iPhone17が安すぎるせいで、妹と2時間電話した日の話

夜ごはんを食べ終わって、さあ今日は早く寝ようと思った瞬間に、妹からLINEが来た。
「iPhone17って、月281円ってほんと?」
この一文が、私の夜を静かに、しかし確実に破壊したのである。ブログを読まれたのかもしれない。

私は最初、軽い気持ちで「ほんとだよ」と返した。するとすぐに電話がかかってきた。嫌な予感はしたが、出てしまったのが運の尽きである。

そこから私は、ahamoとは何か、MNPとは何か、いつでもカエドキプログラムとは何なのかを、延々と説明する係になった。妹は相づちを打ちながらも、三分に一回くらい「で、結局いくらなの?」と聞いてくる。さっき説明した話を、私はまた最初からする。私はコールセンターの人の気持ちが少しわかった。

iPhone17をドコモ(ahamo) MNPで月額わずか281円で2年レンタル 最新スマホを安く使える 」という記事をお勧めしたが読む気はしないらしい。

「2年後に返すってどういうこと?」
「返さなかったらどうなるの?」
「割ったら?」
「水没したら?」

質問は尽きない。私は途中から、これはiPhoneの説明というより、人生相談に近いのではないかと思い始めた。返却期限の話をしているのに、なぜか親戚の法事の予定の話に脱線し、気づけば1時間が経っていた。

妹は最後に「でもさ、そんなに安いって逆に怪しくない?」と言った。私は心の中で叫んだ。ここまで説明してそれを言うか。
それでも私は、「まあ、仕組みが分かると普通だよ」と冷静を装った。大人なのである。

通話が終わったのは、気づけば2時間後だった。喉が少し痛く、スマホの充電は残り20%。私は自分のiPhoneを見ながら思った。
──この時間で、もう一台分説明できたな、と。

結局、妹は「ちょっと考える」と言って電話を切った。私はその後、布団に入り、天井を見ながら思った。
安いiPhoneより高くついたのは、私の時間だったのかもしれない。まあ、暇だったからいいのである。

月281円でiPhone17を持つという、ちょっとした覚悟とどうでもいい決意

ある日、私はコーヒーを飲みながら、なんとなくスマホ料金の明細を眺めていた。眺めていただけで、特に理由はない。理由はないが、そこに「高いな」という感想だけが残った。人間というのは暇だと料金を見直し始める生き物なのである。

そんな流れで、iPhone 17が月281円で使える、という話を目にした。281円。駄菓子の値段である。最初は脳が理解を拒否した。私の知っているiPhoneは、だいたい15万円くらいして、買った瞬間から大事に扱わないといけない高級果物みたいな存在だったからだ。

調べてみると、どうやらNTTドコモのいつでもカエドキプログラムという仕組みと、ahamo、それにMNP割引を組み合わせると、そういう計算になるらしい。2年後に端末を返す前提で、「このくらいの値段で買い取りますよ」と未来の価値を先に約束してくれる仕組みだ。なんだか、人質交換のようで少し緊張する。

私は昔、分割払いがどうも苦手だった。一括で払って「もう終わった」と思いたい性格なのだ。だが今回ばかりは、281円という数字がしつこく頭に残った。毎月の通信費を入れても3,000円ちょっと。これはもう節約というより、実験である。

しかも、AppleのApple Storeで買うより安い、という事実が追い打ちをかける。正規ルートより安い正規品。私はだんだん「買わない理由」を探すほうが面倒になってきた。

もちろん、2年後には返却しなければならない。傷をつけず、水にも落とさず、大事に使う必要がある。つまり私は、2年間ずっとスマホに気を使う人生を選ぶことになる。それが幸せかどうかは分からない。

でもまあ、月281円で最新のiPhoneを触りながら、「ああ、私は今、得している気がする」と思えるなら、それでいいのだと思う。気がする、というのが重要なのである。

Xを開いた瞬間に消える投稿現象に名前を付けたい

朝、歯を磨きながらなんとなくXを開いた。特に目的はない。天気予報を見るほどの気合いもなく、ニュースを読むほどの勇気もない、ちょうどその中間の気持ちである。すると一番上に、なにやら気になる投稿があった。内容はよく見えないが、文字の並びと改行の感じからして、たぶん面白いやつだと直感した。

ところがである。人差し指が「続きを読む」に向かう、その0.5秒のあいだに、画面がスッと動き、投稿は上へ消えた。代わりに知らない人のリポストと、昨日も見たような広告が現れた。私は歯ブラシをくわえたまま固まった。

この感じ、昔どこかで味わったことがある。たしか、子どものころに縁日の屋台で、すごく欲しいおもちゃを見つけたのに、母が一瞬よそ見した隙に別の子に買われたときの感じに似ている。悔しいが、誰にも文句は言えない。そもそも私がボーッとしていたのが悪いのだ。

それにしても、あの投稿は何だったのか。犬の話だったのか、仕事の愚痴だったのか、それともどうでもいい一言だったのか。分からないからこそ、妙に気になる。もう一度戻ろうとしても、どれだけスクロールしても出てこない。Xはそういうところが冷たい。

私は自分が「見られなかった投稿」にここまで執着する人間だということに、今さら気づいた。実際に読んだら「ふーん」で終わった可能性のほうが高いのに、読めなかったという事実だけで、勝手に名作にしてしまうのだ。これはもう病気に近い。

なので、この現象に名前を付けたい。「X瞬間消失現象」とか、「幻の初手投稿症候群」とか。どれもいまいちだが、とにかく名前があれば少しは気が晴れる気がする。

たぶん、世の中の半分くらいの人は一度は経験していると思う。共感してくれる人がいてもいなくても、明日も私は同じようにXを開き、同じように見失れるのだろう。それが私の日常なのである。

dポイントで電話料金を払ったら、人生が1割だけ得した気がした話 ポイントは税の前に立つ

先日、月末恒例の「今月いくら使ったかな…」という、できれば目を細めてやり過ごしたい作業をしていたときのことである。ドコモの料金明細を見て、私はため息をついた。ため息は無料だが、通信料は無料にならない。世の中は厳しい。

そんな中、dポイントで電話料金が払えるという話を思い出した。しかも、期間限定ポイントも使えるらしい。期間限定という言葉には、なぜか夏休み最終日の宿題みたいな切なさがある。使わないと消える。消える前に使わねば、という謎の使命感が湧くのだ。

しかもだ。ポイントを使うと、税引前の金額から引かれるという。私はこの仕組みを理解するのに、少し時間がかかった。昔、算数の文章題で「太郎くんがリンゴを〜」の時点で読む気をなくした自分を思い出す。今も本質は変わっていない。

例えば5000円の料金に1000ポイントを使うと、残り4000円にだけ消費税がかかる。つまり、ポイントがちょっと偉そうなのである。税金の前に出てきて、「ここ、私が引いておきましたから」と言ってくれる感じだ。なんだか頼もしい。

結果として、1ポイントが1.1円くらいの働きをするらしい。私はこの0.1円に、人間の小さな勝利を見た。大金持ちには鼻で笑われそうだが、こちらは庶民代表である。10%増しと聞くだけで、心が軽くなる。

考えてみれば、ドコモ光やドコモでんきにも使えるというのだから、ポイントもなかなかの働き者だ。私よりよほど社会に貢献している気がする。

結局、ポイントを使ったからといって人生が劇的に変わるわけではない。ただ、いつもより少しだけ「私はうまくやった」と思える。その程度で十分なのだ。どうせ通信料は来月も請求されるのだから。

詳しくは「dポイントのお得な使い方を徹底比較 電話料金払い、現金化、マイル交換」を読んでください。大人は説明しないのだ。

これがいいなら全部のポイントと消費税の関係もこうなればいいのにと思った。消費税ゼロパーセントにできるじゃないか。

楽天カードあとからリボキャンペーンだけは、私は毎回やってしまうのである

私は基本的に慎重な人間だと思っている。怪しい話には近づかないし、「簡単に儲かる」という言葉を見た瞬間、眉間にしわが寄る。リボ払いなんて、その代表格だ。名前からしてもう怪しい。
なのにである。楽天カードの「あとからリボキャンペーン」だけは、なぜか毎回きっちり取り組んでいる。

今回も例外ではなかった。e-NAVIを開いたら、案の定キャンペーンのお知らせが出ていて、「3万円で2,000ポイント」と書いてある。私はその数字を見た瞬間、「あ、今回もやるな」と思った。悩む時間はほぼゼロである。
こういう判断の早さを、他の場面でも発揮できたら人生はもう少し楽だった気がする。

リボ払いは危険だと、私はよく知っている。昔から「借金製造機」だの「一度ハマると抜け出せない」だの、いろいろ聞いてきた。そのたびに「自分は絶対にやらないタイプ」と思っていた。
ただし、「キャンペーンのときだけ」は別枠なのである。この理屈が通るかどうかは分からないが、私の中では完全に成立している。

手順もすっかり体に染みついている。
エントリーして、支払額を1万円以下に設定して、明細からあとリボ。自動リボにチェックが入っていないかを三回くらい確認する。この確認の多さに、私の小心者ぶりがよく表れている。

設定が終わったら、すぐに繰り上げ返済。
「あとでやろう」は、だいたい忘れる。これは私自身を長年観察してきた結果、導き出された確かな事実だ。数百円の金利でも、「まあいいか」と思った瞬間に負けだと思っている。

こうして私は、リボ払いを使っているのに、ほぼリボ払いらしいことは何もせず、ポイントだけをもらう。
なんだかズルをしているような気もするが、ルール通りなので問題はない。むしろ、カード会社の想定とはだいぶ違う使われ方をしている気がする。

結局、このキャンペーンだけは、これからも私はやり続けるのだと思う。
立派なポイ活でもないし、胸を張るほどの話でもない。ただ、「危ないものには近づかないけど、チラッとは見る」という、私らしい距離感なのである。
たぶん次回も、私は何事もなかった顔でe-NAVIを開いている。

ちょっと面倒な手順はいつもの他人に任せてしまおう。「 楽天カードのあとからリボ キャンペーンの攻略 実質ポイントバラマキ 1/23~2/11 」を読んでくれれば大体わかるはずだ。健闘を祈る。

久留米・城島酒蔵びらき2026|新酒飲み比べと地元グルメに振り回される私の早春週末

二月の半ばというのは、寒いのか春なのか判断に迷う時期である。私は毎年この頃になると、厚手のコートを着るべきか、もう少し軽装で粘るべきかで一度は失敗する。そして今年も例に漏れず、そんな判断力の鈍さを抱えたまま、**第32回城島酒蔵びらき**のことを考えていた。

城島酒蔵びらきは、福岡の久留米にある“酒どころ城島”で毎年行われる恒例行事である。九州最大級と聞くだけで、私はもう人混みで酔いそうになるのだが、酒が主役の祭りとなると話は別だ。人は多くても、酒があればだいたい許せるのである。

会場は城島町民の森公園。名前からしてもう健全で、朝九時半から酒のイベントをやる場所としては少し爽やかすぎる気もする。今年は八つの蔵元が参加し、新酒が四十種類ほど飲めるらしい。四十と聞いた瞬間、私は自分の肝臓の顔色を思い浮かべたが、向こうも長年の付き合いなので、たぶん何も言わずに付き合ってくれるだろう。

チケットは十五枚綴りで二千円、お猪口付き。お猪口が付くと、なぜか「ちゃんとした行事」に参加している気分になるのが不思議だ。昔、縁日で金魚すくいをした時も、ポイを渡された瞬間だけはプロになった気がした。結果はいつもゼロだったが。

酒だけでなく、ホルモン焼きやもつ煮込み、そばなどの地元グルメも並ぶらしい。私は「飲みながら食べる」という行為があまり上手ではなく、だいたいどちらかに集中してしまう。結果、気づくと酒だけ進み、食べ物は冷めている。学習能力がない自分に、ここでも軽くため息が出る。

それでも、無料シャトルバスが出ているのはありがたい。西鉄やJRから運んでもらえるというのは、「今日は飲んでいい日なんだ」と公式に認められた感じがして、少し気が楽になる。駐車場に一千円払って飲酒運転防止に協力する仕組みも、なんだか城島らしくて真面目だ。

太鼓や酒造り唄、音楽ステージもあるそうだが、正直、私は酒を飲むと音楽の細かい違いがよく分からなくなる。全部「いい音だなあ」に集約される。それでも不満はない。だいたい、分からなくても楽しめるのが祭りというものだ。

こうして考えていると、城島酒蔵びらきは、酒を飲むイベントというより、「毎年同じように迷い、同じように飲み、同じように少し反省する」ための行事なのかもしれない。今年もきっと私は飲みすぎて、「もう若くないな」と思いながら、来年の開催情報をチェックするのである。まあ、それでいいのだ。

アメックスビジネスゴールドと300万円使った記憶のない無料宿泊券

ある日、メールボックスにやけに景気の良さそうな件名が届いた。「【ビジネス・フリー・ステイ・ギフト】予約コード(300万円達成分)のご案内」。
一瞬、誰か別の人に届くはずのメールが迷い込んだのかと思ったが、よく見たら私宛だった。どうやら惰性で使い続けているアメックスビジネスゴールドの年間利用金額ボーナスらしい。

300万円。数字だけ見ると、軽くひっくり返りそうになる。そんなに使った記憶はない。というより、思い出したくない。日々の経費やら、ちょっとした支払いが積み重なった結果なのだろうが、「知らぬ間に」という言葉ほど怖いものはないと思う。
同時に「無料で1泊」という言葉が、心の弱い部分を優しく叩いてくる。

気づいたら対象の宿を眺めていた。写真はどこも立派で、部屋は広く、窓の外には海や山がある。こういうところに泊まれば、人生が一段階上に行った気分になれる気がする。実際は一晩寝て帰るだけなのに、不思議なものである。
昔、独身の頃なら「よし行こう」と即決していたと思う。誰と行くかも決めずに、勢いだけで。

しかし今は家族持ちである。ふと冷静になって、条件を読み返す。「ペア宿泊券」。ここで現実に戻る。
夫婦二人で泊まるには子どもの段取りがいるし、かといって誰かを置いて行くほどの罪悪感を乗り越える元気もない。家族全員で泊まれない無料は、だいたい保留になる運命なのだ。

結局、そのメールは既読のまま放置されている。
300万円使った後悔と、使いきれない特典。どちらも私らしいなと思った。
たぶんこのまま、有効期限ギリギリまで悩むのだろう。それもまた、カード社会の正しい使われ方なのだと思うことにした。

櫛田神社の節分大祭2026を見に行くか迷った私の話|福岡博多・豆まき・大お多福面

二月が近づくと、私は毎年「節分」という言葉に少しだけ身構える。豆をまくとか、鬼が来るとか、そういう行事は嫌いではないが、どうにも人混みが苦手なのである。
今年も例外なく、スマホを眺めていたら、博多の櫛田神社で節分大祭があるという情報が目に入った。日本一の大お多福面、豆まき神事、鬼神楽。文字だけ見ると楽しそうなのに、なぜか腰が重い私である。

櫛田神社といえば、昔、友人に連れられて初詣に行き、人の波に流されるまま参拝した記憶がある。お願いごとをする余裕もなく、気づけば外に出ていて、「私は何をしに来たのだろう」と思った。そう考えると、節分大祭も同じ結末になるのではないかと、余計な想像をしてしまうのだ。

それにしても、日本一の大お多福面というのは、冷静に考えるとかなり大胆である。高さ五メートルの顔の口をくぐることで福が来るらしい。顔の中を通るという発想がすでに面白い。もし私の顔がそんなに大きかったら、たぶん人はくぐってくれないと思う。せいぜい「近づかないでください」と言われるのが関の山だ。

豆まき神事では、年男年女や歌舞伎役者が豆を投げるという。豆を投げるだけで歓声が上がるのだから、スターというのは大変である。私は豆を落としただけで「あ、落とした」と言われる側の人間だ。

さらに鬼が境内をうろうろして、抱きつかれると厄が落ちるらしい。厄を落とす方法としては、だいぶ力技である。私だったら驚いて厄より先に心臓が落ちそうだ。

そんなことを考えながら、結局「行くかどうかは当日の気分で決めよう」と思う私である。どうせ福は、来るときは勝手に来るし、来ないときは大お多福面を三回くぐっても来ない。
節分とは、たぶんそういうものなのだ。

櫛田神社の節分大祭2026|2月3日開催、日本一の大お多福面と豆まき神事

FXホラー漫画・FX戦士くるみちゃんアニメ化と、私のコツコツドカンの記憶が…うっ

朝、スマホをぼんやり眺めていたら、FX戦士くるみちゃんがアニメ化されるというニュースが目に入った。アニメ化と聞くと普通はワクワクするものだが、私の場合、なぜか心拍数が上がり、手に持っていた湯のみを置いた。これはもう娯楽というより、心の古傷を指で押される感覚なのである。

私はかつてFXをやっていた。しかも、典型的な「コツコツドカン」である。最初は千円、二千円と、まるで貯金箱に小銭を入れるように増えていき、私は完全に調子に乗った。そしてある日、ドカンが来た。コツコツしていた日々は、ドカンの前では段ボールハウスくらいの耐久力しかなかったのだ。

くるみちゃんの話を読むと、なぜか「わかる、わかる」と頷いてしまう。負けているのにチャートを見続けてしまう感じとか、もう取り返せないのに「ここで戻るかも」と思ってしまうあの根拠のない希望。あれは希望というより、賞味期限切れの牛乳を「まだいける」と飲む勇気に近い。

思えば子どもの頃、テストの点が悪いと、しばらく机の中に隠していた。見なければ現実ではない、という謎の理屈である。FXでも同じことをしていた私は、まったく成長していないのだなあと感心する。いや、感心している場合ではない。

アニメになったくるみちゃんが、画面の中でさらに派手に負けていくのを想像すると、正直ドキドキする。これはホラーなのか、教育番組なのか、それともただの鏡なのか。たぶん全部なのだ。

結局、私はFXを退場したままだし、アニメは怖いけどたぶん観てしまうと思う。人はなぜ、痛いとわかっている場所を触りに行くのか。その答えは出ないまま、私は今日も安全な場所で、為替とは関係ない昼ごはんの値段を気にしているのである。

Google検索順位に異変?マイベストがSNSで騒がれていて、私は少しだけ昔を思い出した

私がこの話を知ったのは、Google検索ではなく、SNSをぼんやり眺めていたときだった。「マイベストの検索順位が落ちているらしい」「AI検索で終わった」など、断定的で景気のいい言葉がタイムラインを流れていく。私は検索結果を確かめたわけでもなく、ただその騒ぎを、畳に寝転んで聞く雨音のように眺めていた。

マイベストと聞くと、どうしても昔の記憶が出てくる。私がアフィリエイトブログをやっていた頃、あれはもう黒船どころか、空から巨大ロボットが降ってきた感じだった。自分が必死に書いた記事の上に、いつの間にかマイベストが鎮座していて、私は「ここ、私の場所だったはずなのに」と小声で文句を言っていたのである。もちろん誰にも届かない。

当時の私は、検索順位を人生の成績表のように扱っていた。順位が下がれば機嫌も下がる。今思うと、ずいぶん情緒が検索エンジンに支配されていた。冷蔵庫の中身より、サーチコンソールを気にしていたのだから、健康的とは言えない。

そんなマイベストが、今度はAI検索の時代にどうなるのかと、SNSでは盛り上がっているらしい。オーバービューに答えを先に言われてしまい、記事が読まれないのでは、という不安。私はそれを見て、「ああ、立場が変われば景色も変わるのだな」と、妙に納得してしまった。

しかし冷静に考えると、出てこなくなったわけではない。ちゃんと検索すれば、まだそこにいる。ただ、騒ぐ人が増えただけなのだ。人は順位が下がると大騒ぎし、上がっている間は沈黙する。これは検索に限らず、人生全般に言える気がする。

結局のところ、私はもうブログもやっていないし、検索順位で一喜一憂する立場でもない。ただSNSの騒音を、遠くで聞いているだけだ。諸行無常というほど立派な話でもなく、みんな落ち着きがないな、と思っただけなのである。