのはだいぶ丸くなるものだ。
皿に盛って息子に出すと、彼はわりと勢いよく食べた。
「うまい」
と言いながら、もりもり食べている。
受験生というのは、味の細かいことをあまり気にしない生き物らしい。
それとも本当にうまかったのかもしれないが、そのへんはよくわからない。
ただ、食べている息子を見ながら、私はちょっと不思議な気分になった。
大学生のころ、夜中にこのチャーハンを作っていた私。
そして今、受験生の息子のために同じチャーハンを作っている私。
時間というものは、だいたい静かに流れていく。
気づいたら四十を過ぎている。
昔は「セイシュンの食卓」を読んでいる側だったのに、今では完全に「深夜にチャーハンを作る親」の側なのである。
まあ、人生というのはそういうものなのだろう。
それにしても、あの漫画のレシピが二十年以上たってまだ役に立っているとは思わなかった。
青春というのはとっくに終わった気がしていたが、どうやらフライパンの中には、まだ少し残っていたらしい。
もっとも、それがかつおぶしの香りなのか青春なのかは、正直よくわからないのである。
